東南アジアの古代ゲノム解析

 東南アジアの古代ゲノム解析に関する研究(Lipson et al., 2018B)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。東南アジアの現代人は遺伝的・言語的に多様ですが、どのように形成されたのか、詳細はよく分かっていません。東南アジアは一般的に高温多湿なので、より寒冷なヨーロッパと比較すると、DNAの保存には適していないため古代DNA研究も遅れています。本論文は、貴重な事例となる東南アジアの古代ゲノム解析結果を報告し、東南アジアにおける人口構造の形成史を検証しました。

 本論文は、東南アジアの146人の遺骸でDNA抽出を試み、そのうちベトナム・ミャンマー・タイ・カンボジアの18人でじゅうぶんな遺伝的情報を得ることに成功しました。年代は、新石器時代~鉄器時代となる4100~1700年前頃です。このうち最古の人類遺骸は、ベトナムのマンバク(Man Bac)遺跡で発見されました。マンバク遺跡で発見された、装飾陶器・複雑な翡翠装飾品などの遺物は、マンバク遺跡よりも古い中国南部の稲作農耕遺跡のものと類似しています。そのため、マンバク遺跡には、先住の狩猟採集民系統と、中国南部から新たに南下してきて稲作など新技術をもたらした農耕民系統とが居住していた、と考古学者たちは推測していました。マンバク遺跡の住民のゲノム解析からは、在来の狩猟採集民と中国南部からの移住民との混合が推測され、考古学の通説と合致しました。

 これらの中国南部から移住してきた初期農耕民は、オーストロアジア語族の祖語を東南アジアにもたらしたかもしれません。オーストロアジア語族は、現在では東南アジアに拡散しています。カンボジアのクメール人(Khmer)・インドのニコバル諸島のニコバル人・タイとラオスの国境のムラブリ人(Mlabri)といったオーストロアジア語族話者の人々のゲノムも、マンバク遺跡で見られたような、異なる祖先集団の混合を示しています。中国南部から東南アジアに南下してきた初期農耕民は、東南アジア全域に遺伝子と文化を広めたのではないか、と推測されています。

 さらに、ベトナム・カンボジア・ミャンマー・タイのもっと後の遺跡では、2000年前頃となる中国南部からの別の移住の波の痕跡も確認されました。この新たな移住者もまた農耕民で、おそらくは青銅器加工技術をもたらし、東南アジアは青銅器時代に入りました。この新たな移住の波を経て、東南アジアの各地域集団は、現在の各地域の住民と遺伝的に類似するようになりました。

 先住の狩猟採集民・初期農耕民・もっと後の移住民の波という3系統の混合により東南アジアの現代人の遺伝的構造が形成されたことは、古代DNA研究の進展により明らかになってきた、ヨーロッパ先史時代の集団形成史と類似しています。ヨーロッパでは、7000年前頃に近東からの移住民が農耕をもたらし、先住の狩猟採集民と混合して、もっと後の青銅器時代に中央アジア草原地帯からの移住の波があり、現在のような各地域集団の遺伝的構造が確立しました。ユーラシアの両端にあるヨーロッパと東南アジアで同じような時期に類似の移住・集団形成史が見られるのは、興味深いと思います。日本列島に関しても古代DNA研究が進むことを期待しています。


参考文献:
Lipson M. et al.(2018B): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat3188

この記事へのコメント

2018年08月12日 21:48
リンクを貼るのに失敗して、三つも気球玉を付けてしまいました。申しわけありません。
2018年08月13日 16:36
いえ、気になさらないでください。

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