レヴァントの早期上部旧石器時代の年代

 取り上げるのが遅れましたが、レヴァントの早期上部旧石器時代の年代についての研究(Alex et al., 2018)が公表されました。本論文は、55000年前頃の現生人類(Homo sapiens)化石が発見されたことで注目されている(関連記事)、イスラエルのマノット洞窟(Manot Cave)遺跡の早期上部旧石器時代の信頼性の高い年代を新たに報告し、既知のレヴァントやヨーロッパの各遺跡の早期上部旧石器時代の年代を参照・検証することで、レヴァントとヨーロッパの早期上部旧石器時代の各インダストリーがどのような関係にあるのか、論じています。なお、以下の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です。

 レヴァントの早期上部旧石器文化としては、前期アハマリアン(Early Ahmarian)とレヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)が知られています。前期アハマリアンはヨーロッパのプロトオーリナシアン(Protoaurignacian)の起源となり、ヨーロッパでオーリナシアン(Aurignacian)へと発展し、その担い手の一部はレヴァントに「戻り」、レヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)が出現した、との見解も提示されています。しかし、レヴァントの早期上部旧石器時代の年代にはまだ曖昧なところが多分にあり、レヴァントのさまざまな早期上部旧石器文化とヨーロッパの早期上部旧石器文化との関係には不明なところが多く残っています。

 本論文は、マノット遺跡の早期上部旧石器時代の各層の新たな年代測定結果を報告しています。マノット遺跡では、古い(下の)層から順にアハマリアン→レヴァントオーリナシアン→ポスト-レヴァントオーリナシアンと移行していきます。アハマリアン層の下には、最初期上部旧石器文化や中部旧石器文化の人工物もわずかながらありますが、はっきりとしません。信頼性68%の年代では、ポストレヴァントオーリナシアンが34030~33050年前、レヴァントオーリナシアンが38260~34050年前、アハマリアンが49440~41560年前となります。レヴァントオーリナシアンの年代に関しては、37000~35000年前頃まで絞り込めそうだ、と指摘されています。

 イスラエルのケバラ(Kebara)遺跡では、47000年前頃にはアハマリアンが始まります。これは、マノット遺跡の年代と整合的と言えるでしょう。ケバラ遺跡やマノット遺跡よりも北方に位置する、トルコのウチュアズリ(Üçağızlı)遺跡とレバノンのクサールアキル(Ksâr ‘Akil)遺跡にも、マノット遺跡やケバラ遺跡のアハマリアンと共に、「北部前期アハマリアン」として区分できるインダストリーが存在する、と本論文は指摘します。しかし、既知の報告によると、ウチュアズリ遺跡とクサールアキル遺跡では、アハマリアンの開始年代は43000もしくは40000年前頃です。この3000~7000年の相違は、単に北方でアハマリアンの出現が遅れた可能性も、石器区分自体に何らかの問題がある可能性も、年代測定結果に問題がある可能性も考えられます。

 本論文は、クサールアキル遺跡とウチュアズリ遺跡の前期アハマリアンの年代はおもに試料汚染の除去の難しい貝殻に基づいており、マノットとケバラではおもに試料汚染除去の方法の開発された炭に基づいているので、これが年代の相違の一因かもしれない、と指摘しています。また、一般的に、特定の事象の放射性炭素年代に不一致が生じた場合、古い年代は、試料汚染を反映しているかもしれない新しい年代よりも信頼性が高い、と考えられます。そのため本論文は、アハマリアンはレヴァントにおいて遅くとも46000年前頃には出現した、との見解を提示しています。

 レヴァントにおける46000年以上前のアハマリアンの出現を前提とすると、ヨーロッパのプロトオーリナシアンとの関係が注目されます。上述したように、ヨーロッパのプロトオーリナシアンはレヴァントのアハマリアン起源との仮説も提示されています。しかし、ヨーロッパのプロトオーリナシアンが類似しているのは、レヴァントの前期アハマリアンでも北部ではなく南部で、その他にはレヴァント北部のクサールアキル段階4群(クサールアキル遺跡10層~9層)と類似しており、南部の前期アハマリアンもクサールアキル段階4群もヨーロッパのプロトオーリナシアンに遅れて出現することから、ヨーロッパのプロトオーリナシアンからレヴァント南部の前期アハマリアンおよびレヴァント北部のクサールアキル段階4群へと、文化的拡散が生じた可能性も指摘されています(関連記事)。

 しかし本論文は、アハマリアンとプロトオーリナシアンの体系的比較にまだ欠けているところがあることを認めつつも、骨や木などソフトハンマーの使用による長くまっすぐな石刃製作や貝の装飾品などといった共通点から、「北部前期アハマリアン」がヨーロッパのプロトオーリナシアンの起源になった可能性を指摘します。レヴァントのアハマリアンは遅くとも46000年前に出現しているのにたいして、ヨーロッパのプロトオーリナシアンは44000~41000年前頃で、在来のインダストリーの発展ではなく外来と考えられることから、レヴァントのアハマリアンがヨーロッパに拡散してプロトオーリナシアンに発展したのだろう、というわけです。

 逆に、ヨーロッパの早期オーリナシアンが43500~40000年前で、マノット洞窟におけるレヴァントオーリナシアンの年代が38000~34000年前頃、おそらくは37000~35000年前頃になることから、レヴァントオーリナシアンの起源はヨーロッパのオーリナシアンにある、との見解が提示されています。レヴァントからヨーロッパに拡散したアハマリアン集団が、ヨーロッパでプロトオーリナシアン、さらにはオーリナシアンを発展させ、その担い手の一部がレヴァントに「戻り」、レヴァントオーリナシアンを発展させたのではないか、との見解が提示されています。初期現生人類の文化の拡散は、アフリカもしくはレヴァントのようなアフリカに近接した地域から、ヨーロッパのようなアフリカから遠い地域への一方通行ではなく、その逆もあり得たのではないか、というわけです。

 本論文の見解は興味深いのですが、前期アハマリアンの年代に関して、クサールアキル遺跡およびとウチュアズリ遺跡と、マノット遺跡およびケバラ遺跡の不一致など、レヴァントの早期上部旧石器時代の年代には、まだ不確定なところが多分にあるのは否定できません。また、レヴァント南部乾燥地帯の遺跡に関しては年代測定結果が少なく、さらに1980年代以前の報告と古いため信頼性が劣ることも指摘されています。現時点では、レヴァントの早期上部旧石器時代の年代はおもにより沿岸の地域に基づいており、地域の変異幅を反映していないかもしれない、というわけです。

 アハマリアンは、レヴァント南部の乾燥地帯において、より沿岸部のマノット遺跡やケバラ遺跡よりも新しく、沿岸で始まったアハマリアンが乾燥地帯に拡散した可能性も考えられます。しかし、現時点では、年代の信頼性が低いこともあり、沿岸地帯と乾燥地帯の諸インダストリーの関係には不明なところが多分にあり、この問題の改善には、信頼性の高い年代測定結果を蓄積していくしかないのでしょう。レヴァントの早期上部旧石器時代は、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった出アフリカ集団の拡散と強く関係している可能性があるので、今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Alex B. et al.(2017): Radiocarbon chronology of Manot Cave, Israel and Upper Paleolithic dispersals. Science Advances, 3, 11, e1701450.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.1701450

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