大河ドラマ『西郷どん』第18回「流人 菊池源吾」
西郷吉之助(隆盛)は月照とともに入水しますが、月照は死に、吉之助だけが生き残ります。吉之助は「菊池源吾」という名前で大島(奄美大島)へ流罪となります。忠誠を誓っていたというか、崇拝していた感のある主君の島津斉彬が急死し、追い詰められて月照と入水したものの、自分だけ助かったということで、吉之助は絶望し、自暴自棄になっていました。この最初の流罪の時、吉之助はわりと自由だったそうですが、今回、吉之助はとくに行動が制約されていたわけではなく、ここは史実に近いのかもしれません。目的を見失い、すっかり無気力になった吉之助は、大島の人たちと打ち解けようとはしません。
無気力な吉之助が動いたのは、薩摩藩の代官の横暴を目にした時でした。これは、困窮している民を救おうとしていた以前の吉之助が戻ってきたというよりは、自暴自棄のあまり、死んでもよい、という衝動に突き動かされてのことでしょう。しかし、これを機に吉之助には気力が戻ってくるのではないか、と予感させる場面でした。斉彬のせいで島民は苦しんでいる、と「とぅま(愛加那)」に言われた吉之助が激昂する場面は、王道的な構成になっていたと思います。本作を批判する声の大きな大河ドラマ愛好者は少なくなさそうですが、このように見どころもあるので、私はわりと楽しみに視聴を続けています。「とぅま」と吉之助の関係の接近は、もう少し長く描いてもよかったかもしれませんが、1年間をかけての西郷隆盛の一代記ですから、そこにあまり時間をかけても仕方ないかな、とも思います。「とぅま」が吉之助に反感を抱き、神にその死を願い、吉之助が重体に陥って回復する過程で両者の距離が縮まるという構成は、短い中でなかなかよく描けていたと思います。
今回は、舞台が大島に移り、これまではがらりと雰囲気が違っていました。主要人物の多くも新登場となり、新章に突入した感じです。薩摩藩の過酷な大島支配もしっかりと描かれ、今回は歴史ドラマとしても普遍的な物語としてもなかなか楽しめました。大島編が何回描かれるのか分かりませんが、期待できそうです。「とぅま」役の二階堂ふみ氏も好演していたと思います。気がかりなのは、言葉を割と?忠実に再現して字幕をつけていることで、かつて1990年放送の大河ドラマ『翔ぶが如く』ではこれが不評だったと記憶しているので、本作もその点で批判が寄せられるのではないか、と懸念されます。
無気力な吉之助が動いたのは、薩摩藩の代官の横暴を目にした時でした。これは、困窮している民を救おうとしていた以前の吉之助が戻ってきたというよりは、自暴自棄のあまり、死んでもよい、という衝動に突き動かされてのことでしょう。しかし、これを機に吉之助には気力が戻ってくるのではないか、と予感させる場面でした。斉彬のせいで島民は苦しんでいる、と「とぅま(愛加那)」に言われた吉之助が激昂する場面は、王道的な構成になっていたと思います。本作を批判する声の大きな大河ドラマ愛好者は少なくなさそうですが、このように見どころもあるので、私はわりと楽しみに視聴を続けています。「とぅま」と吉之助の関係の接近は、もう少し長く描いてもよかったかもしれませんが、1年間をかけての西郷隆盛の一代記ですから、そこにあまり時間をかけても仕方ないかな、とも思います。「とぅま」が吉之助に反感を抱き、神にその死を願い、吉之助が重体に陥って回復する過程で両者の距離が縮まるという構成は、短い中でなかなかよく描けていたと思います。
今回は、舞台が大島に移り、これまではがらりと雰囲気が違っていました。主要人物の多くも新登場となり、新章に突入した感じです。薩摩藩の過酷な大島支配もしっかりと描かれ、今回は歴史ドラマとしても普遍的な物語としてもなかなか楽しめました。大島編が何回描かれるのか分かりませんが、期待できそうです。「とぅま」役の二階堂ふみ氏も好演していたと思います。気がかりなのは、言葉を割と?忠実に再現して字幕をつけていることで、かつて1990年放送の大河ドラマ『翔ぶが如く』ではこれが不評だったと記憶しているので、本作もその点で批判が寄せられるのではないか、と懸念されます。
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