アフリカ東部における中期石器時代~後期石器時代への移行
アフリカ東部における中期石器時代~後期石器時代への移行に関する研究(Shipton et al., 2018A)が報道されました。アフリカにおける中期石器時代から後期石器時代への移行は、人間の技術的・文化的・認知的進化における重要な変化との観点から激しく議論されてきました。6万~5万年前頃にアフリカ(の一部地域)で始まる中期石器時代から後期石器時代への移行は、現生人類における認知能力の進化を伴う革命だった、との見解は根強くありますが、21世紀以降に批判が強くなり(関連記事)、近年ではあまり支持されていないように思われます。
中期石器時代~後期石器時代への移行に関する研究については、アフリカ大陸の大半において長期にわたる層序化された遺跡が欠如していることから、対象地域がアフリカ南部に偏在しています。本論文は、アフリカ東部では貴重な事例となる、中期石器時代~鉄器時代にいたる78000年間の信頼できる層序化された考古学的記録を報告しています。本論文が調査対象としたのは、ケニアの湿潤な沿岸森林地帯のパンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟遺跡です。パンガヤサイディ洞窟遺跡では、1~19層まで確認されており(1層から順に古くなります)、17個のオーカー断片や88個のダチョウの卵殻製ビーズや27個の海洋性貝のビーズや8個の骨器や3万個以上の石器など、多くの人工物が発見されました。
パンガヤサイディ洞窟遺跡で得られた古生態学的データからは、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4~1の大半で、熱帯林と草原から構成される環境は安定していたようです。これはアフリカ東部の他地域で得られた記録と一致し、海洋が極端な気候変動を緩和している側面があるようです。このことは、アフリカの他地域で気候が悪化した時でも、パンガヤサイディ洞窟遺跡の周辺地域が待避所として機能していた可能性を示唆します。現生人類(Homo sapiens)はこのような熱帯地域から乾燥地域・寒冷地域まで多様な環境に適応し、そうした柔軟性こそが現生人類の特徴で、地上のほぼ大半の場所に拡散(して他系統の人類を絶滅に追いやることが)できた要因でもあるのでしょう。
パンガヤサイディ洞窟遺跡における人類の占拠の痕跡の密度は、78000~73000年前頃となる19層・18層と17層下部では低くなっています。67000年前頃以降となる16層では技術革新が確認されます。石器技術の点では、小型化が進み、主要な石材が微結晶性石灰岩から潜晶質の石英と燵岩へと変わります。石器の小型化については、狩猟の変化を反映している可能性が指摘されています。象徴的思考の指標とされる人工物では、貝製ビーズが出現するのも16層です。このような技術革新を経て、6万年前頃から遺跡の占拠密度が増大し、それは人口増加を示唆します。
しかし、これは急激な変化を示すような「革命」ではない、とも指摘されています。象徴的思考の考古学的指標となるような遺物では、貝製ビーズは16層と早期に出現したものの、オーカー断片やダチョウの卵殻製ビーズや骨器などが同時に出現したわけではありません。また、中期石器時代の指標とされるルヴァロワ(Levallois)技法と、後期石器時代の指標とされるプリズム石刃技法や背付き石刃に関しても、前者から後者へとある時期に一斉に移行するのではなく、後者の出現後も前者が見られる、と指摘されています。「後期石器時代革命説」で想定されるような、ある時期に「革新的要素」が一括して出現して移行した、との想定は成立しない、というわけです。
パンガヤサイディ洞窟遺跡の事例は、中期石器時代~後期石器時代への移行が急激なものではなく、人類が継続して漸進的に変容していったことを示唆します。また、アフリカの環境が悪化したなかで、アフリカ南部が現生人類にとって待避所となった可能性はすでに指摘されていましたが(関連記事)、パンガヤサイディ洞窟遺跡の事例からは、アフリカ東部においても同様の地域が存在した可能性はかなり高そうです。また、アフリカ南部が現生人類にとって待避所になったとの仮説では、海洋資源が重要だったと想定されていますが、パンガヤサイディ洞窟遺跡では、海洋性の貝をビーズとしても、海洋資源を恒常的に食べていた証拠はない、とのことです。植物や陸上動物が豊富に存在した、ということでしょうか。なお、パンガヤサイディ洞窟遺跡の住人が、ある時期(4万年前頃?)まで現生人類とは異なる系統の人類である可能性は、たいへん低そうではあるものの、無視してよいほどではないだろう、と思います(関連記事)。
参考文献:
Shipton C. et al.(2018A): 78,000-year-old record of Middle and Later stone age innovation in an East African tropical forest. Nature Communications, 9, 1832.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-04057-3
中期石器時代~後期石器時代への移行に関する研究については、アフリカ大陸の大半において長期にわたる層序化された遺跡が欠如していることから、対象地域がアフリカ南部に偏在しています。本論文は、アフリカ東部では貴重な事例となる、中期石器時代~鉄器時代にいたる78000年間の信頼できる層序化された考古学的記録を報告しています。本論文が調査対象としたのは、ケニアの湿潤な沿岸森林地帯のパンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟遺跡です。パンガヤサイディ洞窟遺跡では、1~19層まで確認されており(1層から順に古くなります)、17個のオーカー断片や88個のダチョウの卵殻製ビーズや27個の海洋性貝のビーズや8個の骨器や3万個以上の石器など、多くの人工物が発見されました。
パンガヤサイディ洞窟遺跡で得られた古生態学的データからは、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4~1の大半で、熱帯林と草原から構成される環境は安定していたようです。これはアフリカ東部の他地域で得られた記録と一致し、海洋が極端な気候変動を緩和している側面があるようです。このことは、アフリカの他地域で気候が悪化した時でも、パンガヤサイディ洞窟遺跡の周辺地域が待避所として機能していた可能性を示唆します。現生人類(Homo sapiens)はこのような熱帯地域から乾燥地域・寒冷地域まで多様な環境に適応し、そうした柔軟性こそが現生人類の特徴で、地上のほぼ大半の場所に拡散(して他系統の人類を絶滅に追いやることが)できた要因でもあるのでしょう。
パンガヤサイディ洞窟遺跡における人類の占拠の痕跡の密度は、78000~73000年前頃となる19層・18層と17層下部では低くなっています。67000年前頃以降となる16層では技術革新が確認されます。石器技術の点では、小型化が進み、主要な石材が微結晶性石灰岩から潜晶質の石英と燵岩へと変わります。石器の小型化については、狩猟の変化を反映している可能性が指摘されています。象徴的思考の指標とされる人工物では、貝製ビーズが出現するのも16層です。このような技術革新を経て、6万年前頃から遺跡の占拠密度が増大し、それは人口増加を示唆します。
しかし、これは急激な変化を示すような「革命」ではない、とも指摘されています。象徴的思考の考古学的指標となるような遺物では、貝製ビーズは16層と早期に出現したものの、オーカー断片やダチョウの卵殻製ビーズや骨器などが同時に出現したわけではありません。また、中期石器時代の指標とされるルヴァロワ(Levallois)技法と、後期石器時代の指標とされるプリズム石刃技法や背付き石刃に関しても、前者から後者へとある時期に一斉に移行するのではなく、後者の出現後も前者が見られる、と指摘されています。「後期石器時代革命説」で想定されるような、ある時期に「革新的要素」が一括して出現して移行した、との想定は成立しない、というわけです。
パンガヤサイディ洞窟遺跡の事例は、中期石器時代~後期石器時代への移行が急激なものではなく、人類が継続して漸進的に変容していったことを示唆します。また、アフリカの環境が悪化したなかで、アフリカ南部が現生人類にとって待避所となった可能性はすでに指摘されていましたが(関連記事)、パンガヤサイディ洞窟遺跡の事例からは、アフリカ東部においても同様の地域が存在した可能性はかなり高そうです。また、アフリカ南部が現生人類にとって待避所になったとの仮説では、海洋資源が重要だったと想定されていますが、パンガヤサイディ洞窟遺跡では、海洋性の貝をビーズとしても、海洋資源を恒常的に食べていた証拠はない、とのことです。植物や陸上動物が豊富に存在した、ということでしょうか。なお、パンガヤサイディ洞窟遺跡の住人が、ある時期(4万年前頃?)まで現生人類とは異なる系統の人類である可能性は、たいへん低そうではあるものの、無視してよいほどではないだろう、と思います(関連記事)。
参考文献:
Shipton C. et al.(2018A): 78,000-year-old record of Middle and Later stone age innovation in an East African tropical forest. Nature Communications, 9, 1832.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-04057-3
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