ネアンデルタール人から現生人類への文化的影響
これは4月5日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との関係についてはさまざまなことが言われていますが、非アフリカ系現代人の共通祖先がネアンデルタール人と交雑したことは今ではほぼ定説になっている、と言ってよいでしょう。もっと確実なのは、現生人類は今でも存続し、まず間違いなく、人類史上最も広範に拡散し、最大の人口を有する系統であるのにたいして、ネアンデルタール人は4万年前頃にはおおむね絶滅した系統である(関連記事)、ということです。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは非アフリカ系現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。また、イベリア半島においては、4万年前頃以降のネアンデルタール人生存可能性も指摘されています(関連記事)。
ネアンデルタール人の絶滅要因への関心は高く、さまざまな見解が提示されてきましたが(関連記事)、大きく分けると、寒冷化などといった環境説と、現生人類(Homo sapiens)との直接的・間接的競合を想定する人為説とがあります。おそらく実際には、ネアンデルタール人の各集団の絶滅理由はさまざまで、複合的だったのでしょう。人為説では、現生人類がネアンデルタール人にたいして何らかの点で優位に立っていたと想定されることが多く、認知能力の違いのような先天的要因を重視する見解が主流と言えるでしょうが、人口規模の違いといった後天的な社会要因を重視する見解も提示されています。また、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位がなくとも、ネアンデルタール人の絶滅はあり得る、とも指摘されています(関連記事)。
ネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐年代についてはまだ確定的とはとても言えず、751690年前頃(関連記事)とも63万~52万年前頃(関連記事)とも推定されています。ネアンデルタール人および種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の共通祖先と現生人類系統が分岐した後、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統とが分岐しました(関連記事)。ネアンデルタール人の祖先集団かその近縁集団と推測される、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群の年代が43万年前頃で、その頃にはネアンデルタール人系統とデニソワ人系統は分岐したと考えられることから(関連記事)、ネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐年代が50万年前をくだる可能性はかなり低そうで、おそらくは60万年前以上になるのではないか、と思います。
そうだとすると、ネアンデルタール人と現生人類とで認知能力に何らかの違いがあっても不思議ではありません。その意味で、ネアンデルタール人絶滅の主要な理由の一つとして、現生人類と競合し、何らかの認知能力で現生人類よりも劣っていたことが挙げられるのは、確定的ではないとしても、もっともなところはあると思います。ただ、現時点では、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類集団の出アフリカの時点で、ネアンデルタール人と現生人類との間で技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と指摘されていること(関連記事)には留意すべきでしょう。とはいっても、ネアンデルタール人は現生人類よりも何らかの認知能力で劣っていた、との見解は根強く、上述したように、それにはもっともなところもあります。そのため、現生人類がネアンデルタール人に文化的影響を及ぼした可能性はよく指摘されますが、その逆の主張はきわめて少ないように思います。
たとえば、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期インダストリー」の一つとされるシャテルペロニアン(Châtelperronian)は、ネアンデルタール人化石が共伴しているにも関わらず、現生人類の所産ではないか、とさえ主張されており、そこまでではなくとも、現生人類の強い影響を受けている、との見解も提示されています(関連記事)。これらの見解の根底には、シャテルペロニアンは上部旧石器的であり、そのような「進歩的」な文化をネアンデルタール人が残すとは考えにくい、との認識があるのでしょう。しかし、状況証拠からシャテルペロニアン遺跡のすべてがネアンデルタール人の所産とは考え難いとの見解(関連記事)や、シャテルペロニアンには現生人類の影響が及んでいるとの見解は真剣に検証されるべきとしても、シャテルペロニアンの少なくとも一部はほぼ間違いなくネアンデルタール人の所産と言えるでしょう(関連記事)。
シャテルペロニアンの担い手については関心が高く、そこで問題となっているのは、現生人類からネアンデルタール人への文化的影響であり、その逆ではありません。気になるのは、ごく一部かもしれないとしても、現生人類よりも認知能力の劣るネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼすことはないだろう、との予断が根強くあるのではないか、ということです。もう9年近く前(2009年6月)に、「ネアンデルタール人と現生人類との知的能力について議論されるさい、現生人類には可能でネアンデルタール人には不可能なことがどれだけあったか、という視点で語られることが専らですが、ネアンデルタール人にできて、現生人類にはできない何かがあったのではないか、との視点もときには必要だろう、と思います」と述べましたが(関連記事)、今年(2018年)刊行された更科功『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』(関連記事)では、「ネアンデルタール人の能力が、私たちの物差しでは測れない可能性があることは、覚えていてもよいだろう」と指摘されており(P221)、この観点は重要だと思います。
とはいっても、ネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼした確実な事例はまだない、と言えるでしょう。レヴァントにおいて上部旧石器時代開始の指標もしくは中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期インダストリー」とされ、現生人類が担い手と考えられているエミラン(Emiran)に、ネアンデルタール人が影響を及ぼした可能性も指摘されていますが、とても確定的とは言えない状況です(関連記事)。ネアンデルタール人の皮革加工用骨角器が現生人類に継承された可能性も指摘されていますが、こちらも確定的とは言えません(関連記事)。
今年になって公表された、ネアンデルタール人の所産の可能性が高いとされた、6万年以上前のイベリア半島の複数の洞窟壁画(関連記事)は、現生人類との関係でも大いに注目されます。現時点では、これらよりも古いまず間違いなく現生人類所産の洞窟壁画は確認されていません。これらの洞窟壁画を描いたのが現生人類である可能性はかなり低いでしょうから(無視してよいほど低いとは思いませんが)、とりあえずネアンデルタール人の所産と考えて述べていきますが、形象的な動物の絵に関しては、ネアンデルタール人がイベリア半島に存在した頃のものなのか、確定していないので(関連記事)、その意味では、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いていたとしても、現生人類との認知能力には決定的な違いがあった、との見解は依然として有効かもしれません(関連記事)。
しかし、もちろん、今後アフリカや西アジアで現生人類の描いた5万年以上前の形象的な洞窟壁画が確認される可能性はあるものの、現時点ではそうではありません。また、現時点では現生人類が描いた最初期の洞窟壁画となるスラウェシ島の事例にしても、最初期のものは手形であってさほど「高度な表現」ではない、との評価も可能でしょう(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類との洞窟壁画に決定的な違いを見出すとしても、現生人類の「高度な」壁画は現時点ではネアンデルタール人の絶滅後にしか確認されていないわけで、洞窟壁画の形象的表現の有無を現生人類とネアンデルタール人の認知能力の違いの証拠とするのは妥当ではない、と思います。
現時点で素直に考えると、残存状況に環境の影響が大きいとしても、ヨーロッパにおいて現生人類が描いたと思われる旧石器時代の洞窟壁画が多く発見されているのは、ネアンデルタール人の影響があったからではないでしょうか。もちろん、ネアンデルタール人が現生人類よりも前に洞窟壁画を描いたとしても、それが現生人類に影響を及ぼしたのか、確定したわけではありません。ただ、現生人類がネアンデルタール人との直接的交流で壁画を描くという発想・技法を学んだのではないとしても、ネアンデルタール人滅亡後の上部旧石器時代にはまだ現在よりも多く残っていたかもしれないネアンデルタール人の描いた洞窟壁画を見て、それを「発展」させた可能性もじゅうぶん考えられると思います。現時点で、ネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼした確実な事例はありませんが、確実とはいえないとしても、状況証拠は今後増加する可能性が高い、というのが私の見通しです。
ネアンデルタール人の絶滅要因への関心は高く、さまざまな見解が提示されてきましたが(関連記事)、大きく分けると、寒冷化などといった環境説と、現生人類(Homo sapiens)との直接的・間接的競合を想定する人為説とがあります。おそらく実際には、ネアンデルタール人の各集団の絶滅理由はさまざまで、複合的だったのでしょう。人為説では、現生人類がネアンデルタール人にたいして何らかの点で優位に立っていたと想定されることが多く、認知能力の違いのような先天的要因を重視する見解が主流と言えるでしょうが、人口規模の違いといった後天的な社会要因を重視する見解も提示されています。また、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位がなくとも、ネアンデルタール人の絶滅はあり得る、とも指摘されています(関連記事)。
ネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐年代についてはまだ確定的とはとても言えず、751690年前頃(関連記事)とも63万~52万年前頃(関連記事)とも推定されています。ネアンデルタール人および種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の共通祖先と現生人類系統が分岐した後、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統とが分岐しました(関連記事)。ネアンデルタール人の祖先集団かその近縁集団と推測される、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群の年代が43万年前頃で、その頃にはネアンデルタール人系統とデニソワ人系統は分岐したと考えられることから(関連記事)、ネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐年代が50万年前をくだる可能性はかなり低そうで、おそらくは60万年前以上になるのではないか、と思います。
そうだとすると、ネアンデルタール人と現生人類とで認知能力に何らかの違いがあっても不思議ではありません。その意味で、ネアンデルタール人絶滅の主要な理由の一つとして、現生人類と競合し、何らかの認知能力で現生人類よりも劣っていたことが挙げられるのは、確定的ではないとしても、もっともなところはあると思います。ただ、現時点では、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類集団の出アフリカの時点で、ネアンデルタール人と現生人類との間で技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と指摘されていること(関連記事)には留意すべきでしょう。とはいっても、ネアンデルタール人は現生人類よりも何らかの認知能力で劣っていた、との見解は根強く、上述したように、それにはもっともなところもあります。そのため、現生人類がネアンデルタール人に文化的影響を及ぼした可能性はよく指摘されますが、その逆の主張はきわめて少ないように思います。
たとえば、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期インダストリー」の一つとされるシャテルペロニアン(Châtelperronian)は、ネアンデルタール人化石が共伴しているにも関わらず、現生人類の所産ではないか、とさえ主張されており、そこまでではなくとも、現生人類の強い影響を受けている、との見解も提示されています(関連記事)。これらの見解の根底には、シャテルペロニアンは上部旧石器的であり、そのような「進歩的」な文化をネアンデルタール人が残すとは考えにくい、との認識があるのでしょう。しかし、状況証拠からシャテルペロニアン遺跡のすべてがネアンデルタール人の所産とは考え難いとの見解(関連記事)や、シャテルペロニアンには現生人類の影響が及んでいるとの見解は真剣に検証されるべきとしても、シャテルペロニアンの少なくとも一部はほぼ間違いなくネアンデルタール人の所産と言えるでしょう(関連記事)。
シャテルペロニアンの担い手については関心が高く、そこで問題となっているのは、現生人類からネアンデルタール人への文化的影響であり、その逆ではありません。気になるのは、ごく一部かもしれないとしても、現生人類よりも認知能力の劣るネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼすことはないだろう、との予断が根強くあるのではないか、ということです。もう9年近く前(2009年6月)に、「ネアンデルタール人と現生人類との知的能力について議論されるさい、現生人類には可能でネアンデルタール人には不可能なことがどれだけあったか、という視点で語られることが専らですが、ネアンデルタール人にできて、現生人類にはできない何かがあったのではないか、との視点もときには必要だろう、と思います」と述べましたが(関連記事)、今年(2018年)刊行された更科功『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』(関連記事)では、「ネアンデルタール人の能力が、私たちの物差しでは測れない可能性があることは、覚えていてもよいだろう」と指摘されており(P221)、この観点は重要だと思います。
とはいっても、ネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼした確実な事例はまだない、と言えるでしょう。レヴァントにおいて上部旧石器時代開始の指標もしくは中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期インダストリー」とされ、現生人類が担い手と考えられているエミラン(Emiran)に、ネアンデルタール人が影響を及ぼした可能性も指摘されていますが、とても確定的とは言えない状況です(関連記事)。ネアンデルタール人の皮革加工用骨角器が現生人類に継承された可能性も指摘されていますが、こちらも確定的とは言えません(関連記事)。
今年になって公表された、ネアンデルタール人の所産の可能性が高いとされた、6万年以上前のイベリア半島の複数の洞窟壁画(関連記事)は、現生人類との関係でも大いに注目されます。現時点では、これらよりも古いまず間違いなく現生人類所産の洞窟壁画は確認されていません。これらの洞窟壁画を描いたのが現生人類である可能性はかなり低いでしょうから(無視してよいほど低いとは思いませんが)、とりあえずネアンデルタール人の所産と考えて述べていきますが、形象的な動物の絵に関しては、ネアンデルタール人がイベリア半島に存在した頃のものなのか、確定していないので(関連記事)、その意味では、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いていたとしても、現生人類との認知能力には決定的な違いがあった、との見解は依然として有効かもしれません(関連記事)。
しかし、もちろん、今後アフリカや西アジアで現生人類の描いた5万年以上前の形象的な洞窟壁画が確認される可能性はあるものの、現時点ではそうではありません。また、現時点では現生人類が描いた最初期の洞窟壁画となるスラウェシ島の事例にしても、最初期のものは手形であってさほど「高度な表現」ではない、との評価も可能でしょう(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類との洞窟壁画に決定的な違いを見出すとしても、現生人類の「高度な」壁画は現時点ではネアンデルタール人の絶滅後にしか確認されていないわけで、洞窟壁画の形象的表現の有無を現生人類とネアンデルタール人の認知能力の違いの証拠とするのは妥当ではない、と思います。
現時点で素直に考えると、残存状況に環境の影響が大きいとしても、ヨーロッパにおいて現生人類が描いたと思われる旧石器時代の洞窟壁画が多く発見されているのは、ネアンデルタール人の影響があったからではないでしょうか。もちろん、ネアンデルタール人が現生人類よりも前に洞窟壁画を描いたとしても、それが現生人類に影響を及ぼしたのか、確定したわけではありません。ただ、現生人類がネアンデルタール人との直接的交流で壁画を描くという発想・技法を学んだのではないとしても、ネアンデルタール人滅亡後の上部旧石器時代にはまだ現在よりも多く残っていたかもしれないネアンデルタール人の描いた洞窟壁画を見て、それを「発展」させた可能性もじゅうぶん考えられると思います。現時点で、ネアンデルタール人が現生人類に文化的影響を及ぼした確実な事例はありませんが、確実とはいえないとしても、状況証拠は今後増加する可能性が高い、というのが私の見通しです。
この記事へのコメント
毛深さについては、初期ホモ属において現代人のように体毛が薄くなったと推測されていることから、ネアンデルタール人も現代人とさほど変わらなかったのではないか、と思います。