現生人類とネアンデルタール人の脳構造の違いに起因する認知能力の差(追記有)
現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の脳構造の違いに関する研究(Kochiyama et al., 2018)が報道されました。ネアンデルタール人の絶滅要因への関心は高く、さまざまな見解が提示されてきましたが(関連記事)、大きく分けると、寒冷化などといった環境説と、現生人類(Homo sapiens)との直接的・間接的競合を想定する人為説とがあります。おそらく実際には、ネアンデルタール人の各集団の絶滅理由はさまざまで、複合的だったのでしょう。
人為説では、現生人類がネアンデルタール人にたいして何らかの点で優位に立っていたと想定されることが多く、認知能力の違いのような先天的要因を重視する見解が主流と言えるでしょうが、人口規模の違いといった後天的な社会要因を重視する見解も提示されています。また、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位がなくとも、ネアンデルタール人の絶滅はあり得る、とも指摘されています(関連記事)。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは非アフリカ系現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。
本論文は、現代人の分析に基づき、ネアンデルタール人と初期現生人類の頭蓋から両者の脳の形状を復元し、その違いを検証しています。分析の対象になったのは、ネアンデルタール人個体では、イスラエルの7万~5万年前頃のアムッド1(Amud 1)、フランスの56000~47000年前頃のラシャペルオーサン1(La Chapelle-aux-Saints 1)、フランスのラフェラシー1(La Ferrassie 1)、ジブラルタルの年代不明のフォーブズクオリー1(Forbes’ Quarry 1)の4個体です。初期現生人類の方は、イスラエルの12万~9万年前頃のカフゼー9(Qafzeh 9)、イスラエルの135000~10万年前頃のスフール5(Skhul 5)、チェコの35000年前頃のムラデチュ1(Mladeč 1)、フランスの32000年前頃のクロマニヨン1(Cro-Magnon 1)の4個体です。
ネアンデルタール人と初期現生人類の復元された脳形状の分析・比較から、両者の間には、大きくはなくとも有意な違いが小脳にある、と明らかになりました。現生人類の小脳はネアンデルタール人よりも大きく、それは右側において顕著でした。現代人の小脳と認知能力との相関分析から、小脳は認知柔軟性・注意力・言語処理・エピソード記憶および作業記憶(ワーキングメモリ)の容量と関連していることが明らかになりました。小脳の大きさとこれらの認知能力の高さは比例関係にある、というわけです。そのため、認知的・社会的能力において初期現生人類はネアンデルタール人にたいして優位で、それが現生人類によるネアンデルタール人の置換の要因になったのではないか、と本論文は推測しています。
ただ、これが化石化脳の分析ほど決定的ではないことと、ネアンデルタール人絶滅の唯一の要因ではないことも指摘されています。また、小脳の大きさと上述した認知能力の高さとの相関関係にしても、優位ではあるものの微妙な違いです。じっさい、ネアンデルタール人の所産と考えられる装飾品の報告事例が近年増加してきており(関連記事)、認知的・社会的能力の点で現生人類のネアンデルタール人にたいする優位は、仮にあったとしても微妙なものだったかもしれません。ただ、そうした微妙な違いが最終的には現生人類との競合によりネアンデルタールを絶滅に追いやった可能性も考えられます。また、小脳のサイズと認知能力との関係については、今後もさらなる検証が必要だと思います。
参考文献:
Kochiyama T. et al.(2018): Reconstructing the Neanderthal brain using computational anatomy. Scientific Reports, 8, 6296.
http://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-24331-0
追記(2018年4月28日)
以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
ネアンデルタール人消滅の謎を解くヒントは脳にある
ネアンデルタール人の脳の構造は、その社会的能力と認知能力に影響を及ぼし、ホモ・サピエンスに取って代わられる原因の1つとなった可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。
今回、慶應義塾大学理工学部機械工学科の荻原直道(おぎはら・なおみち)、名古屋大学大学院情報学研究科の田邊宏樹(たなべ・ひろき)たちの研究グループは、ネアンデルタール人の頭蓋化石4つと初期ホモ・サピエンスの頭蓋化石4つの仮想鋳型を用いて、脳のサイズを再現した上で、1185人の被験者の脳のMRIデータを用いて、平均的なヒトの脳のモデルを作成した。次に、研究グループは、このコンピューターモデルを変形させて、頭蓋内鋳型の形状と一致させ、初期ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳の外観と両者間の個別脳領域の差異を推測した。
その結果、初期ホモ・サピエンスの脳はネアンデルタール人の脳より大きくはなかったが、小脳が大きいなど、脳の形態に有意な違いがあることが明らかになった。また、研究グループは、1095人の被験者の既存のデータを用いて、小脳の大きさと各種能力(例えば、言語の理解と産生、作業記憶、認知の柔軟性)の関係を調べた。これらの結果から、初期ホモ・サピエンスの脳とネアンデルタール人の脳に見られる違いは、初期ホモ・サピエンスの認知能力と社会的能力がネアンデルタール人よりも優れていた可能性を示していることが示唆された。これが初期人類の環境変化に対する適応力に影響を及ぼしたことで、ネアンデルタール人よりも高い生存確率につながったのかもしれない。
追記(2018年5月2日)
解説記事が掲載されました。
人為説では、現生人類がネアンデルタール人にたいして何らかの点で優位に立っていたと想定されることが多く、認知能力の違いのような先天的要因を重視する見解が主流と言えるでしょうが、人口規模の違いといった後天的な社会要因を重視する見解も提示されています。また、ネアンデルタール人にたいする現生人類の選択的優位がなくとも、ネアンデルタール人の絶滅はあり得る、とも指摘されています(関連記事)。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは非アフリカ系現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。
本論文は、現代人の分析に基づき、ネアンデルタール人と初期現生人類の頭蓋から両者の脳の形状を復元し、その違いを検証しています。分析の対象になったのは、ネアンデルタール人個体では、イスラエルの7万~5万年前頃のアムッド1(Amud 1)、フランスの56000~47000年前頃のラシャペルオーサン1(La Chapelle-aux-Saints 1)、フランスのラフェラシー1(La Ferrassie 1)、ジブラルタルの年代不明のフォーブズクオリー1(Forbes’ Quarry 1)の4個体です。初期現生人類の方は、イスラエルの12万~9万年前頃のカフゼー9(Qafzeh 9)、イスラエルの135000~10万年前頃のスフール5(Skhul 5)、チェコの35000年前頃のムラデチュ1(Mladeč 1)、フランスの32000年前頃のクロマニヨン1(Cro-Magnon 1)の4個体です。
ネアンデルタール人と初期現生人類の復元された脳形状の分析・比較から、両者の間には、大きくはなくとも有意な違いが小脳にある、と明らかになりました。現生人類の小脳はネアンデルタール人よりも大きく、それは右側において顕著でした。現代人の小脳と認知能力との相関分析から、小脳は認知柔軟性・注意力・言語処理・エピソード記憶および作業記憶(ワーキングメモリ)の容量と関連していることが明らかになりました。小脳の大きさとこれらの認知能力の高さは比例関係にある、というわけです。そのため、認知的・社会的能力において初期現生人類はネアンデルタール人にたいして優位で、それが現生人類によるネアンデルタール人の置換の要因になったのではないか、と本論文は推測しています。
ただ、これが化石化脳の分析ほど決定的ではないことと、ネアンデルタール人絶滅の唯一の要因ではないことも指摘されています。また、小脳の大きさと上述した認知能力の高さとの相関関係にしても、優位ではあるものの微妙な違いです。じっさい、ネアンデルタール人の所産と考えられる装飾品の報告事例が近年増加してきており(関連記事)、認知的・社会的能力の点で現生人類のネアンデルタール人にたいする優位は、仮にあったとしても微妙なものだったかもしれません。ただ、そうした微妙な違いが最終的には現生人類との競合によりネアンデルタールを絶滅に追いやった可能性も考えられます。また、小脳のサイズと認知能力との関係については、今後もさらなる検証が必要だと思います。
参考文献:
Kochiyama T. et al.(2018): Reconstructing the Neanderthal brain using computational anatomy. Scientific Reports, 8, 6296.
http://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-24331-0
追記(2018年4月28日)
以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
ネアンデルタール人消滅の謎を解くヒントは脳にある
ネアンデルタール人の脳の構造は、その社会的能力と認知能力に影響を及ぼし、ホモ・サピエンスに取って代わられる原因の1つとなった可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。
今回、慶應義塾大学理工学部機械工学科の荻原直道(おぎはら・なおみち)、名古屋大学大学院情報学研究科の田邊宏樹(たなべ・ひろき)たちの研究グループは、ネアンデルタール人の頭蓋化石4つと初期ホモ・サピエンスの頭蓋化石4つの仮想鋳型を用いて、脳のサイズを再現した上で、1185人の被験者の脳のMRIデータを用いて、平均的なヒトの脳のモデルを作成した。次に、研究グループは、このコンピューターモデルを変形させて、頭蓋内鋳型の形状と一致させ、初期ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳の外観と両者間の個別脳領域の差異を推測した。
その結果、初期ホモ・サピエンスの脳はネアンデルタール人の脳より大きくはなかったが、小脳が大きいなど、脳の形態に有意な違いがあることが明らかになった。また、研究グループは、1095人の被験者の既存のデータを用いて、小脳の大きさと各種能力(例えば、言語の理解と産生、作業記憶、認知の柔軟性)の関係を調べた。これらの結果から、初期ホモ・サピエンスの脳とネアンデルタール人の脳に見られる違いは、初期ホモ・サピエンスの認知能力と社会的能力がネアンデルタール人よりも優れていた可能性を示していることが示唆された。これが初期人類の環境変化に対する適応力に影響を及ぼしたことで、ネアンデルタール人よりも高い生存確率につながったのかもしれない。
追記(2018年5月2日)
解説記事が掲載されました。
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