ヨーロッパ南部の初期現生人類の環境変動への適応

 これは4月21日分の記事として掲載しておきます。ヨーロッパ南部の初期現生人類(Homo sapiens)の環境変動への適応に関する研究(Riel‐Salvatore, and Negrino., 2018)が報道されました。イタリアのフレグレイ平野(Phlegrean Fields)はナポリ近郊のカルデラで、4万年前頃の大噴火によりヨーロッパの環境に大きな打撃を与えた、と推測されています。この大噴火がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)絶滅の要因になった、との見解も提示されていますが(関連記事)、現生人類やネアンデルタール人に持続的な影響を与えたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。

 本論文は、この4万年前頃のフレグレイ平野の大噴火とその前後の期間の寒冷化といった大きな環境変動が、イタリアのリグリーア(Liguria)州西部、とくにリパロボンブリーニ(Riparo Bombrini)遺跡においてどのような影響を及ぼしたのか、検証しています。なお、この記事の年代は基本的に較正年代です。4万年前頃の寒冷化とは、40200~38600年前頃のハインリッヒイベント(Heinrich Event)4です。フレグレイ平野の大噴火やハインリッヒイベント(以下、HEと省略)4も含む本論文の検証対象時期は海洋酸素同位体ステージ(MIS)3となりますが、MIS3は気候の不安定な期間だった、とされます。

 そうした気候が不安定で、大噴火やHE4といった大きな環境変動の起きた当時のヨーロッパにおいて、人類はどのように対処したのか、あるいは対処できなかったのか、本論文は検証しています。本論文がとくに大きく取り上げているのは上述したようにリパロボンブリーニ遺跡ですが、ここでは中部旧石器時代のムステリアン(Mousterian)から上部旧石器時代最初期もしくは「移行期インダストリー」のプロトオーリナシアン(Proto‐Aurignacian)への移行が見られます。リパロボンブリーニ遺跡のプロトオーリナシアンの担い手は現生人類と推測されています(関連記事)。

 リパロボンブリーニ遺跡では、ネアンデルタール人が担い手と考えられる後期ムステリアンが44000~41000年前頃まで継続し、そのすぐ後にプロトオーリナシアンが始まります。プロトオーリナシアンは40710~35640年前までの5000年間継続しましたが、本論文は、4万年前頃のフレグレイ平野の大噴火とHE4を経てもプロトオーリナシアンが継続した意義を強調しています。この間、プロトオーリナシアンには環境変動への適応を表しているかもしれない変容も見られるものの、石器技術や地理的分布はたいへん安定している、と本論文は指摘します。リグリーア州西部地域の初期現生人類は、大きな環境変動にも関わらず、絶滅せず、またこの地域を放棄しなかった、というわけです。

 本論文は、石器に用いられた燧石のなかに数百km離れた場所から持ち込まれたものもあったことから、当時のヨーロッパ南部の初期現生人類には遠距離交易を可能とする広範な社会的ネットワークが存在し、危機には他集団を頼ることで、生存確率を高めたのではないか、と推測しています。初期現生人類は広範な社会的ネットワークの構築により大きな環境変動といった危機に柔軟に対応したのではないか、というわけです。これは、あるいは現生人類とネアンデルタール人との大きな違いかもしれません。

 最近では、人類に大打撃を与えたとされる、74000年前頃となるスマトラ島のトバ噴火についても、現生人類が絶滅の危機に陥るようなことはなかったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。上記報道でも指摘されているように、温暖化など現代人にとっての脅威も、広範で柔軟な社会的ネットワークの構築・維持により乗り切ることができるのではないか、との希望を抱かせる研究と言えるかもしれません。ただ、こうした広範で柔軟な社会的ネットワークに関しては、あるいはネアンデルタール人も潜在的には構築できたかもしれない、との観点も忘れてはならないと思います。


参考文献:
Riel‐Salvatore J, and Negrino F.(2018): Human adaptations to climatic change in Liguria across the Middle–Upper Paleolithic transition. Journal of Quaternary Science, 33, 3, 313–322.
http://dx.doi.org/10.1002/jqs.3005

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