中央アナトリア高原における初期農耕の伝播

 これは3月22日分の記事として掲載しておきます。中央アナトリア高原における初期農耕の伝播に関する研究(Baird et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。南西アジアの「肥沃な三日月地帯」は、紀元前10世紀~紀元前9世紀という、世界でも最初期に農耕の始まった地域です。ここから周辺地域にどのように農耕が伝播したのか、本論文は検証しています。かつては、狩猟採集から農耕・牧畜への移行は移住民を伴い短期間だった、と考えられていましたが、本論文の提示する見解は異なります。

 本論文は、中央アナトリア高原のボンジュクル(Boncuklu)における最初期の農耕を検証しています。ボンジュクルでは、紀元前9000年紀の半ばに耕作が始まります。石器と古代DNAの分析からは、農耕を採用したのは在来の狩猟採集民集団だった、と考えられます。狩猟採集社会から農耕社会への移行において、人間の移動が大きな役割を果たしたのか、それとも人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が重要だったのか、議論が続いてますが(関連記事)、農耕の伝播が西アジアでは、少なくとも一部地域において、人間の移動をあまり伴わないような文化伝播が農耕の拡大に重要な役割を果たしたのではないか、と示唆されています(関連記事)。おそらく、狩猟採集社会から農耕社会への移の具体的様相は、地域により異なるのでしょう。

 本論文が強調しているのは、ボンジュクルにおける初期の農耕や牧畜の水準は低く、食性における割合は低かっただろう、ということです。小麦やレンズ豆やエンドウ豆はじゅうぶんに栽培化された痕跡が見られず、ヒツジとヤギのコラーゲンの窒素同位体からは、たいへん小規模な牧畜の試行が示唆されています。この低水準の農耕・牧畜の状況は、少なくとも5世紀にわたって持続しました。ボンジュクルにおいては、狩猟採集社会から農耕社会への移行期間は短くなかった、というわけです。おそらく、この移行期間の長短も、各地域により異なるのでしょう。また本論文は、低水準の農耕・牧畜でも持続すれば大きな社会的影響を及ぼす、と指摘しています。

 本論文がもう一つ強調しているのは、農耕への移行を拒否したと考えられる共同体も同時代に存在した、ということです。ボンジュクルの30km南方に位置するプナルバシュ(Pınarbaşı)では、アナトリア高原に農耕が伝播してからも、狩猟採集生活様式が維持されました。本論文は、これは農耕の採用にたいする抵抗だったのではないか、と解釈しています。農耕の拡大は均一でも必然的でもなかった、というわけです。本論文は、農耕・牧畜の採用は、単純な経済的関心に動機づけられていなかったかもしれない、と指摘しています。


参考文献:
Baird D. et al.(2018): Agricultural origins on the Anatolian plateau. PNAS, 115, 14, E3077–E3086.
https://doi.org/10.1073/pnas.1800163115

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