フニペロ=セラへのローマ教皇の対応の違い
これは3月22日分の記事として掲載しておきます。以前、一神教について雑感を述べ、フニペロ=セラについて言及しましたが(関連記事)、最近になって新たな情報を得たので、追記としてこの記事を掲載します。北アメリカ大陸での残虐行為で知られるセラについては、上記の記事を掲載してから4年以上経過しても、ウィキペディアで得た以上の知識をほとんど得ておらず、相変わらず怠惰なのですが、いつかはまともな関連本を読もう、と考えています。
4年以上前(2013年12月)の上記記事の時点では、セラは1988年に列福されていたものの、まだ列聖は見送られ続けている状況でした。しかし、現ローマ教皇フランシスコは、セラへの批判を知っており、カトリックのアメリカ大陸における所業を謝罪しつつも、2015年9月のアメリカ合衆国訪問のさいに、セラを列聖して儀式を行ない、セラはカトリック教会において聖人とされた、とのことです(関連記事)。これにたいして、セラの列聖に反対する請願に1万人が署名した、とのことです(関連記事)。セラを列福したのは先々代のローマ教皇ヨハネ=パウロ2世で、先代のローマ教皇ベネディクト16世の間は、列聖は見送られ続けていたことになります。
ヨハネ=パウロ2世は、冷戦構造の崩壊に貢献し、他宗教との和解に尽力したということで、今でも評価が高いと思いますが、イデオロギーは保守的だった、と評価されていたように記憶しています。そのヨハネ=パウロ2世を支え、カトリック教会の代表的な保守派と考えられていたのがベネディクト16世で、ヨハネ=パウロ2世の後継者を選出するコンクラーヴェの結果が出る前に、ある「リベラル」のカトリック信者が、保守反動派のラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世)がローマ教皇に選出されてほしくはない、とネットで発言していたことを記憶しています。
現ローマ教皇フランシスコは、わりと「リベラル」派にも高評価のように思われるのですが、その現ローマ教皇が、おそらくはセラの所業を詳しく知りつつも、長年にわたって見送られてきたセラの列聖を行なったのは、カトリック教会というか、そもそもキリスト教に詳しくない部外者にとっては意外なことでした。通俗的な印象では、むしろベネディクト16世の時点で列聖されたとしても不思議ではなさそうに思います。現ローマ教皇フランシスコは、ローマ教皇としては初のアメリカ大陸出身者で、それも関係しているのかもしれませんが、カトリック教会についてほとんど調べてこなかった門外漢には、どうもよく分かりません。とりあえず、セラが現ローマ教皇フランシスコにより列聖された、という情報を追記しておきます。
4年以上前(2013年12月)の上記記事の時点では、セラは1988年に列福されていたものの、まだ列聖は見送られ続けている状況でした。しかし、現ローマ教皇フランシスコは、セラへの批判を知っており、カトリックのアメリカ大陸における所業を謝罪しつつも、2015年9月のアメリカ合衆国訪問のさいに、セラを列聖して儀式を行ない、セラはカトリック教会において聖人とされた、とのことです(関連記事)。これにたいして、セラの列聖に反対する請願に1万人が署名した、とのことです(関連記事)。セラを列福したのは先々代のローマ教皇ヨハネ=パウロ2世で、先代のローマ教皇ベネディクト16世の間は、列聖は見送られ続けていたことになります。
ヨハネ=パウロ2世は、冷戦構造の崩壊に貢献し、他宗教との和解に尽力したということで、今でも評価が高いと思いますが、イデオロギーは保守的だった、と評価されていたように記憶しています。そのヨハネ=パウロ2世を支え、カトリック教会の代表的な保守派と考えられていたのがベネディクト16世で、ヨハネ=パウロ2世の後継者を選出するコンクラーヴェの結果が出る前に、ある「リベラル」のカトリック信者が、保守反動派のラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世)がローマ教皇に選出されてほしくはない、とネットで発言していたことを記憶しています。
現ローマ教皇フランシスコは、わりと「リベラル」派にも高評価のように思われるのですが、その現ローマ教皇が、おそらくはセラの所業を詳しく知りつつも、長年にわたって見送られてきたセラの列聖を行なったのは、カトリック教会というか、そもそもキリスト教に詳しくない部外者にとっては意外なことでした。通俗的な印象では、むしろベネディクト16世の時点で列聖されたとしても不思議ではなさそうに思います。現ローマ教皇フランシスコは、ローマ教皇としては初のアメリカ大陸出身者で、それも関係しているのかもしれませんが、カトリック教会についてほとんど調べてこなかった門外漢には、どうもよく分かりません。とりあえず、セラが現ローマ教皇フランシスコにより列聖された、という情報を追記しておきます。
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