新石器時代~青銅器時代のイベリア半島の人類史

 これは3月19日分の記事として掲載しておきます。新石器時代~青銅器時代のイベリア半島の人類のゲノム解析結果を報告した研究(Valdiosera et al., 2018)が報道されました。完新世の先史時代ヨーロッパにおいては、大きな移住の波が二つありました。一つは西アジア起源の農耕民集団で、アナトリア半島を経由してヨーロッパに拡散し、ヨーロッパに初めて農耕をもたらしました。大まかな傾向としては、更新世からのヨーロッパ在来の狩猟採集民集団は東方からの初期農耕民集団にゆっくりと同化されていったものの(関連記事)、その具体的な様相は地域により違いも見られます(関連記事)。もう一つの大きな移住の波は、5000年前頃に始まる、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの遊牧民集団の拡散です。これは、ヨーロッパにおいて大きな遺伝的影響を及ぼした、とされています(関連記事)。

 本論文は、放射性炭素年代測定法による較正年代で7245年前~3500年前頃となる13人のゲノム配列を決定し、現代および過去のヨーロッパ人から得られたゲノムデータと比較しました。網羅率は0.01倍~12.9倍です。性別は、男性が11人、女性が2人です。ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループでは、13人9人がヨーロッパの初期農耕民と関連するK・J・N・Xに、2人がヨーロッパの初期農耕民および狩猟採集民と関連するHに分類されます。Y染色体のハプログループでも、ヨーロッパの初期農耕民と関連するG2a2やH2が見られる一方で、ヨーロッパの初期農耕民および狩猟採集民と関連するI2が見られます。

 分析・比較の結果明らかになったのは、この期間のイベリア半島内の農耕民集団の遺伝的違いは、地域間ではさほど大きくなく、各年代間では大きい、ということです。イベリア半島の初期農耕民集団は、ヨーロッパの他地域の初期農耕民集団と同様に、西アジアからアナトリア半島を経由して(おそらくは地中海北岸沿いに)東進してきましたが、中央ヨーロッパの初期農耕民集団とは遺伝的に区分され得ます。これは、東方からのアナトリア半島経由の初期農耕民集団のヨーロッパにおける拡散が、複数存在したことを示しています。また、イベリア半島の初期農耕民集団の遺伝的多様性はヨーロッパの他地域の初期農耕民集団よりも低く、ボトルネック(瓶首効果)があったことを示唆しています。このイベリア半島の初期農耕民集団と、サルデーニャ島の現代人とは遺伝的に強い関係が見られます。サルデーニャ島の現代人には、東方からの初期農耕民集団の遺伝的影響が今でも強く残っているようです。

 イベリア半島の農耕民集団の遺伝的多様性は、新石器時代中期には他地域と比較してさほど変わらないまでに増加します。これは、人口増加と、イベリア半島の狩猟採集民集団との混合が進んだためだと推測されています。上述したように、5000年前頃に始まる、ポントス-カスピ海草原からの遊牧民集団の拡散は、ヨーロッパにおいて大きな遺伝的影響を及ぼした、とされます。しかし本論文は、イベリア半島においては、ヨーロッパの他地域と比較して、この遊牧民集団の遺伝的影響は顕著に小さかった、と指摘しています。また本論文は、イベリア半島の農耕民集団における食性が、狩猟採集民集団との相互作用にも関わらず、長期にわたって大きな変化はなく、地域差も小さかった、と指摘しています。イベリア半島の農耕民集団はC3植物に依存する食性を変えず、水産タンパク質源の消費は少なかった、というわけです。


参考文献:
Valdiosera C. et al.(2018): Four millennia of Iberian biomolecular prehistory illustrate the impact of prehistoric migrations at the far end of Eurasia. PNAS, 115, 13, 3428–3433.
https://doi.org/10.1073/pnas.1717762115

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