南アジアにおける中部旧石器文化的石器(追記有)
これは2月5日分の記事として掲載しておきます。南アジアにおける中部旧石器文化的石器についての研究(Akhilesh et al., 2018)が報道されました。これまで、南アジアにおける下部旧石器時代のアシューリアン(Acheulian)から中部旧石器時代への移行は14万~9万年前頃に起きたと考えられており、アフリカ起源の現生人類(Homo sapiens)のユーラシアへの早期拡散と関連づけられていました。この研究は、インド南東部のチェンナイ市から60km離れたアッティラムパッカム(Attirampakkam)遺跡で発見された中部旧石器文化的な石器群を報告しています。
アッティラムパッカム遺跡では、177万~102万年前頃の下部旧石器文化となる握斧が発見されています。その上層で中部旧石器文化的な石器群が発見されており、年代は385000±6400~172000±4100年前と推定されています。これは、南アジアでは最古の中部旧石器的文化となります。アッティラムパッカム遺跡では38万年前頃より、両面加工石器の段階的な不使用・小さな石器の優勢・特有で多様なルヴァロワ(Levallois)石器技術の剥片と尖頭器の出現・石刃要素などが見られ、先行するアシューリアンの大きな剥片技術からの顕著な変化が確認される、とこの研究は指摘しています。ただ、この中部旧石器文化的な石器群は、完全な中部旧石器というよりは、アシューリアンの下部旧石器から中部旧石器への移行的な石器群ではないか、との見解も提示されています。
この研究は、南アジアにおける中部旧石器文化をアフリカ起源の現生人類の早期の拡散と関連づける見解の見直しを提言しています。しかし、この研究も認めるように、そもそもこの時期以前の南アジアの人類化石はきわめて乏しく、アッティラムパッカム遺跡の中部旧石器文化的な石器群の担い手がどの人類系統なのか、現時点では不明です。アッティラムパッカム遺跡では、下部旧石器から中部旧石器的な石器群への移行の間に、人類の痕跡の確認されていない長い中断期間(102万~38万年前頃)があるのですが、この時期に南アジアの他地域では下部旧石器が確認されているので、理由は不明ながら、アッティラムパッカム遺跡周辺から人類が撤退したのではないか、と推測されています。
アッティラムパッカム遺跡の38万~17万年前頃の石器群をどう位置づけるのか、今後も議論は続きそうですが、中部旧石器文化的な石器群が38万年前頃に南アジアに存在した可能性は高そうです。この研究も認めるように、その担い手は不明で、他地域からの影響の有無・程度もまだ想像の域を出ません。ルヴァロワ技術はアフリカ南部で50万年以上前までさかのぼる可能性があり(関連記事)、コーカサスでは33万年前頃までさかのぼると確認されていますから(関連記事)、アッティラムパッカム遺跡の38万~17万年前頃の石器群は、アフリカ起源のホモ属集団が西アジアから南アジアへと拡散し、先住のホモ属集団との融合の過程で発達していった地域的な中部旧石器的文化なのかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です(引用1および引用2)。
【考古学】人類の進化に関する重要学説の再考を促す人工遺物がインドで出土
インドにいたヒト族が中期旧石器時代の文化を生み出したのは約38万5000年前で、これまで考えられていた年代よりかなり前だったという見解を示した研究論文が、今週掲載される。この新知見は、アフリカで誕生した初期人類が世界各地に拡散したとする従来の仮説の再検討を促すものとなる可能性がある。
ヒト族は、少なくとも170万年前にアフリカから世界各地に移動した際、アシュール文化に特徴的な技術である握斧(ハンドアックス)を持ち出した。当時の骨格材料が極めてまれなため、ユーラシアでの人類の進化は、道具類の変遷を通じて明らかにされてきた。今回、Shanti Pappuたちの研究グループは、インド南部のアッティランパッカム遺跡から出土した7000点以上の石器を調べ、アシュール文化の技術から中期旧石器時代の技法(例えば、ルバロワ文化独自の石を砕く技術)への移行を総合的に実証した。以上の新知見から、約38万5000年前のインドで中期旧石器時代の文化が生まれたことが示唆された。中期旧石器時代の文化は、これとほぼ同時代にアフリカとヨーロッパで発達したことが知られている。
ヨーロッパとアフリカ以外の地域で中期旧石器時代への移行を解明することは、ユーラシアにおけるヒト族の生活と時代、特にアフリカでの解剖学的な現生人類の出現とその後のアフリカからの移動に関する研究にとって極めて重要だ。今回の研究で得られた新知見は、現生人類がアフリカから移動して中期旧石器時代の技術を伝播させるはるか以前に、インドで本格的な中期旧石器時代の文化が存在していたことを示唆している。このことは、アフリカからの移動がこれまで考えられていた時期より前のことであったか、インドでの中期旧石器時代の発達に地域的な影響が関与していたのか、あるいはその両方であったことを暗示している可能性がある。
人類学:約38万5000~17万2000年前のインドに中期旧石器時代前期の文化が存在したことによる出アフリカモデルの見直し
人類学:アフリカを出てアジアへ
ホモ・エレクトス(Homo erectus)やその近縁種からなるヒト族は、170万年以上前にアフリカを離れた際、「アシュール文化の握斧」として知られる特徴的な石器を持ち出した。その後のユーラシアにおけるヒトの進化は、骨格標本が極めて少ないために、使用されていた石器の変化、とりわけ、アシュール文化の技術から中期旧石器時代(アフリカでは「中期石器時代」として知られる)の技術への漸進的な移行として表される場合が多い。アフリカおよびヨーロッパの外での中期旧石器時代への移行は、ユーラシアでのヒト族の生活、そして特に、解剖学的現生人類の出アフリカとそれに続く移動を理解する上で極めて重要である。インドではこれまで、限られた証拠しか発見されていなかったが、S Pappuたちは今回、インド南部のアッティランパッカム遺跡から得られた新たなデータを提示している。遺跡の年代から、インドでは中期旧石器時代が約38万5000年前に始まったことが示唆された。この年代は、ヨーロッパやアフリカで見いだされている中期旧石器時代の始まりの年代と同時期であり、インドでの中期旧石器時代への移行が、現生人類の南アジアへの広がりに関する従来の説で示唆されている年代をはるかにさかのぼることを示している。
参考文献:
Akhilesh K. et al.(2018): Early Middle Palaeolithic culture in India around 385–172 ka reframes Out of Africa models. Nature, 554, 7690, 97–101.
http://dx.doi.org/10.1038/nature25444
追記(2018年2月2日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
アッティラムパッカム遺跡では、177万~102万年前頃の下部旧石器文化となる握斧が発見されています。その上層で中部旧石器文化的な石器群が発見されており、年代は385000±6400~172000±4100年前と推定されています。これは、南アジアでは最古の中部旧石器的文化となります。アッティラムパッカム遺跡では38万年前頃より、両面加工石器の段階的な不使用・小さな石器の優勢・特有で多様なルヴァロワ(Levallois)石器技術の剥片と尖頭器の出現・石刃要素などが見られ、先行するアシューリアンの大きな剥片技術からの顕著な変化が確認される、とこの研究は指摘しています。ただ、この中部旧石器文化的な石器群は、完全な中部旧石器というよりは、アシューリアンの下部旧石器から中部旧石器への移行的な石器群ではないか、との見解も提示されています。
この研究は、南アジアにおける中部旧石器文化をアフリカ起源の現生人類の早期の拡散と関連づける見解の見直しを提言しています。しかし、この研究も認めるように、そもそもこの時期以前の南アジアの人類化石はきわめて乏しく、アッティラムパッカム遺跡の中部旧石器文化的な石器群の担い手がどの人類系統なのか、現時点では不明です。アッティラムパッカム遺跡では、下部旧石器から中部旧石器的な石器群への移行の間に、人類の痕跡の確認されていない長い中断期間(102万~38万年前頃)があるのですが、この時期に南アジアの他地域では下部旧石器が確認されているので、理由は不明ながら、アッティラムパッカム遺跡周辺から人類が撤退したのではないか、と推測されています。
アッティラムパッカム遺跡の38万~17万年前頃の石器群をどう位置づけるのか、今後も議論は続きそうですが、中部旧石器文化的な石器群が38万年前頃に南アジアに存在した可能性は高そうです。この研究も認めるように、その担い手は不明で、他地域からの影響の有無・程度もまだ想像の域を出ません。ルヴァロワ技術はアフリカ南部で50万年以上前までさかのぼる可能性があり(関連記事)、コーカサスでは33万年前頃までさかのぼると確認されていますから(関連記事)、アッティラムパッカム遺跡の38万~17万年前頃の石器群は、アフリカ起源のホモ属集団が西アジアから南アジアへと拡散し、先住のホモ属集団との融合の過程で発達していった地域的な中部旧石器的文化なのかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です(引用1および引用2)。
【考古学】人類の進化に関する重要学説の再考を促す人工遺物がインドで出土
インドにいたヒト族が中期旧石器時代の文化を生み出したのは約38万5000年前で、これまで考えられていた年代よりかなり前だったという見解を示した研究論文が、今週掲載される。この新知見は、アフリカで誕生した初期人類が世界各地に拡散したとする従来の仮説の再検討を促すものとなる可能性がある。
ヒト族は、少なくとも170万年前にアフリカから世界各地に移動した際、アシュール文化に特徴的な技術である握斧(ハンドアックス)を持ち出した。当時の骨格材料が極めてまれなため、ユーラシアでの人類の進化は、道具類の変遷を通じて明らかにされてきた。今回、Shanti Pappuたちの研究グループは、インド南部のアッティランパッカム遺跡から出土した7000点以上の石器を調べ、アシュール文化の技術から中期旧石器時代の技法(例えば、ルバロワ文化独自の石を砕く技術)への移行を総合的に実証した。以上の新知見から、約38万5000年前のインドで中期旧石器時代の文化が生まれたことが示唆された。中期旧石器時代の文化は、これとほぼ同時代にアフリカとヨーロッパで発達したことが知られている。
ヨーロッパとアフリカ以外の地域で中期旧石器時代への移行を解明することは、ユーラシアにおけるヒト族の生活と時代、特にアフリカでの解剖学的な現生人類の出現とその後のアフリカからの移動に関する研究にとって極めて重要だ。今回の研究で得られた新知見は、現生人類がアフリカから移動して中期旧石器時代の技術を伝播させるはるか以前に、インドで本格的な中期旧石器時代の文化が存在していたことを示唆している。このことは、アフリカからの移動がこれまで考えられていた時期より前のことであったか、インドでの中期旧石器時代の発達に地域的な影響が関与していたのか、あるいはその両方であったことを暗示している可能性がある。
人類学:約38万5000~17万2000年前のインドに中期旧石器時代前期の文化が存在したことによる出アフリカモデルの見直し
人類学:アフリカを出てアジアへ
ホモ・エレクトス(Homo erectus)やその近縁種からなるヒト族は、170万年以上前にアフリカを離れた際、「アシュール文化の握斧」として知られる特徴的な石器を持ち出した。その後のユーラシアにおけるヒトの進化は、骨格標本が極めて少ないために、使用されていた石器の変化、とりわけ、アシュール文化の技術から中期旧石器時代(アフリカでは「中期石器時代」として知られる)の技術への漸進的な移行として表される場合が多い。アフリカおよびヨーロッパの外での中期旧石器時代への移行は、ユーラシアでのヒト族の生活、そして特に、解剖学的現生人類の出アフリカとそれに続く移動を理解する上で極めて重要である。インドではこれまで、限られた証拠しか発見されていなかったが、S Pappuたちは今回、インド南部のアッティランパッカム遺跡から得られた新たなデータを提示している。遺跡の年代から、インドでは中期旧石器時代が約38万5000年前に始まったことが示唆された。この年代は、ヨーロッパやアフリカで見いだされている中期旧石器時代の始まりの年代と同時期であり、インドでの中期旧石器時代への移行が、現生人類の南アジアへの広がりに関する従来の説で示唆されている年代をはるかにさかのぼることを示している。
参考文献:
Akhilesh K. et al.(2018): Early Middle Palaeolithic culture in India around 385–172 ka reframes Out of Africa models. Nature, 554, 7690, 97–101.
http://dx.doi.org/10.1038/nature25444
追記(2018年2月2日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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