ネアンデルタール人の洞窟壁画との見解に懐疑的な報道
これは2月27日分の記事として掲載しておきます。6万年以上前となる、イベリア半島のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が描いたと考えられる洞窟壁画を報告した研究(関連記事)は、日本でも大きな話題を呼んでいるようです。この研究と同じ頃に公表された、イベリア半島における貝殻と顔料の使用(関連記事)からも、ネアンデルタール人の象徴的行動は確実になった、と主張されています。しかし、ネアンデルタール人について検索していて見つけたブログ記事では、独特なネアンデルタール人論(関連記事)を主張する橋本琴絵氏(のアカウントの中の人)が、ネアンデルタール人の洞窟壁画との見解に噛みついていることが紹介されていました。たとえば、
ネアンデルタールと聞いて呟かざるを得ませんが、アフリカの人間がヨーロッパに移動して壁画を描いてアフリカに帰っただけの事例であり、ネアンデルタールが描いたとする科学的理由は無いフェイクニュースです。
との呟きや、
仮にネアンデルタールが描画したならば大規模かつ大量に見つかります。こうした絵はヨーロッパに旅行した人類が描いてアフリカに帰ったものといえます。
との呟きです。上記のブログ記事では、「何の根拠もない、ただの願望である」と橋本氏の見解が一蹴されていますが、6万年以上前とされるイベリア半島の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人ではなく現生人類かもしれない、との見解も報道されています。これはイスラエルのハアレツ紙のサイトに掲載されたやや長めの記事で、ハアレツはイスラエルの「リベラル」寄りの「高級紙」とのことです。この評価が妥当なのか、イスラエルの報道機関の事情に詳しいわけではないので、私には分かりませんが。
ハアレツ紙のこの記事は、ネアンデルタール人の洞窟壁画や貝殻・顔料の使用を報告した2本の論文の筆頭著者であるホフマン(Dirk Hoffmann)氏の見解も紹介しつつ、ホフマン氏の見解に批判的なクーリッジ(Frederick L. Coolidge)氏を大きく取り上げ、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いたのか、疑問視する見解を提示しています。専門家の見解がやや詳しく取り上げられているので、その点では貴重な記事と言えるでしょう。
とくに、ホフマン氏が、ネアンデルタール人が壁画を描いた洞窟では形象的な動物の絵も見られるものの、その年代は不明なので、ネアンデルタール人が描いたのか否か、まだ判断はできない、と認めているところは重要です。じゅうらい、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の大きな違いの証拠として、現生人類とは異なりネアンデルタール人は洞窟壁画を残さなかったことが挙げられていました。しかし近年では、ネアンデルタール人の線刻(関連記事)などの事例から、ネアンデルタール人が壁画を描けた可能性を否定せず、形象的な線画の有無が現生人類とネアンデルタール人との違いだろう、との見解も提示されています(関連記事)。その意味で、ネアンデルタール人「見直し論」の代表的研究者であるジリャオン(João Zilhão)氏が主張しているような、ネアンデルタール人と現生人類との間に決定的な認知能力の違いはない、との見解は、ネアンデルタール人の所産と考えられるイベリア半島の洞窟壁画により確証された、とまでは言えないでしょう。クーリッジ氏は、ネアンデルタール人が描いたとされるイベリア半島の洞窟壁画は、フランス南部のショーヴェ洞窟(Grotte Chauvet)など現生人類の形象的な壁画とは大きく異なる、と指摘しています。
ただ、ハアレツ紙の記事の論調は、ネアンデルタール人が6万年以上前に洞窟壁画を描いた可能性を認めつつ、ネアンデルタール人と現生人類との間にはなおも決定的な認知能力の違いがあった、と主張するものではなく、そもそも現生人類が6万年以上前にアフリカからイベリア半島に拡散しており、洞窟壁画を描いたのではないか、というものです。近年、現生人類がじゅうらいの想定よりもずっと早くアフリカから世界中に拡散していたのではないか、との見解が有力になりつつあります。ハアレツ紙の記事でもその証拠として言及されていたように、イスラエルのミスリヤ洞窟(Misliya Cave)では、194000~177000年前頃の現生人類的な上顎が発見されています(関連記事)。したがって、6万年以上前にイベリア半島に現生人類が拡散していた可能性もあるのではないか、というわけです。
しかし、ヨーロッパにおける現生人類の確実な痕跡は5万年以上前にはなく、ヨーロッパの(典型的な)中部旧石器時代までには、ヨーロッパには現生人類が存在しなかった、との見解が広く受け入れられています。それ故に、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人だ、と考えられたわけです。しかし、ハアレツ紙の記事は、現時点での証拠の欠如は不在の証明にはならず、そもそも旧石器時代の人類化石の証拠は稀だとして(したがって、今後発見される可能性もあるわけです)、現生人類が6万年以上前にイベリア半島に存在した可能性を指摘します。
私もその可能性を少しは想定しておくべきだと考えていますし(関連記事)、確かに、一般論として現時点での証拠の欠如は不在の証明にはなりません。しかし、少なくとも他地域と比較して更新世の人類の痕跡の発掘・研究が大きく進んでいるヨーロッパにおいて、長年の努力にも関わらず、5万年前頃よりもさかのぼる現生人類の確実な痕跡が発見されていないのですから、ヨーロッパにおいて5万年以上前には現生人類は存在しなかった可能性がかなり高い、と考えるべきでしょう。正直なところ、ハアレツ紙の記事は、現生人類が6万年以上前にイベリア半島で洞窟壁画を描いたと断定はしていないものの、かなり低い可能性に固執しているように思われ、ネアンデルタール人への悪意があるのではないか、とすら邪推したくなります。
このようなハアレツ紙の記事の論調の前提にあるのは、ネアンデルタール人の認知能力にたいする低い評価のようです。それは、ネアンデルタール人「見直し論」の代表的研究者であるジリャオン氏が主張しているような、ネアンデルタール人と現生人類との間に決定的な認知能力の違いはない、との見解にたいする強い懐疑のように思われます。それ自体は妥当な認識で、確かに、ネアンデルタール人と現生人類との間に何らかの点で決定的な認知能力の違いが存在した可能性は低くないように思います。しかし、ハアレツ紙の記事が取り上げているように、ネアンデルタール人と現生人類との脳の形状の違いといった間接的証拠もありますが、現時点では、それも仮説にすぎない、と言うべきでしょう。
このように、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する見解の前提になっているのは、けっきょくネアンデルタール人は絶滅し(もっとも、ネアンデルタール人のDNAは現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)、現生人類は現在も生存している、という事実に立脚しています。ハアレツ紙の記事がおもに依拠しているクーリッジ氏は、これは1000回再現すればそのうち半分ほどはネアンデルタール人ではなく現生人類の方が絶滅するだろう、といったネアンデルタール人「見直し」論者が時として主張するような偶然ではなく、両者の間に認知能力などの点で違いがあったからだ、と考えています。クーリッジ氏は、ネアンデルタール人は使っていた証拠のない弓矢や投槍器などの技術革新による現生人類の優位性を想定しています。
また、上述したように、ショーヴェ洞窟など現生人類が上部旧石器時代に残した大量の芸術と比較すると、ネアンデルタール人による芸術活動の痕跡は稀だ、とクーリッジ氏は指摘します。ハアレツ紙の記事は、こうした認識を前提として、そもそもネアンデルタール人が洞窟壁画を描けるような認知能力を有していたのか怪しく、それならば、現生人類がイベリア半島に6万年以上前に拡散して洞窟壁画を描いたと考える方が節約的ではないか、という論理に基づいているように思われます。
しかし、現生人類と比較してのネアンデルタール人の芸術活動の痕跡の貧困という認識には、かなりの問題があるように思います。まず、芸術活動の痕跡において、4万年前頃以降のヨーロッパにおける現生人類と、イベリア半島南部など一部を除いて(関連記事)4万年前頃までにはおおむね絶滅したと考えられるネアンデルタール人(関連記事)とを比較することが妥当ではない、と言うべきでしょう。都市成立以降の文化と更新世の文化を比較して、更新世の現生人類は都市成立以降の現生人類と比較して愚かだった、と考える人は少ないでしょう。さらに言えば、4万年前頃以降でも、現生人類の芸術活動の痕跡がよく残っているのはヨーロッパなど一部で、日本列島も含むユーラシア東部圏などではその痕跡は貧弱です。ネアンデルタール人の(ものと思われる)芸術活動の一例としては、クロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡で発見された13万年前頃の装飾品があります(関連記事)。
5万年以上前には、ネアンデルタール人と現生人類とで芸術活動の痕跡に大きな違いはなく、4万年前頃以降に現生人類が世界中に拡散しても、地域により芸術活動の痕跡に大きな違いがあるということからは、芸術活動の痕跡の量には先天的要因ではなく社会的要因が大きく関わっているのではないか、と示唆されます。それは、たとえば集団規模や人口密度などに起因する他集団との交流頻度であり、また、数万年以上後には痕跡の残りにくい植物性物質で芸術活動を行なっていた可能性も想定されます。
ただ、5万年以上前という同時代の比較でも、アフリカの現生人類と比較して、ヨーロッパ(や西アジアや中央アジア)のネアンデルタール人の芸術活動も含む象徴的行動はやや見劣りするし、そもそもこの時代のヨーロッパにはネアンデルタール人以外の人類系統も存在したのではないか、との見解もあるかもしれません。ただ、それを言えば、5万年以上前のアフリカで象徴的行動の痕跡を残したのは現生人類とは限りません。確かに、ヨーロッパにおける5万年以上前(~十数万年前頃)の人類化石は少なく、今後新たにネアンデルタール人以外の人類化石が発見される可能性はありますが、同時代のアフリカの人類化石も少なく、現生人類以外の人類が存在した可能性は否定できません。じっさい、現生人類と絶滅した古代型ホモ属とが35000年前頃にアフリカ中央部で交雑した可能性が指摘されていますし(関連記事)、何よりも、アフリカ南部では早くとも335000~236000年前頃まで、現生人類系統とはかなり遠い関係(おそらくはネアンデルタール人よりも)と思われるホモ属人類(Homo naledi)が存在していたのですから(関連記事)、5万年前頃までアフリカに現生人類ではない系統のホモ属が存在し、象徴的行動の痕跡を残していた可能性もじゅうぶん考えられます。
ハアレツ紙の記事が示唆しているような、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのがネアンデルタール人ではなく現生人類であるという可能性は、無視してよいほど低いものではないと思います。現生人類の(じゅうらいの想定よりも)早期の出アフリカという傍証もあります。ただ、ネアンデルタール人と現生人類との芸術活動の痕跡の大きな違いとの根拠は、異なる年代を比較していることと、現生人類でも芸術活動の痕跡の乏しい地域も珍しくないことから、妥当性に乏しいと思います。現時点では、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのがネアンデルタール人ではなく現生人類であるという見解は、あくまでも異端だと認識すべきでしょう。
ネアンデルタールと聞いて呟かざるを得ませんが、アフリカの人間がヨーロッパに移動して壁画を描いてアフリカに帰っただけの事例であり、ネアンデルタールが描いたとする科学的理由は無いフェイクニュースです。
との呟きや、
仮にネアンデルタールが描画したならば大規模かつ大量に見つかります。こうした絵はヨーロッパに旅行した人類が描いてアフリカに帰ったものといえます。
との呟きです。上記のブログ記事では、「何の根拠もない、ただの願望である」と橋本氏の見解が一蹴されていますが、6万年以上前とされるイベリア半島の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人ではなく現生人類かもしれない、との見解も報道されています。これはイスラエルのハアレツ紙のサイトに掲載されたやや長めの記事で、ハアレツはイスラエルの「リベラル」寄りの「高級紙」とのことです。この評価が妥当なのか、イスラエルの報道機関の事情に詳しいわけではないので、私には分かりませんが。
ハアレツ紙のこの記事は、ネアンデルタール人の洞窟壁画や貝殻・顔料の使用を報告した2本の論文の筆頭著者であるホフマン(Dirk Hoffmann)氏の見解も紹介しつつ、ホフマン氏の見解に批判的なクーリッジ(Frederick L. Coolidge)氏を大きく取り上げ、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いたのか、疑問視する見解を提示しています。専門家の見解がやや詳しく取り上げられているので、その点では貴重な記事と言えるでしょう。
とくに、ホフマン氏が、ネアンデルタール人が壁画を描いた洞窟では形象的な動物の絵も見られるものの、その年代は不明なので、ネアンデルタール人が描いたのか否か、まだ判断はできない、と認めているところは重要です。じゅうらい、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の大きな違いの証拠として、現生人類とは異なりネアンデルタール人は洞窟壁画を残さなかったことが挙げられていました。しかし近年では、ネアンデルタール人の線刻(関連記事)などの事例から、ネアンデルタール人が壁画を描けた可能性を否定せず、形象的な線画の有無が現生人類とネアンデルタール人との違いだろう、との見解も提示されています(関連記事)。その意味で、ネアンデルタール人「見直し論」の代表的研究者であるジリャオン(João Zilhão)氏が主張しているような、ネアンデルタール人と現生人類との間に決定的な認知能力の違いはない、との見解は、ネアンデルタール人の所産と考えられるイベリア半島の洞窟壁画により確証された、とまでは言えないでしょう。クーリッジ氏は、ネアンデルタール人が描いたとされるイベリア半島の洞窟壁画は、フランス南部のショーヴェ洞窟(Grotte Chauvet)など現生人類の形象的な壁画とは大きく異なる、と指摘しています。
ただ、ハアレツ紙の記事の論調は、ネアンデルタール人が6万年以上前に洞窟壁画を描いた可能性を認めつつ、ネアンデルタール人と現生人類との間にはなおも決定的な認知能力の違いがあった、と主張するものではなく、そもそも現生人類が6万年以上前にアフリカからイベリア半島に拡散しており、洞窟壁画を描いたのではないか、というものです。近年、現生人類がじゅうらいの想定よりもずっと早くアフリカから世界中に拡散していたのではないか、との見解が有力になりつつあります。ハアレツ紙の記事でもその証拠として言及されていたように、イスラエルのミスリヤ洞窟(Misliya Cave)では、194000~177000年前頃の現生人類的な上顎が発見されています(関連記事)。したがって、6万年以上前にイベリア半島に現生人類が拡散していた可能性もあるのではないか、というわけです。
しかし、ヨーロッパにおける現生人類の確実な痕跡は5万年以上前にはなく、ヨーロッパの(典型的な)中部旧石器時代までには、ヨーロッパには現生人類が存在しなかった、との見解が広く受け入れられています。それ故に、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人だ、と考えられたわけです。しかし、ハアレツ紙の記事は、現時点での証拠の欠如は不在の証明にはならず、そもそも旧石器時代の人類化石の証拠は稀だとして(したがって、今後発見される可能性もあるわけです)、現生人類が6万年以上前にイベリア半島に存在した可能性を指摘します。
私もその可能性を少しは想定しておくべきだと考えていますし(関連記事)、確かに、一般論として現時点での証拠の欠如は不在の証明にはなりません。しかし、少なくとも他地域と比較して更新世の人類の痕跡の発掘・研究が大きく進んでいるヨーロッパにおいて、長年の努力にも関わらず、5万年前頃よりもさかのぼる現生人類の確実な痕跡が発見されていないのですから、ヨーロッパにおいて5万年以上前には現生人類は存在しなかった可能性がかなり高い、と考えるべきでしょう。正直なところ、ハアレツ紙の記事は、現生人類が6万年以上前にイベリア半島で洞窟壁画を描いたと断定はしていないものの、かなり低い可能性に固執しているように思われ、ネアンデルタール人への悪意があるのではないか、とすら邪推したくなります。
このようなハアレツ紙の記事の論調の前提にあるのは、ネアンデルタール人の認知能力にたいする低い評価のようです。それは、ネアンデルタール人「見直し論」の代表的研究者であるジリャオン氏が主張しているような、ネアンデルタール人と現生人類との間に決定的な認知能力の違いはない、との見解にたいする強い懐疑のように思われます。それ自体は妥当な認識で、確かに、ネアンデルタール人と現生人類との間に何らかの点で決定的な認知能力の違いが存在した可能性は低くないように思います。しかし、ハアレツ紙の記事が取り上げているように、ネアンデルタール人と現生人類との脳の形状の違いといった間接的証拠もありますが、現時点では、それも仮説にすぎない、と言うべきでしょう。
このように、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する見解の前提になっているのは、けっきょくネアンデルタール人は絶滅し(もっとも、ネアンデルタール人のDNAは現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)、現生人類は現在も生存している、という事実に立脚しています。ハアレツ紙の記事がおもに依拠しているクーリッジ氏は、これは1000回再現すればそのうち半分ほどはネアンデルタール人ではなく現生人類の方が絶滅するだろう、といったネアンデルタール人「見直し」論者が時として主張するような偶然ではなく、両者の間に認知能力などの点で違いがあったからだ、と考えています。クーリッジ氏は、ネアンデルタール人は使っていた証拠のない弓矢や投槍器などの技術革新による現生人類の優位性を想定しています。
また、上述したように、ショーヴェ洞窟など現生人類が上部旧石器時代に残した大量の芸術と比較すると、ネアンデルタール人による芸術活動の痕跡は稀だ、とクーリッジ氏は指摘します。ハアレツ紙の記事は、こうした認識を前提として、そもそもネアンデルタール人が洞窟壁画を描けるような認知能力を有していたのか怪しく、それならば、現生人類がイベリア半島に6万年以上前に拡散して洞窟壁画を描いたと考える方が節約的ではないか、という論理に基づいているように思われます。
しかし、現生人類と比較してのネアンデルタール人の芸術活動の痕跡の貧困という認識には、かなりの問題があるように思います。まず、芸術活動の痕跡において、4万年前頃以降のヨーロッパにおける現生人類と、イベリア半島南部など一部を除いて(関連記事)4万年前頃までにはおおむね絶滅したと考えられるネアンデルタール人(関連記事)とを比較することが妥当ではない、と言うべきでしょう。都市成立以降の文化と更新世の文化を比較して、更新世の現生人類は都市成立以降の現生人類と比較して愚かだった、と考える人は少ないでしょう。さらに言えば、4万年前頃以降でも、現生人類の芸術活動の痕跡がよく残っているのはヨーロッパなど一部で、日本列島も含むユーラシア東部圏などではその痕跡は貧弱です。ネアンデルタール人の(ものと思われる)芸術活動の一例としては、クロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡で発見された13万年前頃の装飾品があります(関連記事)。
5万年以上前には、ネアンデルタール人と現生人類とで芸術活動の痕跡に大きな違いはなく、4万年前頃以降に現生人類が世界中に拡散しても、地域により芸術活動の痕跡に大きな違いがあるということからは、芸術活動の痕跡の量には先天的要因ではなく社会的要因が大きく関わっているのではないか、と示唆されます。それは、たとえば集団規模や人口密度などに起因する他集団との交流頻度であり、また、数万年以上後には痕跡の残りにくい植物性物質で芸術活動を行なっていた可能性も想定されます。
ただ、5万年以上前という同時代の比較でも、アフリカの現生人類と比較して、ヨーロッパ(や西アジアや中央アジア)のネアンデルタール人の芸術活動も含む象徴的行動はやや見劣りするし、そもそもこの時代のヨーロッパにはネアンデルタール人以外の人類系統も存在したのではないか、との見解もあるかもしれません。ただ、それを言えば、5万年以上前のアフリカで象徴的行動の痕跡を残したのは現生人類とは限りません。確かに、ヨーロッパにおける5万年以上前(~十数万年前頃)の人類化石は少なく、今後新たにネアンデルタール人以外の人類化石が発見される可能性はありますが、同時代のアフリカの人類化石も少なく、現生人類以外の人類が存在した可能性は否定できません。じっさい、現生人類と絶滅した古代型ホモ属とが35000年前頃にアフリカ中央部で交雑した可能性が指摘されていますし(関連記事)、何よりも、アフリカ南部では早くとも335000~236000年前頃まで、現生人類系統とはかなり遠い関係(おそらくはネアンデルタール人よりも)と思われるホモ属人類(Homo naledi)が存在していたのですから(関連記事)、5万年前頃までアフリカに現生人類ではない系統のホモ属が存在し、象徴的行動の痕跡を残していた可能性もじゅうぶん考えられます。
ハアレツ紙の記事が示唆しているような、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのがネアンデルタール人ではなく現生人類であるという可能性は、無視してよいほど低いものではないと思います。現生人類の(じゅうらいの想定よりも)早期の出アフリカという傍証もあります。ただ、ネアンデルタール人と現生人類との芸術活動の痕跡の大きな違いとの根拠は、異なる年代を比較していることと、現生人類でも芸術活動の痕跡の乏しい地域も珍しくないことから、妥当性に乏しいと思います。現時点では、6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を描いたのがネアンデルタール人ではなく現生人類であるという見解は、あくまでも異端だと認識すべきでしょう。
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