11万年以上前になるネアンデルタール人による貝殻と顔料の象徴的使用
これは2月26日分の記事として掲載しておきます。イベリア半島の中部旧石器時代の遺跡における貝殻と顔料の年代に関する研究(Hoffmann et al., 2018B)が公表されました。本論文は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の洞窟壁画に関する論文(関連記事)と一対になって、ネアンデルタール人の認知能力が現生人類と同等だったと主張している、と言えるでしょう。本論文は、以前にも中部旧石器時代の遺跡として取り上げられた(関連記事)、スペイン南東部の「航空機洞窟(Cueva de los Aviones)」遺跡の遺物の年代を、改めて検証しています。
航空機洞窟遺跡では、海の貝を用いた装飾品と思われる遺物が発見されています。貝殻は穿孔されており、顔料が塗装されたものもありました。顔料は、赤鉄鉱・硫化鉄鉱・鱗鉄鉱など鉱物性のもので、複合的な混合物です。類似品はアフリカの中期石器時代の遺跡でも発見されており、洞窟芸術なども含めて、象徴的行動の考古学的指標と考えられています。象徴的行動は「現代的行動」の代表例で、これがいつ出現したのか、という議論が盛んです。20世紀末までは、「現代的行動」は4万年前頃始まるヨーロッパの上部旧石器革命において初めて開花した、との見解が有力でした。
しかし、20世紀末以降の研究の進展により、アフリカにおいてヨーロッパよりも早い「現代的行動」の証拠が蓄積されてきました(関連記事)。これはアフリカ起源の現生人類(Homo sapiens)と関連づけられており、現生人類がアフリカで「現代的行動」を開花させつつあった一方で、ユーラシアのネアンデルタール人には「現代的行動」が見られず、象徴的思考能力、あるいは言語さえ欠けていた可能性が提示されていました。そうした違いが、現生人類の拡散・「繁栄」とネアンデルタール人の絶滅をもたらした、との見解が有力でした。
しかし、航空機洞窟遺跡の事例など、ネアンデルタール人の遺跡でも象徴的行動の指標となりそうな考古学的遺物の報告が増えてきており、ネアンデルタール人にも少なくとも一定以上の象徴的行動を認める見解も有力になりつつありました。航空機洞窟遺跡の中部旧石器時代の象徴的遺物の年代は、以前には5万年前頃と推定されていました。しかし、これは放射性炭素年代測定法の限界に近かったことなどから、本論文は流華石をウラン系列法で改めて年代測定しました。
その結果、航空機洞窟遺跡の堆積物を覆う流華石は114000年前には形成され始めた、と明らかになりました。これは、航空機洞窟遺跡の象徴的遺物が114000年以上前に製作されたことを意味します。本論文は、120000~115000年前頃になりそうな航空機洞窟遺跡の象徴的遺物は、現時点ではアフリカや西アジアの現生人類の所産と考えられている象徴的遺物よりも20000~40000年早く、もはやネアンデルタール人の象徴的行動は否定できず、(5万年前以前の)物質文化からはネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを区別できない、と指摘しています。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の言語能力が同等だった傍証として、両者の聴力がほぼ同等だった、との見解を挙げています(関連記事)。
航空機洞窟遺跡の新たな年代からは、ネアンデルタール人の象徴的行動に現生人類が影響を及ぼした可能性はきわめて低い、と言えそうです。同様の事例として、クロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡で発見された13万年前頃の装飾品があります(関連記事)。上述した洞窟壁画の事例からも、ネアンデルタール人が現生人類の影響を受けずに、ある程度以上の象徴的行動を発達させていた可能性はきわめて高いでしょう。もっとも、それは現生人類の象徴的行動より質も量も決定的に劣る、との見解もあるでしょう。しかし、本論文が指摘するように、(5万年前以前の)物質文化からはネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを区別できないか、少なくともそれが困難であることは否定できないでしょう。西アジアの中部旧石器時代において、ネアンデルタール人と現生人類との行動の違いを考古学的記録から見出すことも可能かもしれないとしても、その差は微妙である、との指摘もあります(関連記事)。
本論文は、現代人の言語と発達した認知能力の起源が、50万年以上前になりそうなネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐に先行する可能性を提示しています。確かに、少なくとも両者の最終共通祖先の時点で、ある程度以上の象徴的行動を可能とするような認知能力が存在した可能性は低くないと思います。ただ、ネアンデルタール人の認知能力は、40万年前頃以降にネアンデルタール人系統と交雑したかもしれない、現生人類と近縁な系統に影響を受けた可能性もあると思います(関連記事)。
本論文が主張するように、ネアンデルタール人と現生人類は認知能力の点で大きな違いはなかったのかもしれません。しかし、両者の認知能力が類似していたとしても、何らかの点で決定的な違いがあり、それがネアンデルタール人の絶滅と現生人類の拡散の要因になった、という見解も有力説の一つとして検証し続けていく必要があるとは思います。ネアンデルタール人と現生人類の認知能力をめぐる議論への関心は高いので、今後も研究の大きな進展が期待されます。
参考文献:
Hoffmann DL. et al.(2018B): Symbolic use of marine shells and mineral pigments by Iberian Neandertals 115,000 years ago. Science Advances, 4, 2, eaar5255.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aar5255
航空機洞窟遺跡では、海の貝を用いた装飾品と思われる遺物が発見されています。貝殻は穿孔されており、顔料が塗装されたものもありました。顔料は、赤鉄鉱・硫化鉄鉱・鱗鉄鉱など鉱物性のもので、複合的な混合物です。類似品はアフリカの中期石器時代の遺跡でも発見されており、洞窟芸術なども含めて、象徴的行動の考古学的指標と考えられています。象徴的行動は「現代的行動」の代表例で、これがいつ出現したのか、という議論が盛んです。20世紀末までは、「現代的行動」は4万年前頃始まるヨーロッパの上部旧石器革命において初めて開花した、との見解が有力でした。
しかし、20世紀末以降の研究の進展により、アフリカにおいてヨーロッパよりも早い「現代的行動」の証拠が蓄積されてきました(関連記事)。これはアフリカ起源の現生人類(Homo sapiens)と関連づけられており、現生人類がアフリカで「現代的行動」を開花させつつあった一方で、ユーラシアのネアンデルタール人には「現代的行動」が見られず、象徴的思考能力、あるいは言語さえ欠けていた可能性が提示されていました。そうした違いが、現生人類の拡散・「繁栄」とネアンデルタール人の絶滅をもたらした、との見解が有力でした。
しかし、航空機洞窟遺跡の事例など、ネアンデルタール人の遺跡でも象徴的行動の指標となりそうな考古学的遺物の報告が増えてきており、ネアンデルタール人にも少なくとも一定以上の象徴的行動を認める見解も有力になりつつありました。航空機洞窟遺跡の中部旧石器時代の象徴的遺物の年代は、以前には5万年前頃と推定されていました。しかし、これは放射性炭素年代測定法の限界に近かったことなどから、本論文は流華石をウラン系列法で改めて年代測定しました。
その結果、航空機洞窟遺跡の堆積物を覆う流華石は114000年前には形成され始めた、と明らかになりました。これは、航空機洞窟遺跡の象徴的遺物が114000年以上前に製作されたことを意味します。本論文は、120000~115000年前頃になりそうな航空機洞窟遺跡の象徴的遺物は、現時点ではアフリカや西アジアの現生人類の所産と考えられている象徴的遺物よりも20000~40000年早く、もはやネアンデルタール人の象徴的行動は否定できず、(5万年前以前の)物質文化からはネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを区別できない、と指摘しています。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の言語能力が同等だった傍証として、両者の聴力がほぼ同等だった、との見解を挙げています(関連記事)。
航空機洞窟遺跡の新たな年代からは、ネアンデルタール人の象徴的行動に現生人類が影響を及ぼした可能性はきわめて低い、と言えそうです。同様の事例として、クロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡で発見された13万年前頃の装飾品があります(関連記事)。上述した洞窟壁画の事例からも、ネアンデルタール人が現生人類の影響を受けずに、ある程度以上の象徴的行動を発達させていた可能性はきわめて高いでしょう。もっとも、それは現生人類の象徴的行動より質も量も決定的に劣る、との見解もあるでしょう。しかし、本論文が指摘するように、(5万年前以前の)物質文化からはネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを区別できないか、少なくともそれが困難であることは否定できないでしょう。西アジアの中部旧石器時代において、ネアンデルタール人と現生人類との行動の違いを考古学的記録から見出すことも可能かもしれないとしても、その差は微妙である、との指摘もあります(関連記事)。
本論文は、現代人の言語と発達した認知能力の起源が、50万年以上前になりそうなネアンデルタール人系統と現生人類系統との分岐に先行する可能性を提示しています。確かに、少なくとも両者の最終共通祖先の時点で、ある程度以上の象徴的行動を可能とするような認知能力が存在した可能性は低くないと思います。ただ、ネアンデルタール人の認知能力は、40万年前頃以降にネアンデルタール人系統と交雑したかもしれない、現生人類と近縁な系統に影響を受けた可能性もあると思います(関連記事)。
本論文が主張するように、ネアンデルタール人と現生人類は認知能力の点で大きな違いはなかったのかもしれません。しかし、両者の認知能力が類似していたとしても、何らかの点で決定的な違いがあり、それがネアンデルタール人の絶滅と現生人類の拡散の要因になった、という見解も有力説の一つとして検証し続けていく必要があるとは思います。ネアンデルタール人と現生人類の認知能力をめぐる議論への関心は高いので、今後も研究の大きな進展が期待されます。
参考文献:
Hoffmann DL. et al.(2018B): Symbolic use of marine shells and mineral pigments by Iberian Neandertals 115,000 years ago. Science Advances, 4, 2, eaar5255.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aar5255
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