中石器時代~青銅器時代の北ヨーロッパの人類の古代DNA解析
これは2月3日分の記事として掲載しておきます。中石器時代~青銅器時代の北ヨーロッパの人類のDNA解析に関する研究(Mittnik et al., 2018)が報道されました。この研究は、北ヨーロッパにおける中石器時代~青銅器時代の人類遺骸のDNAを解析し、バルト海地域における人類集団の移住と継続性について検証しています。対象となるのは、較正年代では紀元前7500~紀元前500年前頃の106人の人類遺骸です。このうち、41標本のDNAの保存状態は良好で、38標本でゲノム規模の一塩基多型解析データが得られました。対象となった一塩基多型領域の網羅率は平均で0.02~8.8倍です。
スカンジナビア半島へと拡散した人類は、まず間違いなく現生人類(Homo sapiens)のみで、その年代は11000年前頃までさかのぼります。以前の研究でも指摘されていたように、スカンジナビア半島の最初期の人類は、ロシア北西部のカレリア(Karelia)での存在が確認されている東方狩猟採集民集団と、イベリア半島~ハンガリーまでの西方狩猟採集民集団双方の混合だと推測されています(関連記事)。さらに、中石器時代のリトアニアの狩猟採集民は遺伝的には、地理的に近い東方狩猟採集民集団ではなく、西方狩猟採集民集団とたいへんよく類似していたので、スカンジナビア半島へは、西方狩猟採集民集団が南方から、東方狩猟採集民集団が北回りで拡散してきた、と考えられています。スカンジナビア半島への最初期の人類集団の移住経路は二通りあった、というわけです。西方狩猟採集民集団は、南方からバルト海地域東部まで拡散したことになります。
スカンジナビア半島での農耕の始まりは南部からで、中央ヨーロッパよりも1000年ほど遅れて6000年前頃となります。バルト海地域東部では、さらに1000年ほど、狩猟採集や漁撈のみに依存した生活が続きました。最初期のスカンジナビア半島の農耕民は、中央ヨーロッパ経由のアナトリアの農耕民に起源がある、との以前からの見解が、この研究でも改めて支持されました。ヨーロッパでは、先住の狩猟採集民がアナトリア半島からヨーロッパへと移住してきた初期農耕民にゆっくりと同化されていった、との見解が提示されています(関連記事)。中央ヨーロッパでも、新石器時代中期になると、最初期農耕民と先住の狩猟採集民集団との間での交雑が進行していました。しかし、スカンジナビア半島においては、すでに初期農耕民において先住の狩猟採集民集団との交雑の痕跡が強く残っています。
バルト海地域東部においては、紀元前2900年頃より、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯(ポントス-カスピ海草原)から遊牧民が拡散してきて、大きな遺伝的・文化的影響を及ぼします。この遊牧民集団は、ヨーロッパに初期農耕をもたらしたアナトリアの農耕民集団の遺伝的影響を受けていない、と推測されています。この遊牧民集団は中央ヨーロッパおよびスカンジナビア半島の農耕民とは大規模には交雑しませんでしたが、青銅器時代の初期より、バルト海地域東部ではこの遊牧民集団と先住の狩猟採集民集団との交雑の割合が増加していきます。この研究は、狩猟採集から農耕、さらには新石器時代から青銅器時代といった文化の移行期において、各地域で人類集団の交雑・継続・置換の様相には違いがあったことを指摘しており、なかなか興味深いと思います。
参考文献:
Mittnik A. et al.(2018): The genetic prehistory of the Baltic Sea region. Nature Communications, 9, 442.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-02825-9
スカンジナビア半島へと拡散した人類は、まず間違いなく現生人類(Homo sapiens)のみで、その年代は11000年前頃までさかのぼります。以前の研究でも指摘されていたように、スカンジナビア半島の最初期の人類は、ロシア北西部のカレリア(Karelia)での存在が確認されている東方狩猟採集民集団と、イベリア半島~ハンガリーまでの西方狩猟採集民集団双方の混合だと推測されています(関連記事)。さらに、中石器時代のリトアニアの狩猟採集民は遺伝的には、地理的に近い東方狩猟採集民集団ではなく、西方狩猟採集民集団とたいへんよく類似していたので、スカンジナビア半島へは、西方狩猟採集民集団が南方から、東方狩猟採集民集団が北回りで拡散してきた、と考えられています。スカンジナビア半島への最初期の人類集団の移住経路は二通りあった、というわけです。西方狩猟採集民集団は、南方からバルト海地域東部まで拡散したことになります。
スカンジナビア半島での農耕の始まりは南部からで、中央ヨーロッパよりも1000年ほど遅れて6000年前頃となります。バルト海地域東部では、さらに1000年ほど、狩猟採集や漁撈のみに依存した生活が続きました。最初期のスカンジナビア半島の農耕民は、中央ヨーロッパ経由のアナトリアの農耕民に起源がある、との以前からの見解が、この研究でも改めて支持されました。ヨーロッパでは、先住の狩猟採集民がアナトリア半島からヨーロッパへと移住してきた初期農耕民にゆっくりと同化されていった、との見解が提示されています(関連記事)。中央ヨーロッパでも、新石器時代中期になると、最初期農耕民と先住の狩猟採集民集団との間での交雑が進行していました。しかし、スカンジナビア半島においては、すでに初期農耕民において先住の狩猟採集民集団との交雑の痕跡が強く残っています。
バルト海地域東部においては、紀元前2900年頃より、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯(ポントス-カスピ海草原)から遊牧民が拡散してきて、大きな遺伝的・文化的影響を及ぼします。この遊牧民集団は、ヨーロッパに初期農耕をもたらしたアナトリアの農耕民集団の遺伝的影響を受けていない、と推測されています。この遊牧民集団は中央ヨーロッパおよびスカンジナビア半島の農耕民とは大規模には交雑しませんでしたが、青銅器時代の初期より、バルト海地域東部ではこの遊牧民集団と先住の狩猟採集民集団との交雑の割合が増加していきます。この研究は、狩猟採集から農耕、さらには新石器時代から青銅器時代といった文化の移行期において、各地域で人類集団の交雑・継続・置換の様相には違いがあったことを指摘しており、なかなか興味深いと思います。
参考文献:
Mittnik A. et al.(2018): The genetic prehistory of the Baltic Sea region. Nature Communications, 9, 442.
http://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-02825-9
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