エレクトスの航海と言語能力
これは2月23日分の記事として掲載しておきます。ホモ属の言語能力に関する見解が報道されました。これは、『言語はいかに始まったのか(未邦訳)』という昨年(2017年)11月に刊行された本(Amazon)の著者である、エヴェレット(Daniel Everett)氏の見解です。言語の起源という難問に挑んだ意欲作ということで、いつかは読まねばならない本なのでしょうが、素養は皆無に近い言語学の本を原書で読むのは私の能力からして厳しそうなので、邦訳を待つことにします。
言語の起源に関する論争は百家争鳴といった感じで、証拠の提示が難しいこともあり、決定的な見解はまだないのが現状です。主要な論点としては、現代人のような「高度(複雑)な」言語がいつ出現したのか、また、そうした「高度な」言語は現生人類(Homo sapiens)系統において短期間に一揃いで出現したのか、それともある程度は漸進的に形成されてきたのか、そうだとして、「原初的な」言語はいつ出現したのか、といったところでしょうか。
「高度な」言語は現生人類系統において短期間に一揃いで出現した、との見解は、短期間での認知能力の進化による「現代的行動」の急速な出現・拡散を想定する神経学仮説(大躍進説、創造の爆発説)と整合的です。しかし、近年のさまざまな考古学的研究成果からは、神経学仮説は基本的に否定されると思います(関連記事)。また、現生人類の脳の形状の進化に関する研究も、神経学仮説と整合的ではありません(関連記事)。
エヴェレット氏はこうした状況で、言語能力の指標として航海を重視しています。たとえば、櫂で漕ぐような航海では、櫂を使うか否かの意思伝達は、単なるうめき声のようなものではなく、現代人ほど複雑ではないとしても、言語を用いる必要があったのではないか、というわけです。また、遠洋航海と呼べるような水準の航海が可能な舟を作るには一定以上の認知能力と複雑な作業が必要で、遠洋航海は言語の存在の間接的証拠になるかもしれません。
では、遠洋航海と呼べるような航海が人類史においていつ始まったのかとなると、確証はありませんが、現生人類のみが可能だった、との見解がおそらくは一般的でしょう。しかし、エヴェレット氏は、すでにホモ属でも(広義の)エレクトス(Homo erectus)は遠洋航海を行なっていた、との見解を提示しています。したがって、現代人と同水準ではないとしても、エレクトスには言語能力が備わっていただろう、とエヴェレット氏は主張します。言語には少なくとも二つの音が必要であり、エレクトスはそれ以上の音を出せただろうし、言語能力の獲得は言語学者が強調してきたほどには困難ではない、とエヴェレット氏は指摘します。こうした見解の前提として、言語はほとんど文法構造のないわずかな単語により構成される段階からしだいに複雑になっていったのだ、との認識があります。
問題となるのは、おそらく多くの研究者は否定するだろう、エレクトスの航海の有無です。現生人類ではない系統の人類の渡海の確実な証拠は、インドネシア領フローレスで得られています(関連記事)。しかし、フローレス島へと渡った人類候補として有力なエレクトス(エレクトスよりも祖先的特徴を強く残すホモ属によるフローレス島への到達も想定されていますが)の石器と、それにより利用可能な材料で遠洋航海に耐えられる舟を作ることは可能なものの、エレクトスが津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、意図せずフローレス島に漂着したことが何回もあったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。フローレス島の事例以外では、地中海のクレタ島において、現生人類ではない系統の人類による航海の可能性が指摘されています(関連記事)。
エヴェレット氏は、津波などにより海に流されたエレクトスが流木に捕まってフローレス島へ漂着するような可能性に否定的ですが、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるストリンガー(Chris Stringer)氏は、フローレス島への現生人類ではない系統の人類の到達は、航海ではなく、津波により流木に捕まっての漂着だろう、との見解を支持しています。また、ストリンガー氏は、エレクトスの道具製作能力が複雑だという証拠はなく、チンパンジーとカラスの事例からも、言語なしで道具製作は可能だと指摘し、エレクトスには言語能力があったとの見解に否定的です。ただ、ストリンガー氏は、現生人類ではないホモ属でも、70万~30万年前頃に存在したハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)は、会話を必要とするくらい複雑な生活を送っていたかもしれない、という可能性を提示しています。
一方、ラランド(Kevin Laland)氏はエヴェレット氏の見解に肯定的です。ラランド氏は、実験考古学的手法により、エレクトス(の一部が)製作していたアシューリアン(Acheulian)石器が、現代人のような水準ほど複雑ではないとしても、言語なしには製作がたいへん難しかっただろう、という見解を提示しています(関連記事)。またラランド氏は、石器製作が言語能力の向上に有利な選択圧をもたらしただろう、とも指摘しています。
上述したように、言語は漸進的に複雑化していったと思われ、(広義の)エレクトスに、現代人ほど複雑ではないとしても、何らかの言語能力が存在した可能性は高いと思います。ただ、エレクトスの航海については、まだ確証が得られたとはとても言えない状況だと思います。フローレス島の考古学的証拠は、現生人類ではない系統の人類(有力なのはエレクトス)による確実な渡海事例となりますが、現時点では、流木に捕まっての漂着なのか、それとも舟を作っての航海なのか、まだ判断の難しいところです。
言語の起源に関する論争は百家争鳴といった感じで、証拠の提示が難しいこともあり、決定的な見解はまだないのが現状です。主要な論点としては、現代人のような「高度(複雑)な」言語がいつ出現したのか、また、そうした「高度な」言語は現生人類(Homo sapiens)系統において短期間に一揃いで出現したのか、それともある程度は漸進的に形成されてきたのか、そうだとして、「原初的な」言語はいつ出現したのか、といったところでしょうか。
「高度な」言語は現生人類系統において短期間に一揃いで出現した、との見解は、短期間での認知能力の進化による「現代的行動」の急速な出現・拡散を想定する神経学仮説(大躍進説、創造の爆発説)と整合的です。しかし、近年のさまざまな考古学的研究成果からは、神経学仮説は基本的に否定されると思います(関連記事)。また、現生人類の脳の形状の進化に関する研究も、神経学仮説と整合的ではありません(関連記事)。
エヴェレット氏はこうした状況で、言語能力の指標として航海を重視しています。たとえば、櫂で漕ぐような航海では、櫂を使うか否かの意思伝達は、単なるうめき声のようなものではなく、現代人ほど複雑ではないとしても、言語を用いる必要があったのではないか、というわけです。また、遠洋航海と呼べるような水準の航海が可能な舟を作るには一定以上の認知能力と複雑な作業が必要で、遠洋航海は言語の存在の間接的証拠になるかもしれません。
では、遠洋航海と呼べるような航海が人類史においていつ始まったのかとなると、確証はありませんが、現生人類のみが可能だった、との見解がおそらくは一般的でしょう。しかし、エヴェレット氏は、すでにホモ属でも(広義の)エレクトス(Homo erectus)は遠洋航海を行なっていた、との見解を提示しています。したがって、現代人と同水準ではないとしても、エレクトスには言語能力が備わっていただろう、とエヴェレット氏は主張します。言語には少なくとも二つの音が必要であり、エレクトスはそれ以上の音を出せただろうし、言語能力の獲得は言語学者が強調してきたほどには困難ではない、とエヴェレット氏は指摘します。こうした見解の前提として、言語はほとんど文法構造のないわずかな単語により構成される段階からしだいに複雑になっていったのだ、との認識があります。
問題となるのは、おそらく多くの研究者は否定するだろう、エレクトスの航海の有無です。現生人類ではない系統の人類の渡海の確実な証拠は、インドネシア領フローレスで得られています(関連記事)。しかし、フローレス島へと渡った人類候補として有力なエレクトス(エレクトスよりも祖先的特徴を強く残すホモ属によるフローレス島への到達も想定されていますが)の石器と、それにより利用可能な材料で遠洋航海に耐えられる舟を作ることは可能なものの、エレクトスが津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、意図せずフローレス島に漂着したことが何回もあったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。フローレス島の事例以外では、地中海のクレタ島において、現生人類ではない系統の人類による航海の可能性が指摘されています(関連記事)。
エヴェレット氏は、津波などにより海に流されたエレクトスが流木に捕まってフローレス島へ漂着するような可能性に否定的ですが、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるストリンガー(Chris Stringer)氏は、フローレス島への現生人類ではない系統の人類の到達は、航海ではなく、津波により流木に捕まっての漂着だろう、との見解を支持しています。また、ストリンガー氏は、エレクトスの道具製作能力が複雑だという証拠はなく、チンパンジーとカラスの事例からも、言語なしで道具製作は可能だと指摘し、エレクトスには言語能力があったとの見解に否定的です。ただ、ストリンガー氏は、現生人類ではないホモ属でも、70万~30万年前頃に存在したハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)は、会話を必要とするくらい複雑な生活を送っていたかもしれない、という可能性を提示しています。
一方、ラランド(Kevin Laland)氏はエヴェレット氏の見解に肯定的です。ラランド氏は、実験考古学的手法により、エレクトス(の一部が)製作していたアシューリアン(Acheulian)石器が、現代人のような水準ほど複雑ではないとしても、言語なしには製作がたいへん難しかっただろう、という見解を提示しています(関連記事)。またラランド氏は、石器製作が言語能力の向上に有利な選択圧をもたらしただろう、とも指摘しています。
上述したように、言語は漸進的に複雑化していったと思われ、(広義の)エレクトスに、現代人ほど複雑ではないとしても、何らかの言語能力が存在した可能性は高いと思います。ただ、エレクトスの航海については、まだ確証が得られたとはとても言えない状況だと思います。フローレス島の考古学的証拠は、現生人類ではない系統の人類(有力なのはエレクトス)による確実な渡海事例となりますが、現時点では、流木に捕まっての漂着なのか、それとも舟を作っての航海なのか、まだ判断の難しいところです。
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