70万年前頃の人類の足跡と生活
これは2月16日分の記事として掲載しておきます。70万年前頃の人類の足跡に関する研究(Altamura et al., 2018)が報道されました。この研究は、エチオピアのアワッシュ川上流のメルカクンチュレ(Melka Kunture)層のゴンボレII-2(Gombore II-2)遺跡で発見された足跡を分析しています。ゴンボレII-2遺跡では、この足跡の層よりも下層でホモ属遺骸が発見されており、アフリカにおけるエルガスター(Homo ergaster)からハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)への移行的な分類群ではないか、と推測されていますが、ハイデルベルゲンシスという種区分とその進化系統樹における位置づけには、議論の余地が大いにあると思います(関連記事)。
ゴンボレII-2遺跡では、ほぼ間違いなくホモ属だろう複数個体の足跡が確認されましたが、ガゼルやカバや鳥や不明種の足跡も確認されています。この足跡は上下の火山灰層に挟まれており、アルゴン-アルゴン法により年代は875000±10000年前~709000±13000年前と推定されています。足跡は通常すぐ消え去るので、正確な年代は不明ですが、足跡がつけられた(地質学的時間では)直後に火山灰に覆われたと考えられます。そのため、これらの足跡の年代は70万年前頃に近いと推測されます。ホモ属の足跡で注目されるのは、成人だけではなく、とひじょうに幼いと思われる子供もいた、ということです。ただ、当時のアフリカ東部のホモ属と現代人との性的二型・成長速度・栄養事情の違いなどを考慮しなければならないので、年齢の推定は難しくなっています。この研究は、子供が1歳程度である可能性を指摘しています。
次に注目されるのは、他の主要な更新世以前の人類の足跡遺跡とは異なり、多数の石器やその製作の痕跡、さらには多くの動物遺骸と人類による屠殺の痕跡といった、生活の痕跡が確認されていることです。石器群は、剥片を主体とする中期アシューリアン(Acheulean)で、おもに黒曜石製です。当時の人類はカバを解体して食べていたようですが、カバの遺骸の痕跡から、人類がカバの遺骸を放棄した後に、ハイエナなどの肉食動物がさらにカバの遺骸を食べた、と推測されています。
この研究は、70万年前頃のアフリカ東部のホモ属集団は、子供が成人に同行し、幼い頃から石器などの道具製作や狩りや屠殺を学習していったのではないか、と推測しています。一方、同じくアフリカ東部でも、ケニアのイレレット(Ileret)遺跡で発見された150万年前頃の人類の足跡群からは、全員が男性の狩猟採集民集団と、女性や子供から構成される集団とに分かれていた可能性も想定されています(関連記事)。これは、成人男性の狩猟採集がおそらくは標準的で、労働作業の性別・年代別分担があったことを示唆しています。一方、イレレット(Ileret)遺跡よりずっと年代の下るゴンボレII-2遺跡では、混合年齢集団による狩猟採集活動が窺われます。ただ、足跡から人類の社会構造の違いを推測することには、足跡を残した個体の年齢・性別をどの程度まで正確に推測できるのか、という問題があるので、確証は難しいと思います。
参考文献:
Altamura F. et al.(2018): Archaeology and ichnology at Gombore II-2, Melka Kunture, Ethiopia: everyday life of a mixed-age hominin group 700,000 years ago. Scientific Reports, 8, 2815.
http://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-21158-7
ゴンボレII-2遺跡では、ほぼ間違いなくホモ属だろう複数個体の足跡が確認されましたが、ガゼルやカバや鳥や不明種の足跡も確認されています。この足跡は上下の火山灰層に挟まれており、アルゴン-アルゴン法により年代は875000±10000年前~709000±13000年前と推定されています。足跡は通常すぐ消え去るので、正確な年代は不明ですが、足跡がつけられた(地質学的時間では)直後に火山灰に覆われたと考えられます。そのため、これらの足跡の年代は70万年前頃に近いと推測されます。ホモ属の足跡で注目されるのは、成人だけではなく、とひじょうに幼いと思われる子供もいた、ということです。ただ、当時のアフリカ東部のホモ属と現代人との性的二型・成長速度・栄養事情の違いなどを考慮しなければならないので、年齢の推定は難しくなっています。この研究は、子供が1歳程度である可能性を指摘しています。
次に注目されるのは、他の主要な更新世以前の人類の足跡遺跡とは異なり、多数の石器やその製作の痕跡、さらには多くの動物遺骸と人類による屠殺の痕跡といった、生活の痕跡が確認されていることです。石器群は、剥片を主体とする中期アシューリアン(Acheulean)で、おもに黒曜石製です。当時の人類はカバを解体して食べていたようですが、カバの遺骸の痕跡から、人類がカバの遺骸を放棄した後に、ハイエナなどの肉食動物がさらにカバの遺骸を食べた、と推測されています。
この研究は、70万年前頃のアフリカ東部のホモ属集団は、子供が成人に同行し、幼い頃から石器などの道具製作や狩りや屠殺を学習していったのではないか、と推測しています。一方、同じくアフリカ東部でも、ケニアのイレレット(Ileret)遺跡で発見された150万年前頃の人類の足跡群からは、全員が男性の狩猟採集民集団と、女性や子供から構成される集団とに分かれていた可能性も想定されています(関連記事)。これは、成人男性の狩猟採集がおそらくは標準的で、労働作業の性別・年代別分担があったことを示唆しています。一方、イレレット(Ileret)遺跡よりずっと年代の下るゴンボレII-2遺跡では、混合年齢集団による狩猟採集活動が窺われます。ただ、足跡から人類の社会構造の違いを推測することには、足跡を残した個体の年齢・性別をどの程度まで正確に推測できるのか、という問題があるので、確証は難しいと思います。
参考文献:
Altamura F. et al.(2018): Archaeology and ichnology at Gombore II-2, Melka Kunture, Ethiopia: everyday life of a mixed-age hominin group 700,000 years ago. Scientific Reports, 8, 2815.
http://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-21158-7
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