濃い肌の色と青い目の1万年前頃のブリテン島の人類

 これは2月10日分の記事として掲載しておきます。1万年前頃のブリテン島の人類の復元像について報道され、日本でも話題になっているようです。これは、1903年にイギリス南西部のサマーセット州チェダー渓谷(Cheddar Gorge)のゴフ洞窟(Gough's Cave)で発見された、1万年前頃の人類(男性)の男性の復元像です。1万年前頃の「イギリス(ヨーロッパ)人」が、濃い肌の色と青い目だったということで、日本では、白人至上主義者の反応に関心を示すなど、人種差別主義的な観点からこの報道に興味を抱いている人が一定以上は存在するようです。イギリスでも大騒ぎになっている、との情報もありますが、じっさいにイギリスでどこまで話題になっているのか、私は確認できていません。

 しかし、この復元像はこれまでの諸研究から予想範囲内のものであり、正直なところ、騒ぐほどのことだろうか、とかなり疑問が残ります。もちろん、研究者の間では常識になっていても、一般層にはほとんど知られていない、といった問題は珍しくないのでしょうが、更新世~完新世初期のヨーロッパの現生人類(Homo sapiens)の肌や目の色については、1回や2回どころではなく何度も報道されているはずで、当ブログでもそうした研究・報道をじゅうぶん追い切れていないのに、何度か取り上げているくらいです。

 ヨーロッパでは中石器時代まで薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、と推測されていますが(関連記事)、青銅器時代には薄い肌の色が高頻度で存在していた、と指摘されています(関連記事)。おそらくヨーロッパでは新石器時代に薄い肌の色が定着していったのでしょうが(関連記事)、その要因については、上記報道にあるように、農耕への依存度が高まり食事でのビタミンD摂取が困難になったことから、薄い色の肌の適応度が高くなった、との説明が有力視されています。肌の色は、薄い方が紫外線を通しやすくなります。人間は紫外線を浴びて体内でビタミンDを合成するので、紫外線量が少なくなる高緯度地帯では、ビタミンD合成のために肌の色が薄い方が有利となります。

 しかし、ビタミンD不足が原因のくる病がヨーロッパで顕著に見られるようになるのは19世紀以降であり、新石器時代にも魚から充分なビタミンDを摂取できたはずだから、ヨーロッパにおける薄い色の肌の定着は、寒さと凍傷への抵抗により薄い色の肌の方が適応度が高くなったからではないか、との見解も提示されています(関連記事)。ただ、他の要因も考えられ、青い目もそうですが、薄い色の肌も、ヨーロッパにおける定着にさいしては、直接的に生存率を上昇させるからというよりは、性選択的要因の方が大きかったのかもしれません。

 更新世末期までのヨーロッパにおいて、現生人類の肌の色は濃く、目は茶色だったのですが、ヨーロッパでは14000年前頃より現生人類の間で青い目が広がり始め、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)で発見された、14000~7000年前頃の期間の現生人類男性は、復元されたチェダー男性と同じく、濃い色の肌と青い目を有していました(関連記事)。これはすでに2年前(2016年)にBBCでも報道されています。1万年前頃のチェダー男性の復元像は確かに視覚的に強い印象を人々に与えるのかもしれませんが、こうした経緯があるので、正直なところ、それほど大騒ぎするものなのだろうか、と疑問に思います。まあ、人類進化に興味を抱いてこなかった人種差別主義者にとっては、大騒ぎに値するのかもしれませんが。なお、ヨーロッパ人の明るい肌・目・髪と関連する、近隣した遺伝子HERC2とOCA2の多様体は100万年前頃にアフリカで出現した、と推定されています(関連記事)。

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