古代DNA解析に基づく更新世ユーラシアの現生人類史
これは1月30日分の記事として掲載しておきます。古代DNA解析に基づき、おもに更新世ユーラシアの現生人類史を検証した研究(Yang, and Fu., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。近年では古代DNAの解析数は着実に増加しており、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など更新世に絶滅した古代型ホモ属とは異なり、完新世も対象になることから、現生人類の古代DNAの解析数は激増していると言えるでしょう(関連記事)。この研究は、おもに更新世を対象として、アメリカ大陸やアフリカ大陸の現生人類の古代DNA解析結果も参照しつつ、45000~7500年前頃のユーラシアにおける現生人類集団の分布と現代人との関連を検証しています。
この研究は、対象となる時期を、45000~35000年前頃の第1期、34000~15000年前頃の第2期、14000~7500年前頃の第3期に区分しています。ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された若い男性は、現代ヨーロッパ人と近縁とされていますが(関連記事)、この時期のヨーロッパ人には、後世のヨーロッパ人とは異なり「基底部ユーラシア人」集団の遺伝的影響は見られません。「基底部ユーラシア人」とは、まだ化石では確認されていない仮定的な系統で、出アフリカ後の現生人類(Homo sapiens)集団で最初に分岐してネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けず、もう一方の系統は、ネアンデルタール人の遺伝的影響を多少受けつつ、その後に現代につながる各地域集団に分岐していった、と想定されています(関連記事)。
北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)遺跡で発見された男性は、現代および古代のヨーロッパ人よりも現代東アジア人および現代アメリカ大陸先住民の方と近縁でしたが、ベルギーで発見された現生人類との近縁性も指摘されています(関連記事)。一方、ロシアのウスチイシム(Ust'-Ishim)で発見された男性の現生人類や(関連記事)、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された現生人類「Oase 1」は(関連記事)、現代には子孫を残していない集団に属していたと考えられています。第1期のユーラシアには、現代東アジア人とより近縁な集団・現代ヨーロッパ人とより近縁な集団・現代への遺伝的影響がほとんどなさそうな集団・基底部ユーラシア人集団という、少なくとも4集団が存在していただろう、とこの研究は推測しています。
第2期には、ヨーロッパの集団は現代ヨーロッパ人と、東アジアの集団は現代東アジア人とより類似していき、現代東アジア人系統と現代ヨーロッパ人系統との分離は4万年前頃までに起きたのではないか、とこの研究は推測しています。南中央シベリアのマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された少年(MA-1)は東アジア人よりもヨーロッパ人の方と近縁で、アメリカ大陸先住民とも密接に関連していました(関連記事)。アメリカ大陸先住民集団は、東アジアから北上した集団と、ユーラシア西部から東進してきた集団との融合により形成されたのでしょう。文化との関連も検証されており、グラヴェティアン(Gravettian)文化の34000年以上前~26000年前の個体群は、ヨーロッパの大半に分散していたにも関わらず、相互に密接に関連していた、と指摘されています。
14000~7500年前頃の第3期には、西ユーラシアの集団は、それ以前のヨーロッパ人よりも多くアジア人や中東人と遺伝子を共有するようになります。第3期の西ユーラシア人は全員、中東もしくはアジア、或いは両方の遺伝的影響をある程度受けています。このことから、地理的に遠い集団間のより大きな相互作用が示唆されています。表現型に関しては、7500年前頃にはヨーロッパではまだ薄い色の肌は広範には定着していなかった、と推測されています。
この研究は、ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類との交雑についても検証しています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑については、古代の現生人類のゲノム解析から、6万~5万年前頃に非アフリカ系現代人の祖先集団とネアンデルタール人との間に交雑があり(関連記事)、その後に37000年以上前におそらくは西ユーラシアで再度ネアンデルタール人との交雑があった(関連記事)、と推測されています。この研究は、少なくとも2回はネアンデルタール人と現生人類との交雑があったと指摘していますが、もちろん、この2回以外にも、現代人に遺伝的影響が残っているような交雑が起きた可能性はあります(関連記事)。
デニソワ人(関連記事)に関しては、現時点では、古代の現生人類のゲノム解析でデニソワ人との交雑の痕跡は確認されておらず、デニソワ人と現生人類との交雑がいつどこで起きたのか、まだ不明です。DNAの保存環境の条件の違いにより、古代DNA解析はある程度以上の高緯度地帯に偏っていますから(それは今後も変わらないでしょう)、デニソワ人と現生人類との交雑は低緯度地帯で起きたのかもしれません。デニソワ人と現生人類との交雑が起きた地域としては東南アジアが有力視されていますが、そうだとすると、デニソワ人は南シベリアから東南アジアまでの広範な地域に存在したことになり、この点に関しては今後も議論が続きそうです(関連記事)。
参考文献:
Yang MA, and Fu Q.(2018): Insights into Modern Human Prehistory Using Ancient Genomes. Trends in Genetics, 34, 3, 184-196.
http://dx.doi.org/10.1016/j.tig.2017.11.008
この研究は、対象となる時期を、45000~35000年前頃の第1期、34000~15000年前頃の第2期、14000~7500年前頃の第3期に区分しています。ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された若い男性は、現代ヨーロッパ人と近縁とされていますが(関連記事)、この時期のヨーロッパ人には、後世のヨーロッパ人とは異なり「基底部ユーラシア人」集団の遺伝的影響は見られません。「基底部ユーラシア人」とは、まだ化石では確認されていない仮定的な系統で、出アフリカ後の現生人類(Homo sapiens)集団で最初に分岐してネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けず、もう一方の系統は、ネアンデルタール人の遺伝的影響を多少受けつつ、その後に現代につながる各地域集団に分岐していった、と想定されています(関連記事)。
北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)遺跡で発見された男性は、現代および古代のヨーロッパ人よりも現代東アジア人および現代アメリカ大陸先住民の方と近縁でしたが、ベルギーで発見された現生人類との近縁性も指摘されています(関連記事)。一方、ロシアのウスチイシム(Ust'-Ishim)で発見された男性の現生人類や(関連記事)、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された現生人類「Oase 1」は(関連記事)、現代には子孫を残していない集団に属していたと考えられています。第1期のユーラシアには、現代東アジア人とより近縁な集団・現代ヨーロッパ人とより近縁な集団・現代への遺伝的影響がほとんどなさそうな集団・基底部ユーラシア人集団という、少なくとも4集団が存在していただろう、とこの研究は推測しています。
第2期には、ヨーロッパの集団は現代ヨーロッパ人と、東アジアの集団は現代東アジア人とより類似していき、現代東アジア人系統と現代ヨーロッパ人系統との分離は4万年前頃までに起きたのではないか、とこの研究は推測しています。南中央シベリアのマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された少年(MA-1)は東アジア人よりもヨーロッパ人の方と近縁で、アメリカ大陸先住民とも密接に関連していました(関連記事)。アメリカ大陸先住民集団は、東アジアから北上した集団と、ユーラシア西部から東進してきた集団との融合により形成されたのでしょう。文化との関連も検証されており、グラヴェティアン(Gravettian)文化の34000年以上前~26000年前の個体群は、ヨーロッパの大半に分散していたにも関わらず、相互に密接に関連していた、と指摘されています。
14000~7500年前頃の第3期には、西ユーラシアの集団は、それ以前のヨーロッパ人よりも多くアジア人や中東人と遺伝子を共有するようになります。第3期の西ユーラシア人は全員、中東もしくはアジア、或いは両方の遺伝的影響をある程度受けています。このことから、地理的に遠い集団間のより大きな相互作用が示唆されています。表現型に関しては、7500年前頃にはヨーロッパではまだ薄い色の肌は広範には定着していなかった、と推測されています。
この研究は、ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類との交雑についても検証しています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑については、古代の現生人類のゲノム解析から、6万~5万年前頃に非アフリカ系現代人の祖先集団とネアンデルタール人との間に交雑があり(関連記事)、その後に37000年以上前におそらくは西ユーラシアで再度ネアンデルタール人との交雑があった(関連記事)、と推測されています。この研究は、少なくとも2回はネアンデルタール人と現生人類との交雑があったと指摘していますが、もちろん、この2回以外にも、現代人に遺伝的影響が残っているような交雑が起きた可能性はあります(関連記事)。
デニソワ人(関連記事)に関しては、現時点では、古代の現生人類のゲノム解析でデニソワ人との交雑の痕跡は確認されておらず、デニソワ人と現生人類との交雑がいつどこで起きたのか、まだ不明です。DNAの保存環境の条件の違いにより、古代DNA解析はある程度以上の高緯度地帯に偏っていますから(それは今後も変わらないでしょう)、デニソワ人と現生人類との交雑は低緯度地帯で起きたのかもしれません。デニソワ人と現生人類との交雑が起きた地域としては東南アジアが有力視されていますが、そうだとすると、デニソワ人は南シベリアから東南アジアまでの広範な地域に存在したことになり、この点に関しては今後も議論が続きそうです(関連記事)。
参考文献:
Yang MA, and Fu Q.(2018): Insights into Modern Human Prehistory Using Ancient Genomes. Trends in Genetics, 34, 3, 184-196.
http://dx.doi.org/10.1016/j.tig.2017.11.008
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