アフリカ外最古の現生人類化石(追記有)
これは1月27日分の記事として掲載しておきます。レヴァントの早期現生人類(Homo sapiens)化石に関する研究(Hershkovitz et al., 2018)が報道されました。読売新聞でも報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。現生人類アフリカ単一起源説は、今では通説として認められていますが、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐっては議論が続いています(関連記事)。これまで、現生人類の出アフリカは12万年前頃までさかのぼる、との見解が有力でした。これは、イスラエルの、スフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)遺跡の早期現生人類遺骸の年代が根拠となっています。しかし、遺伝学的知見からは、このレヴァントへの早期の現生人類の拡散は「失敗し」、レヴァントより東方には拡散しなかった、とされています(関連記事)。
しかし近年では、レヴァント以外の地域でも早期現生人類の存在の可能性が提示されています。東アジアでは12万~8万年前頃の現生人類とされる化石が発見され(関連記事)、石器の分析からは、アラビア半島では海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の期間(125000~70000年前頃)に現生人類が拡散したかもしれない、と指摘されています(関連記事)。これらの早期現生人類の拡散と、現時点での遺伝学的知見とを整合的に解釈すると、現生人類は12万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散し、東アジアにまで到達したものの、現代人の遺伝子プールにはまったく或いはほとんど寄与していない、となるでしょう。ユーラシアに拡散した早期現生人類は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と同様に、現代人の遺伝子プールにわずかに寄与するだけで、後続の出アフリカ現生人類集団に吸収されたか、現代に子孫を残さず絶滅した、というわけです。ただ、現代パプア人に早期現生人類の遺伝的影響が見られる、との見解も提示されています(関連記事)。
この研究は、スフール遺跡と同じくイスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で2002年に発見された、ホモ属の上顎の解剖学的特徴と年代を測定しました。ミスリヤ洞窟は、イスラエルのハイファの南方12kmにあるカルメル山の西側斜面に位置します。このホモ属の上顎の左側には完全な歯列が残っており、その形態的特徴から現生人類と分類されました。ミスリヤ洞窟の上顎の犬歯と他の歯はスフールおよびカフゼー遺跡の初期現生人類のそれと類似している一方で、ネアンデルタール人に見られる特徴が欠けています。ただ、諏訪元氏は、「歯や顎は個体差が大きく、今回の化石だけで現生人類だと判断するのは難しい」と指摘しています。
ミスリヤ洞窟では石器や動物遺骸が発見されており、焼かれたノウサギ・カメ・ダチョウの卵も確認されていますが、大型動物の遺骸がおもに発見されていることから、大型動物が主要な狩猟対象だった可能性が指摘されています(関連記事)。ミスリヤ洞窟の石器群ではルヴァロワ(Levallois)技術が確認されています。ミスリヤ洞窟の上顎の年代は、共伴した加熱された燧石製石器や歯のエナメル質や付着物から推定されました。石器の推定年代は179000±48000年前で、レヴァントの既知のルヴァロワ技術の石器群の年代範囲に収まります。歯のエナメル質は174000年前、上顎の付着物の年代は185000年前と推定されています。ただ、上顎の付着物は汚染されていて7万年ほど古く年代が出ているという可能性と、上顎が上層から嵌入した可能性が指摘されています。もっとも、複数の年代測定結果が近い年代を示しており、ミスリヤ洞窟の上顎が初期現生人類のものだとすると、これは現時点でアフリカ外では最古の現生人類遺骸となりそうです。この研究は、ミスリヤ洞窟の上顎の年代は194000~177000年前頃ではないか、と推測しています。
ただ、上述した諏訪元氏の指摘にあるように、上顎だけで現生人類と判断するのは難しいところがあります。それでも、18万年前頃近くまでさかのぼる現生人類的な上顎の個体がレヴァントに存在していた、という可能性は高そうです。すでに、アフリカ北部では30万年以上前の現生人類的な化石が発見されており(関連記事)、195000±5000年前と推定されている現生人類化石がアフリカ東部で発見されていますから(関連記事)、現生人類が18万年前頃までにアフリカからレヴァントへと進出していた可能性はじゅうぶん考えられます。また、上述した東アジアにおける早期現生人類の存在の可能性からすると、現生人類は20万年前頃までにレヴァントよりも東方まで拡散していた可能性もあります。
すでにネアンデルタール人と現生人類との10万年前頃の交雑の可能性が指摘されていましたが(関連記事)、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列からは、その年代が145000~130000年前頃よりもさかのぼりそうだとの見解が提示されており(関連記事)、ミスリヤ洞窟の上顎の年代は、近年のこうした遺伝学的知見と整合的と言えそうです。上述したように、現時点での遺伝学的知見からは、このミスリヤ洞窟の個体も含めて早期現生人類の出アフリカは「失敗」し、現代人の遺伝子プールにはほとんど寄与していないか、絶滅した可能性も考えられます。早期現生人類は気候が湿潤な244000~190000万年前頃にアフリカからレヴァントへと拡散し、気候が再度乾燥化した時に絶滅したのかもしれない、というわけです。
この早期現生人類の拡散を、ネアンデルタール人系統における後期のミトコンドリアDNA(mtDNA)の置換(関連記事)や、ルヴァロワ技術の拡散と結びつける見解も上記報道では見られました。早期現生人類がルヴァロワ技術を携えてアフリカからユーラシアに拡散し、ネアンデルタール人系統にmtDNAをもたらした、というわけです。しかし、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAの置換という仮説が妥当だとして、ネアンデルタール人に新たなmtDNAをもたらした系統は40万年前頃に現代人系統と分岐して、ネアンデルタール人系統のmtDNA置換は27万年前頃までには起きたと考えられますし(関連記事)、ルヴァロワ技術は33万年前頃にはコーカサスにまで拡散していましたから(関連記事)、ネアンデルタール人系統にmtDNA置換をもたらしたのは、ネアンデルタール人よりも現生人類系統と近縁な古代型ホモ属系統と考えるのが妥当だと思われます。また、上記報道ではルヴァロワ技術の起源と現生人類を関連づけ、ルヴァロワ技術の拡散が現生人類拡散の指標になり得るとの見解も取り上げられていましたが、ルヴァロワ技術はアフリカ南部で50万年以上前までさかのぼる可能性があり(関連記事)、その起源を現生人類と結びつけるのは難しいように思われます。
参考文献:
Hershkovitz I. et al.(2018): The earliest modern humans outside Africa. Science, 359, 6374, 456-459.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aap8369
追記(2018年1月29日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
しかし近年では、レヴァント以外の地域でも早期現生人類の存在の可能性が提示されています。東アジアでは12万~8万年前頃の現生人類とされる化石が発見され(関連記事)、石器の分析からは、アラビア半島では海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の期間(125000~70000年前頃)に現生人類が拡散したかもしれない、と指摘されています(関連記事)。これらの早期現生人類の拡散と、現時点での遺伝学的知見とを整合的に解釈すると、現生人類は12万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散し、東アジアにまで到達したものの、現代人の遺伝子プールにはまったく或いはほとんど寄与していない、となるでしょう。ユーラシアに拡散した早期現生人類は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と同様に、現代人の遺伝子プールにわずかに寄与するだけで、後続の出アフリカ現生人類集団に吸収されたか、現代に子孫を残さず絶滅した、というわけです。ただ、現代パプア人に早期現生人類の遺伝的影響が見られる、との見解も提示されています(関連記事)。
この研究は、スフール遺跡と同じくイスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で2002年に発見された、ホモ属の上顎の解剖学的特徴と年代を測定しました。ミスリヤ洞窟は、イスラエルのハイファの南方12kmにあるカルメル山の西側斜面に位置します。このホモ属の上顎の左側には完全な歯列が残っており、その形態的特徴から現生人類と分類されました。ミスリヤ洞窟の上顎の犬歯と他の歯はスフールおよびカフゼー遺跡の初期現生人類のそれと類似している一方で、ネアンデルタール人に見られる特徴が欠けています。ただ、諏訪元氏は、「歯や顎は個体差が大きく、今回の化石だけで現生人類だと判断するのは難しい」と指摘しています。
ミスリヤ洞窟では石器や動物遺骸が発見されており、焼かれたノウサギ・カメ・ダチョウの卵も確認されていますが、大型動物の遺骸がおもに発見されていることから、大型動物が主要な狩猟対象だった可能性が指摘されています(関連記事)。ミスリヤ洞窟の石器群ではルヴァロワ(Levallois)技術が確認されています。ミスリヤ洞窟の上顎の年代は、共伴した加熱された燧石製石器や歯のエナメル質や付着物から推定されました。石器の推定年代は179000±48000年前で、レヴァントの既知のルヴァロワ技術の石器群の年代範囲に収まります。歯のエナメル質は174000年前、上顎の付着物の年代は185000年前と推定されています。ただ、上顎の付着物は汚染されていて7万年ほど古く年代が出ているという可能性と、上顎が上層から嵌入した可能性が指摘されています。もっとも、複数の年代測定結果が近い年代を示しており、ミスリヤ洞窟の上顎が初期現生人類のものだとすると、これは現時点でアフリカ外では最古の現生人類遺骸となりそうです。この研究は、ミスリヤ洞窟の上顎の年代は194000~177000年前頃ではないか、と推測しています。
ただ、上述した諏訪元氏の指摘にあるように、上顎だけで現生人類と判断するのは難しいところがあります。それでも、18万年前頃近くまでさかのぼる現生人類的な上顎の個体がレヴァントに存在していた、という可能性は高そうです。すでに、アフリカ北部では30万年以上前の現生人類的な化石が発見されており(関連記事)、195000±5000年前と推定されている現生人類化石がアフリカ東部で発見されていますから(関連記事)、現生人類が18万年前頃までにアフリカからレヴァントへと進出していた可能性はじゅうぶん考えられます。また、上述した東アジアにおける早期現生人類の存在の可能性からすると、現生人類は20万年前頃までにレヴァントよりも東方まで拡散していた可能性もあります。
すでにネアンデルタール人と現生人類との10万年前頃の交雑の可能性が指摘されていましたが(関連記事)、クロアチアのネアンデルタール人の高品質なゲノム配列からは、その年代が145000~130000年前頃よりもさかのぼりそうだとの見解が提示されており(関連記事)、ミスリヤ洞窟の上顎の年代は、近年のこうした遺伝学的知見と整合的と言えそうです。上述したように、現時点での遺伝学的知見からは、このミスリヤ洞窟の個体も含めて早期現生人類の出アフリカは「失敗」し、現代人の遺伝子プールにはほとんど寄与していないか、絶滅した可能性も考えられます。早期現生人類は気候が湿潤な244000~190000万年前頃にアフリカからレヴァントへと拡散し、気候が再度乾燥化した時に絶滅したのかもしれない、というわけです。
この早期現生人類の拡散を、ネアンデルタール人系統における後期のミトコンドリアDNA(mtDNA)の置換(関連記事)や、ルヴァロワ技術の拡散と結びつける見解も上記報道では見られました。早期現生人類がルヴァロワ技術を携えてアフリカからユーラシアに拡散し、ネアンデルタール人系統にmtDNAをもたらした、というわけです。しかし、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAの置換という仮説が妥当だとして、ネアンデルタール人に新たなmtDNAをもたらした系統は40万年前頃に現代人系統と分岐して、ネアンデルタール人系統のmtDNA置換は27万年前頃までには起きたと考えられますし(関連記事)、ルヴァロワ技術は33万年前頃にはコーカサスにまで拡散していましたから(関連記事)、ネアンデルタール人系統にmtDNA置換をもたらしたのは、ネアンデルタール人よりも現生人類系統と近縁な古代型ホモ属系統と考えるのが妥当だと思われます。また、上記報道ではルヴァロワ技術の起源と現生人類を関連づけ、ルヴァロワ技術の拡散が現生人類拡散の指標になり得るとの見解も取り上げられていましたが、ルヴァロワ技術はアフリカ南部で50万年以上前までさかのぼる可能性があり(関連記事)、その起源を現生人類と結びつけるのは難しいように思われます。
参考文献:
Hershkovitz I. et al.(2018): The earliest modern humans outside Africa. Science, 359, 6374, 456-459.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aap8369
追記(2018年1月29日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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