「原始社会」母系制論と唯物史観

 これは1月11日分の記事として掲載しておきます。以前にも述べましたが(関連記事)、人類の「原始社会」は母系制だった、という見解は根強いように思います。この見解の根源はモルガンやバッハオーフェンにあるとしても、広範に浸透した直接的契機は、唯物史観というか、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』にあるのではないか、と思います。もっとも、私はこの問題に関する学説史をほとんど把握していないので、あるいは的外れなことを言っているかもしれませんが、とりあえず、私の認識が大外れではないと仮定して、以下に述べていきます。現在、こうした唯物史観的な「原始社会」母系制論は、以下の引用にあるように、基本的に否定されていると言ってよいでしょう(関連記事)。

 現代の人類学研究は、対偶婚(自由な性関係を許容するカップル関係)の存在は承認しているが、モルガンの集団婚の諸形態論や母系制必然論を批判し、モルガンの集団婚論やバッハオーフェンの生物学的母権論を無批判に導入したエンゲルス『起原』を批判しつつ、未開社会における父系制的親族社会の広範な存在を実証している(サーヴィス1979、ゴドリエ1976、ブロック1996)。

 しかし、今でも一般層には「原始社会」母系制論が根強く浸透しているのではないか、と思います。たとえば、やや古くなりますが、2007年9月刊行の『かごしま歴教協通信』第36号では、当時現役の高校教師だったと思われる大平政徳氏が、以下のように述べています(関連記事)。

さて,戦争のなかった時代とは原始共産制社会です。
その社会は母系制の「平等」社会で,「富」の蓄積が存在せず,貧富の差がない代わりに「飢餓の平等」と言ってもいい社会です。


 この後段において、大平氏が

読者諸賢にとっては筆者がきわめて古めかしい理論を展開しているように思われるかも知れません。

と述べているように、2007年時点でもこうした見解は時代遅れと考えられていたのではないか、とも解釈できます。ただ、それは戦争の起源を唯物史観的に説明することであり、「原始社会」が母系制であることへの疑問ではないように思います。「富の蓄積による私有財産の発生」により「原始共産制社会」から「私有財産を自分の子どもに相続させる男性優位の社会」に移行し、「階級社会」が戦争の根本原因だ、というような典型的な唯物史観的論理は、2007年の時点でとっくに「古めかしい」と一般層にも認識されていたとしても、「原始社会」が母系制であるとの見解まで「古めかしい」と考えられていたのかというと、違うのではないか、とも思います。まあ、本格的に調べたわけではなく、私の観測範囲での感覚にすぎないので、確証があるわけではないのですが。

 上述したように、「未開社会における父系制的親族社会の広範な存在」は実証されているとしても、では、「未開社会」というか、「太古」という意味合いがもっと強く込められているように思う「原始社会」、とくに完新世よりも前においてどうだったのかというと、現時点では具体的な証拠はほとんど得られていない、と言えるでしょう。完新世では、後期新石器時代~初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいて、夫居制的婚姻行動が示唆されています(関連記事)。

 完新世よりも前では、現生人類(Homo sapiens)の事例ではありませんが、同位体比の分析から、アウストラロピテクス属とパラントロプス属では女性の方が移動範囲は広かった、と指摘されています(関連記事)。同じく現生人類の事例ではありませんが、後期更新世のイベリア半島北部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)社会において、夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されています(関連記事)。

 霊長類学からも、人類社会は父系的な構造だった可能性が指摘されており(関連記事)、元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、と思います。それが、現生人類の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています。

 唯物史観は今では否定・克服されたとして、その影響力を過大視することに否定的な人は少なくないかもしれませんが、呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』(関連記事)で指摘されているように、人々は今でも無意識のうちに唯物史観(階級闘争史観)に拘束されており、克服されたとの認識により、かえって唯物史観の影響に気づきにくくなっているのかもしれません。なお、戦争の起源については、当ブログでも言及したことがあり(関連記事)、上記の引用文の見解には疑問が残りますが、ある程度以上調べたうえで、後日(当分先になりそうですが)改めて当ブログに掲載しよう、と考えています。

この記事へのコメント

2018年01月08日 20:41
「父系制的親族社会の広範な存在が実証されている」「未開社会」とは具体的にどのような社会なのか?発言者は「未開社会」をどう定義しているのでしょうね。
 初期ローマが父系社会であることはモルガンもエンゲルスも認めていますが、確かそれを「未開高段階」に置いてますね。原始社会をエンゲルスは「野蛮」の低・中・高、「未開」の低・中・高の6段階に分けています(多分、モルガンを踏襲)。そして、未開の中段階と高段階の境目には父系制が成立したと言っています。
 つまり、モルガン、エンゲルスにしても、未開社会高段階には「父系制的親族社会の広範な存在」を承認しているわけです。
 それと、集団婚や母系制に関しては、近頃ではマルクス主義以外からも、主張者が出ていますね。クリストファー・ライアン他『性の進化論』等。
 確かに、本当の「太古」「原始社会」の場合は、もう証明のしようがないのですが、私は人類の初期は集団婚と母系制だったと思います。
2018年01月08日 20:44
どうも、関連問題で私のブログの方にコメントいただいておきながら、まともにご返事もせず、申し訳ありません。おいおい、ご返答させていただきます。
2018年01月08日 21:05
人類学で云う「未開社会」とは一般的には、狩猟や採集に大きく依存し、「農耕」や「近代都市」には依存していない社会でしょうね。

現生霊長類の行動観察やゲノム解析、ネアンデルタール人のDNA解析、アウストラロピテクス属およびパラントロプス属の行動範囲の性差などから、初期人類は「乱婚」社会を経験せず、父系的な構造の社会を形成していた可能性が高いと思います。確証を得るのは困難ですが。
2018年01月08日 21:27
どうも、それとツィッターにいただいた分にも、遅ればせながら、返信させていただきましたので、よろしければご覧下さい。

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