川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』
これは12月24日分の記事として掲載しておきます。川端裕人著、海部陽介監修で、講談社ブルーバックスの一冊として、講談社から2017年12月に刊行されました。本書はおもに著者の監修者へのインタビューで構成されています。そのため、本書の見解は基本的に監修者の見解となります。監修者の見解すべてが有力説になっているわけではないので、異論も少なからずあるかもしれませんが、全体的に読みやすく、著者が発掘現場・研究室を訪れて描写しているため臨場感があり、興味深い一般向け書籍になっている、と思います。
本書は人類進化史を簡潔に解説した後、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから世界各地へと拡散する前にアジアに存在した、多様な人類を取り上げています。アジアの人類は今のところホモ属しか確認されていないため、本書がおもに取り上げるのはホモ属となります。本書の表題には「アジア」とありますが、対象となる地域はおもに東南アジアで、監修者が研究してきたエレクトス(Homo erectus)とフロレシエンシス(Homo floresiensis)についての分量が多くなっています。また、監修者が主要な研究者として関わった、台湾沖で発見されたホモ属化石「澎湖1(Penghu 1)」(関連記事)についても1章割かれています。
対象を絞っていることもあり、本書は一般向け書籍としてはなかなか濃い内容になっていると思います。監修者の著書や論文はわりと読んできたので、本書の見解でとくに意外なものはなかったのですが、エレクトスやフロレシエンシスについては詳しい解説があり、フロレシエンシスについては病変現生人類説とそれへの反論にもかなりの分量が割かれていたので、有益でした。インドネシアの研究者・研究機関の間の対立もわずかに言及されていましたが、ここを詳しく解説すると暴露本になりかねないので、これでよかったと思います。
本書は、現生人類がアフリカから拡散する前に、アジアには多様な人類(ホモ属)が存在したことを指摘します。それが現在では、現生人類しかいません。なぜアジアの人類の多様性が失われたのか、と問う本書は、現生人類がきわめて創造的で多様な環境に拡散できる種であることを重視します。現生人類は短期間で世界中に拡散できたが故に均質であり、交通手段の発達した近年ではさらに均質化していっているかもしれない、と本書は論じます。逆に、多様な人類が存在した時代のアジアは、各ホモ属種が「閉じ込められ」た故に多様だったのだ、と本書は指摘します。
これはたいへん重要な指摘になると思います。本書で述べられているように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが「孤立」や「分断」に起因するところが多分にあるとすると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と本書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。
本書は最後に、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、遺伝学的に現生人類ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)について、独立した分類群ではない可能性を提示しています。また、現生人類が東南アジアのエレクトスと交雑した可能性も指摘されています。これらの見解は監修者の最近の論文(関連記事)で提示されていますが、まだ有力説とは認められていません。私もデニソワ人に関する監修者の見解に全面的には同意していませんが、それについては上記のブログ記事にて述べたので、ここでは繰り返しません。
参考文献:
川端裕人著(2017)、海部陽介監修『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社)
本書は人類進化史を簡潔に解説した後、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから世界各地へと拡散する前にアジアに存在した、多様な人類を取り上げています。アジアの人類は今のところホモ属しか確認されていないため、本書がおもに取り上げるのはホモ属となります。本書の表題には「アジア」とありますが、対象となる地域はおもに東南アジアで、監修者が研究してきたエレクトス(Homo erectus)とフロレシエンシス(Homo floresiensis)についての分量が多くなっています。また、監修者が主要な研究者として関わった、台湾沖で発見されたホモ属化石「澎湖1(Penghu 1)」(関連記事)についても1章割かれています。
対象を絞っていることもあり、本書は一般向け書籍としてはなかなか濃い内容になっていると思います。監修者の著書や論文はわりと読んできたので、本書の見解でとくに意外なものはなかったのですが、エレクトスやフロレシエンシスについては詳しい解説があり、フロレシエンシスについては病変現生人類説とそれへの反論にもかなりの分量が割かれていたので、有益でした。インドネシアの研究者・研究機関の間の対立もわずかに言及されていましたが、ここを詳しく解説すると暴露本になりかねないので、これでよかったと思います。
本書は、現生人類がアフリカから拡散する前に、アジアには多様な人類(ホモ属)が存在したことを指摘します。それが現在では、現生人類しかいません。なぜアジアの人類の多様性が失われたのか、と問う本書は、現生人類がきわめて創造的で多様な環境に拡散できる種であることを重視します。現生人類は短期間で世界中に拡散できたが故に均質であり、交通手段の発達した近年ではさらに均質化していっているかもしれない、と本書は論じます。逆に、多様な人類が存在した時代のアジアは、各ホモ属種が「閉じ込められ」た故に多様だったのだ、と本書は指摘します。
これはたいへん重要な指摘になると思います。本書で述べられているように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが「孤立」や「分断」に起因するところが多分にあるとすると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と本書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。
本書は最後に、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、遺伝学的に現生人類ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる、種区分未定のデニソワ人(Denisovan)について、独立した分類群ではない可能性を提示しています。また、現生人類が東南アジアのエレクトスと交雑した可能性も指摘されています。これらの見解は監修者の最近の論文(関連記事)で提示されていますが、まだ有力説とは認められていません。私もデニソワ人に関する監修者の見解に全面的には同意していませんが、それについては上記のブログ記事にて述べたので、ここでは繰り返しません。
参考文献:
川端裕人著(2017)、海部陽介監修『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社)
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