現生人類到達前のアジアの人類史とデニソワ人の見直し
これは12月13日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)到達前のアジアの人類史に関する研究(Kaifu., 2017)が公表されました。本論文が対象とする地域は、おもに東および東南アジアで、南アジア・オセアニア・アルタイ地域も含まれます。これらの地域では明確にホモ属ではない人類化石は発見されていないので、基本的にはホモ属の進化史として考えられます。現生人類出現前の東・東南アジアのホモ属(古代型ホモ属)進化史は、エレクトス(Homo erectus)が東アジア北部から東南アジアのスンダランドまで広範な地域に拡散してきた、という観点から把握されてきたように思います。
しかし、本論文の著者である海部陽介氏が主要な研究者として関わった、台湾沖で発見されたホモ属化石「澎湖1(Penghu 1)」についての論文(関連記事)からも、東アジアにおける中期~後期更新世のホモ属の進化は複雑だったことが窺えます。本論文は、その台湾沖で発見されたホモ属化石も含めて、現生人類がアフリカから侵出してくる前の上記地域のホモ属化石を改めて検証し、現時点では明らかに化石証拠が不足していることを指摘しつつ、これらの地域の複雑なホモ属進化史像を提示しています。
本論文は、ジャワ島のエレクトスでは漸進的な進化が確認され、おそらくは120万年以上の地域的な継続的進化があったのだろう、と推測しています。ジャワ島のエレクトスは、同じくエレクトスと分類される東アジア北部のホモ属化石群とは区分され得る、と指摘されています。また、ジャワ島のエレクトスと東アジア北部のエレクトスの間には、地域的な形態的変容の連続性が欠如している、とも指摘されています。東アジアの後期古代型ホモ属のなかには、脳容量の増大など派生的な特徴が見られるものもあります。しかし、これが東アジア在来のエレクトスの進化の結果なのか、アフリカやヨーロッパの後期古代型ホモ属の拡散の結果なのか、まだ不明です。本論文は、東アジアにおいては、顔面における形態的連続性などから、アフリカや西アジアやヨーロッパなど西方からの後期古代型ホモ属によるエレクトスとの全面的な置換はなさそうだ、との見解を提示しています。
南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)では遺伝学的に未知のホモ属化石が発見され、種区分は未定ですが、デニソワ人(Denisovan)という分類群が設定されています。インドネシア領フローレス島では、小型のホモ属フロレシエンシス(Homo floresiensis)が発見されています。本論文は、フロレシエンシスはジャワ島の初期エレクトス系統から派生し、フローレス島での100万年におよぶ孤立で島嶼化などにより独特な形態が進化していった、という見解を提示しています。上述した澎湖1には祖先的な特徴が認められるため、東アジア南部では東アジア北部のエレクトスやジャワ島のエレクトスとは異なる独自の系統のホモ属が進化していった可能性も想定されています。この他の後期古代型ホモ属として、東アジア南部の馬壩(Maba)人や南アジアのナルマダ(Narmada)人がおり、アフリカ起源のユーラシア西部のホモ属集団の遺伝的影響を受けた可能性があります。
本論文は、このような知見を前提として、(現代人の主要な遺伝子源となっただろう)アフリカ起源の現生人類集団が最初にアジア東部~オセアニアに侵出してきた時の状況とデニソワ人について考察しています。デニソワ人については、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAとで、解析結果に基づく系統樹における位置づけが異なるといった問題が議論されており、その件も含めて、デニソワ人については以前このブログでまとめました(関連記事)。
デニソワ人の現代人への遺伝的影響は、オセアニアのなかでも、いわゆるオーストラロイド系において顕著に高く、アフリカやヨーロッパではほぼ皆無なのですが、現時点でデニソワ人が確認されているのはアルタイ地域だけです。そのため、デニソワ人の生息範囲、さらには現生人類と交雑した地域が議論になっています。オーストラロイド系の主要な祖先集団となっただろうオセアニアの初期現生人類は、ほぼ間違いなくヒマラヤ山脈の南方を経由してアフリカから東進してきたでしょうから、デニソワ人とオーストラロイド系現代人の祖先集団との交雑は、南もしくは東南アジアで起きたと考えられます。この「南方デニソワ人」が「北方(アルタイ地域)デニソワ人」と同じ系統に属すのか、そもそも、後期更新世に現生人類が最初に南・東南アジアに進出してきた時に交雑したホモ属集団は進化史においてどのように位置づけられるのか、ということを本論文は検証しています。
南・東南アジアに現生人類が最初に侵出してきた時、上記の知見から、これらの地域には少なくとも3系統の古代型ホモ属系統がいた、と本論文は推測しています。それは、馬壩人のような西方の後期古代型ホモ属の遺伝的影響を受けたかもしれない系統、スンダランドに広範に存在していたであろうジャワ島のエレクトス系統、フロレシエンシス系統です。現時点では、シベリアから東南アジアの広範囲に分散した、単一の形態群に分類できる後期ホモ属の存在を示唆する人類化石証拠はない、と本論文は指摘します。
したがって本論文は、広範囲に存在した分類群としてのデニソワ人という有力説にたいして、代替的な仮説を提示しています。それは、オセアニア系現代人の祖先集団に遺伝的影響を及ぼした南もしくは東南アジアの古代型ホモ属が、デニソワ人と祖先を共有していた、というものです。これは、著者が以前に提唱した、デニソワ人は分類学的実態を有さず、地域的な祖先的集団と交雑したネアンデルタール人である、という仮説(関連記事)を発展させたものと言えるでしょう。
つまり、同じくデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人(北方デニソワ人)とネアンデルタール人は同じ系統に属していたのであり、「北方デニソワ人」の祖先集団(ネアンデルタール人系統)と交雑した地域的集団と近縁の地域的集団(南方デニソワ人)が南もしくは東南アジアにおり、交雑により北方デニソワ人と同じDNAをオーストラロイド系現代人の祖先集団にもたらしたのではないか、というわけです。この仮説では、ネアンデルタール人および現生人類とは遠い関係にある(現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統と分岐した)デニソワ人のmtDNAは、「南方デニソワ人」と近縁の系統に由来するのではないか、ということになります。
では、「南方デニソワ人」は、上記の3系統の古代型ホモ属のうちどれなのか、ということが問題になります。馬壩人のような南・東南アジアの後期古代型ホモ属は、西ユーラシアから新たに拡散してきた集団の遺伝的影響を受けているかもしれず、「南方デニソワ人」の候補となります。しかし、南・東南アジアの現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響がきわめて小さいことと矛盾する、と本論文は指摘します。フロレシエンシスについては、オーストラロイド系現代人の祖先集団にフロレシエンシス的な形態学的特徴が見られないため、フロレシエンシスと現生人類との交雑があったのか、本論文は疑問視しています。
本論文が「南方デニソワ人」というか、南もしくは東南アジアでオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した可能性が高いと考えている古代型ホモ属は、ジャワ島のエレクトス系統です。上述したように、ジャワ島のエレクトスは120万年以上孤立して進化してきたと考えられ、76万~55万年前頃という現生人類系統とデニソワ人系統との推定分岐年代と矛盾します。しかし本論文は、「北方デニソワ人」がネアンデルタール人と(ネアンデルタール人よりも現生人類とは遠い系統関係にある)地域的集団との交雑集団だと考えれば、問題にはならないかもしれない、と指摘しています。もしジャワ島のエレクトス系統が南方デニソワ人だとすると、オーストラロイド系のオーストラリア先住民に見られると主張された頭蓋のエレクトス的な形態学的特徴を説明できるかもしれない、と本論文は指摘しています。また、更新世にスンダランドだった地域の現代人集団におけるデニソワ人の遺伝的影響の小ささは、後の北方からの農耕民の拡散により説明できるかもしれない、との見解も提示されています。
以上、ざっと本論文について見てきましたが、ユーラシア東部における現生人類拡散前の進化史がまとめられ、たいへん有益だと思います。デニソワ人についての見解もたいへん興味深いのですが、疑問もあります。それは、本論文では言及されていませんが、イベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された、中期更新世となる43万年前頃の人骨群のDNA解析結果があるからです(関連記事)。
SH人骨群のDNA解析の結果、ネアンデルタール人のmtDNAは元々「デニソワ人型」で、後期ネアンデルタール人のmtDNAは、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類に近い(遺伝学的に)未知の人類系統からもたらされたのではないか、との見解が有力になりつつあるように思います。デニソワ人のmtDNAは、現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統と分岐した遺伝学的に未知の「超古代系統」のホモ属からもたらされたわけではない、というわけです。ただ、本論文の見解は、「超古代系統」のホモ属とデニソワ人の交雑という知見(関連記事)と整合的であり、デニソワ人のmtDNAが「超古代系統」のホモ属に由来しないとしても、本論文の見解は成立するでしょうし、人類進化史におけるデニソワ人の位置づけをめぐる議論において、検証対象とされるべき有力な仮説の一つだとは思います。
現時点ではとても断定できませんが、SH人骨群のDNA解析結果を踏まえると、デニソワ人は実態のある単系統群であり、ネアンデルタール人系統と分岐した後、ユーラシア大陸の北側(中央部)と南側(沿岸部)に分かれて東進し、後者の系統が南アジアか東南アジアでセアニア系現代人の祖先集団と交雑した、という見解の方がより節約的であるように思います。スンダランドに広範に存在していたであろうジャワ島のエレクトス系統と近縁の系統が、アルタイ地域のネアンデルタール人に遺伝的影響を及ぼすよりは、実態のあるデニソワ人という単系統群が南北に別れて東進し、「南方デニソワ人」がオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した方があり得そうかな、というわけです。デニソワ人と交雑した「超古代系統」のホモ属としては、たとえば、ヨーロッパに存在したアンテセッサー(Homo antecessor)を想定しています。
「北方デニソワ人」は現生人類とはほとんど交雑せず絶滅し、「南方デニソワ人」はオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した後に吸収される形で絶滅し、後続の現生人類集団が南・東南アジアに到達した頃には存在しなかった、と考えると現時点での証拠とそれなりに整合的ではないか、と思います。ただ、南アジアにおいて、シェルパではデニソワ人由来のゲノム領域の割合が近隣の他地域集団よりとくに高い、との知見もあり(関連記事)、「南方デニソワ人」は高地から沿岸地帯まで南アジアに広範に存在し、オーストラロイド系現代人の祖先集団が南アジアからさらに東方へと拡散した後も細々と存続して、ごく一部の現生人類と交雑した、という可能性も想定できるように思います。デニソワ人と現生人類との交雑は複数回起きたのではないか、というわけです。もしこの想定が妥当だとすると、「北方デニソワ人」と「南方デニソワ人」には遺伝的にかなりの違いがあり、デニソワ人の遺伝的多様性は現在の推定よりずっと高くなるでしょう。
参考文献:
Kaifu Y.(2017): Archaic Hominin Populations in Asia before the Arrival of Modern Humans: Their Phylogeny and Implications for the “Southern Denisovans”. Current Anthropology, 58, S17, S418-S433.
http://dx.doi.org/10.1086/694318
しかし、本論文の著者である海部陽介氏が主要な研究者として関わった、台湾沖で発見されたホモ属化石「澎湖1(Penghu 1)」についての論文(関連記事)からも、東アジアにおける中期~後期更新世のホモ属の進化は複雑だったことが窺えます。本論文は、その台湾沖で発見されたホモ属化石も含めて、現生人類がアフリカから侵出してくる前の上記地域のホモ属化石を改めて検証し、現時点では明らかに化石証拠が不足していることを指摘しつつ、これらの地域の複雑なホモ属進化史像を提示しています。
本論文は、ジャワ島のエレクトスでは漸進的な進化が確認され、おそらくは120万年以上の地域的な継続的進化があったのだろう、と推測しています。ジャワ島のエレクトスは、同じくエレクトスと分類される東アジア北部のホモ属化石群とは区分され得る、と指摘されています。また、ジャワ島のエレクトスと東アジア北部のエレクトスの間には、地域的な形態的変容の連続性が欠如している、とも指摘されています。東アジアの後期古代型ホモ属のなかには、脳容量の増大など派生的な特徴が見られるものもあります。しかし、これが東アジア在来のエレクトスの進化の結果なのか、アフリカやヨーロッパの後期古代型ホモ属の拡散の結果なのか、まだ不明です。本論文は、東アジアにおいては、顔面における形態的連続性などから、アフリカや西アジアやヨーロッパなど西方からの後期古代型ホモ属によるエレクトスとの全面的な置換はなさそうだ、との見解を提示しています。
南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)では遺伝学的に未知のホモ属化石が発見され、種区分は未定ですが、デニソワ人(Denisovan)という分類群が設定されています。インドネシア領フローレス島では、小型のホモ属フロレシエンシス(Homo floresiensis)が発見されています。本論文は、フロレシエンシスはジャワ島の初期エレクトス系統から派生し、フローレス島での100万年におよぶ孤立で島嶼化などにより独特な形態が進化していった、という見解を提示しています。上述した澎湖1には祖先的な特徴が認められるため、東アジア南部では東アジア北部のエレクトスやジャワ島のエレクトスとは異なる独自の系統のホモ属が進化していった可能性も想定されています。この他の後期古代型ホモ属として、東アジア南部の馬壩(Maba)人や南アジアのナルマダ(Narmada)人がおり、アフリカ起源のユーラシア西部のホモ属集団の遺伝的影響を受けた可能性があります。
本論文は、このような知見を前提として、(現代人の主要な遺伝子源となっただろう)アフリカ起源の現生人類集団が最初にアジア東部~オセアニアに侵出してきた時の状況とデニソワ人について考察しています。デニソワ人については、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAとで、解析結果に基づく系統樹における位置づけが異なるといった問題が議論されており、その件も含めて、デニソワ人については以前このブログでまとめました(関連記事)。
デニソワ人の現代人への遺伝的影響は、オセアニアのなかでも、いわゆるオーストラロイド系において顕著に高く、アフリカやヨーロッパではほぼ皆無なのですが、現時点でデニソワ人が確認されているのはアルタイ地域だけです。そのため、デニソワ人の生息範囲、さらには現生人類と交雑した地域が議論になっています。オーストラロイド系の主要な祖先集団となっただろうオセアニアの初期現生人類は、ほぼ間違いなくヒマラヤ山脈の南方を経由してアフリカから東進してきたでしょうから、デニソワ人とオーストラロイド系現代人の祖先集団との交雑は、南もしくは東南アジアで起きたと考えられます。この「南方デニソワ人」が「北方(アルタイ地域)デニソワ人」と同じ系統に属すのか、そもそも、後期更新世に現生人類が最初に南・東南アジアに進出してきた時に交雑したホモ属集団は進化史においてどのように位置づけられるのか、ということを本論文は検証しています。
南・東南アジアに現生人類が最初に侵出してきた時、上記の知見から、これらの地域には少なくとも3系統の古代型ホモ属系統がいた、と本論文は推測しています。それは、馬壩人のような西方の後期古代型ホモ属の遺伝的影響を受けたかもしれない系統、スンダランドに広範に存在していたであろうジャワ島のエレクトス系統、フロレシエンシス系統です。現時点では、シベリアから東南アジアの広範囲に分散した、単一の形態群に分類できる後期ホモ属の存在を示唆する人類化石証拠はない、と本論文は指摘します。
したがって本論文は、広範囲に存在した分類群としてのデニソワ人という有力説にたいして、代替的な仮説を提示しています。それは、オセアニア系現代人の祖先集団に遺伝的影響を及ぼした南もしくは東南アジアの古代型ホモ属が、デニソワ人と祖先を共有していた、というものです。これは、著者が以前に提唱した、デニソワ人は分類学的実態を有さず、地域的な祖先的集団と交雑したネアンデルタール人である、という仮説(関連記事)を発展させたものと言えるでしょう。
つまり、同じくデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人(北方デニソワ人)とネアンデルタール人は同じ系統に属していたのであり、「北方デニソワ人」の祖先集団(ネアンデルタール人系統)と交雑した地域的集団と近縁の地域的集団(南方デニソワ人)が南もしくは東南アジアにおり、交雑により北方デニソワ人と同じDNAをオーストラロイド系現代人の祖先集団にもたらしたのではないか、というわけです。この仮説では、ネアンデルタール人および現生人類とは遠い関係にある(現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統と分岐した)デニソワ人のmtDNAは、「南方デニソワ人」と近縁の系統に由来するのではないか、ということになります。
では、「南方デニソワ人」は、上記の3系統の古代型ホモ属のうちどれなのか、ということが問題になります。馬壩人のような南・東南アジアの後期古代型ホモ属は、西ユーラシアから新たに拡散してきた集団の遺伝的影響を受けているかもしれず、「南方デニソワ人」の候補となります。しかし、南・東南アジアの現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響がきわめて小さいことと矛盾する、と本論文は指摘します。フロレシエンシスについては、オーストラロイド系現代人の祖先集団にフロレシエンシス的な形態学的特徴が見られないため、フロレシエンシスと現生人類との交雑があったのか、本論文は疑問視しています。
本論文が「南方デニソワ人」というか、南もしくは東南アジアでオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した可能性が高いと考えている古代型ホモ属は、ジャワ島のエレクトス系統です。上述したように、ジャワ島のエレクトスは120万年以上孤立して進化してきたと考えられ、76万~55万年前頃という現生人類系統とデニソワ人系統との推定分岐年代と矛盾します。しかし本論文は、「北方デニソワ人」がネアンデルタール人と(ネアンデルタール人よりも現生人類とは遠い系統関係にある)地域的集団との交雑集団だと考えれば、問題にはならないかもしれない、と指摘しています。もしジャワ島のエレクトス系統が南方デニソワ人だとすると、オーストラロイド系のオーストラリア先住民に見られると主張された頭蓋のエレクトス的な形態学的特徴を説明できるかもしれない、と本論文は指摘しています。また、更新世にスンダランドだった地域の現代人集団におけるデニソワ人の遺伝的影響の小ささは、後の北方からの農耕民の拡散により説明できるかもしれない、との見解も提示されています。
以上、ざっと本論文について見てきましたが、ユーラシア東部における現生人類拡散前の進化史がまとめられ、たいへん有益だと思います。デニソワ人についての見解もたいへん興味深いのですが、疑問もあります。それは、本論文では言及されていませんが、イベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された、中期更新世となる43万年前頃の人骨群のDNA解析結果があるからです(関連記事)。
SH人骨群のDNA解析の結果、ネアンデルタール人のmtDNAは元々「デニソワ人型」で、後期ネアンデルタール人のmtDNAは、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類に近い(遺伝学的に)未知の人類系統からもたらされたのではないか、との見解が有力になりつつあるように思います。デニソワ人のmtDNAは、現生人類およびネアンデルタール人の共通祖先系統と分岐した遺伝学的に未知の「超古代系統」のホモ属からもたらされたわけではない、というわけです。ただ、本論文の見解は、「超古代系統」のホモ属とデニソワ人の交雑という知見(関連記事)と整合的であり、デニソワ人のmtDNAが「超古代系統」のホモ属に由来しないとしても、本論文の見解は成立するでしょうし、人類進化史におけるデニソワ人の位置づけをめぐる議論において、検証対象とされるべき有力な仮説の一つだとは思います。
現時点ではとても断定できませんが、SH人骨群のDNA解析結果を踏まえると、デニソワ人は実態のある単系統群であり、ネアンデルタール人系統と分岐した後、ユーラシア大陸の北側(中央部)と南側(沿岸部)に分かれて東進し、後者の系統が南アジアか東南アジアでセアニア系現代人の祖先集団と交雑した、という見解の方がより節約的であるように思います。スンダランドに広範に存在していたであろうジャワ島のエレクトス系統と近縁の系統が、アルタイ地域のネアンデルタール人に遺伝的影響を及ぼすよりは、実態のあるデニソワ人という単系統群が南北に別れて東進し、「南方デニソワ人」がオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した方があり得そうかな、というわけです。デニソワ人と交雑した「超古代系統」のホモ属としては、たとえば、ヨーロッパに存在したアンテセッサー(Homo antecessor)を想定しています。
「北方デニソワ人」は現生人類とはほとんど交雑せず絶滅し、「南方デニソワ人」はオーストラロイド系現代人の祖先集団と交雑した後に吸収される形で絶滅し、後続の現生人類集団が南・東南アジアに到達した頃には存在しなかった、と考えると現時点での証拠とそれなりに整合的ではないか、と思います。ただ、南アジアにおいて、シェルパではデニソワ人由来のゲノム領域の割合が近隣の他地域集団よりとくに高い、との知見もあり(関連記事)、「南方デニソワ人」は高地から沿岸地帯まで南アジアに広範に存在し、オーストラロイド系現代人の祖先集団が南アジアからさらに東方へと拡散した後も細々と存続して、ごく一部の現生人類と交雑した、という可能性も想定できるように思います。デニソワ人と現生人類との交雑は複数回起きたのではないか、というわけです。もしこの想定が妥当だとすると、「北方デニソワ人」と「南方デニソワ人」には遺伝的にかなりの違いがあり、デニソワ人の遺伝的多様性は現在の推定よりずっと高くなるでしょう。
参考文献:
Kaifu Y.(2017): Archaic Hominin Populations in Asia before the Arrival of Modern Humans: Their Phylogeny and Implications for the “Southern Denisovans”. Current Anthropology, 58, S17, S418-S433.
http://dx.doi.org/10.1086/694318
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