倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで 』

 これは11月5日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2017年5月に刊行されました。本書は、日本古代史における「対外」戦争と「対外」認識を中心に解説し、古代日本において形成された朝鮮観が、中世と近世の「対外」戦争を経て増幅・変容していき、近代以降の日本の帝国主義的行動にも影響を及ぼし、現代の朝鮮観をも規定しているところがあるのではないか、と論じています。表題にあるように、基本的には戦争の観点からの古代史ですが、射程の長い一冊になっている、と言えるでしょう。

 本書の基調は、日本は「対外」戦争の経験に乏しく、「内乱」も大規模なものではなかったので、戦争に疎く、それが大日本帝国崩壊の遠因になり、戦後の人々の戦争認識にも影響を及ぼしている、というものです。本書は、前近代における日本の「対外」戦争として、4世紀末~5世紀初頭の対高句麗戦(この時代には、まだ「日本」とは称していませんでした)・7世紀半ばの白村江の戦い(この時代にも、まだ「日本」とは称していなかったでしょう)・13世紀後半のモンゴル襲来・16世紀後半の文禄慶長の役しかなかった、と指摘します(このうち、モンゴル襲来は日本が攻め入ったのではなく、攻め込まれたわけですが)。この「対外」戦争経験の少なさのゆえに、近代以降の日本は戦争が下手であり、戦後日本の強固に見える反戦主義も、状況の変化により容易に変わり得る脆弱なものにすぎない、というわけです。

 また本書は、こうした「対外」戦争の少なさを背景として、日本の「対外」認識、とくに古代に形成された対朝鮮認識が、その後の日本の「外交」方針に影響を与え、現代にも及んでいる、と論じています。それは、朝鮮にたいする敵国視・属国視であり、古代朝鮮諸国が状況により日本(倭)に迎合的な姿勢をとった場合もあることや、中華王朝が朝鮮にたいする日本の優位を「無責任」に認めたことが、朝鮮にたいする日本の優位という観念を増幅させていった、というわけです。ただ本書は、新羅の海賊による日本への襲撃など現実の脅威も含めて、日本が朝鮮を脅威に思っていたことや、朝鮮が日本にたいして優越意識を抱いていたことも指摘しています。こうした複雑な相互認識が、日本による朝鮮の植民地支配を経て、現代の日韓(おそらくは日朝)関係にも影響を及ぼしている、というのが本書の見通しです。

 中世史以降の専門家にとっては、本書の突っ込みどころは少なくないのかもしれませんが、全体的にはなかなか興味深く読み進められました。もちろん、それは本書の見解を鵜呑みにすることではありませんが。なお、本書では、「倭国女王卑弥呼(ひめみこ)」は北部九州の地域政権とされています。その見解を前提とすると、「倭の五王」のみが、日本史上「中央王権」として中華王朝から冊封された事例になる、と本書では指摘されています。足利義満は日本国内では君主とは言い難かった、というわけです。

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    Excerpt: 講談社現代新書の一冊として、講談社から2018年12月に刊行されました。本書は著者の『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』(関連記事)と対になる1冊と言えそうです。同書が基本的には「.. Weblog: 雑記帳 racked: 2019-01-05 10:30