イベリア半島で他地域よりも遅くまで生存していたネアンデルタール人
これは11月21日分の記事として掲載しておきます。イベリア半島における後期~末期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の年代に関する研究(Zilhão et al., 2017)が報道されました。イベリア半島はネアンデルタール人終焉の有力候補地で、24000年前頃まで生存していた、との見解(後期絶滅説)も提示されています(関連記事)。イベリア半島は末期ネアンデルタール人にとって待避所になっていたのではないか、というわけです。もっとも、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは(非アフリカ系)現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。
後期絶滅説でイベリア半島を末期ネアンデルタール人の待避所とする見解では、近隣地域が中部旧石器時代~上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島ではムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が続いた、とされます。ピレネー山脈地域~フランス南西部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期は、ムステリアン(Mousterian)→シャテルペロニアン(Châtelperronian)→プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)→早期オーリナシアン(Early Aurignacian)とも呼ばれるオーリナシアン1(Aurignacian I)→オーリナシアン2(Aurignacian II)と続く、とされます。ヨーロッパにおけるムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみで、オーリナシアン1・2の担い手は現生人類とされています。
ヨーロッパの他地域で中部旧石器時代~上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島では中部旧石器時代が続いた要因として、生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を阻止したのではないか、というわけです(エブロ境界地帯モデル仮説)。この仮説は、そのためにエブロ川以南のイベリア半島はネアンデルタール人の待避所たり得て、エブロ川以南のイベリア半島のネアンデルタール人は他地域よりも遅くまで生存していた、と想定しています。
しかし、21世紀になって、ヨーロッパの中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の年代の見直しが進んでおり(関連記事)、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人の生存が確認できるのは4万年前頃までで、それ以降とされる年代は信頼性に問題がある、との見解(早期絶滅説)も提示されています(関連記事)。イベリア半島に関しても中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の移行期のより正確な年代が提示されるようになっており、近年では早期絶滅説が提唱されるようになっていました(関連記事)。
この研究は、新たに発掘されたイベリア半島南東部の遺跡の年代を測定し、その他のイベリア半島の既知の遺跡の年代と比較しています。新たに発掘されたイベリア半島南東部の3ヶ所の遺跡は、ムラ盆地(Mula basin)内の相互に2kmも離れていない、アントン洞窟(Cueva Antón)・フィンカドーニャマルティナ(Finca Doña Martina)・アブリゴデラボーヤ(Abrigo de La Boja)です。この研究で用いられた年代測定法は、放射性炭素年代測定法・光刺激ルミネッセンス法(OSL)・ウラン系列法ですが、放射性炭素年代測定法では、厳密な前処理により、信頼性の高い年代測定結果を提示しています。これまで、後期絶滅説の根拠とされてきた遺跡の年代に関しては、信頼性に疑問が呈されることもあったので、そうした懸念を払拭しようとしたわけです。
この新たな3遺跡の年代測定の結果、暦年代では、アントン洞窟のムステリアン層I~Kが37100年以上前となる一方で、アブリゴデラボーヤの最古のオーリナシアンは36500年以上前よりもさかのぼりません。そのためこの研究は、エブロ川以南のイベリア半島においては、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行は37000~36500年前頃に起き、この移行年代は他のイベリア半島南部・西部の遺跡の証拠とも整合的なので、移行が42000~40000年前頃に起きたヨーロッパの他地域と比較して、イベリア半島南部・西部では移行が少なくとも3000年遅れている、との見解を提示しています。オーリナシアン1が他の場所で見られる時代に、イベリア半島南部・西部ではムステリアンが続いており、ネアンデルタール人が生存していた、というわけです。この研究は、エブロ川以南のイベリア半島の37000年前以前の人為的痕跡は、すべてネアンデルタール人またはその祖先の所産だろう、と指摘しています。
この研究は、こうしたイベリア半島南部・西部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行の遅れは、エブロ川を境とする生態系の違いが障壁として作用したからだろう、と推測しています。さらにこの研究は、イタリアのフレグレイ平野の39850年前に起きたカルデラ爆発が、当時ヨーロッパにいた現生人類とネアンデルタール人に打撃を与え、ヨーロッパにおける現生人類の西進を停滞させたのではないか、と推測しています。またこの研究は、このカルデラ爆発の後のグリーンランド亜間氷期8に気候が改善し、イベリア半島南部において森林が顕著に拡大したことも、エブロ川の境界としての効果を強めただろう、と指摘しています。
上述したように、ネアンデルタール人は絶滅したとはいっても、それは現生人類との交雑を通じての置換もしくは同化です。その様相は地域により異なっており、均一ではない、とこの研究は強調しています。現生人類が近隣まで侵出してきたら、ネアンデルタール人は直ちに衰退して置換もしくは同化されたのではなく、環境の違いにより、その過程にはさまざまな展開があり得た、というわけです。その意味で、ネアンデルタール人と現生人類との最初の接触と交雑が起きたであろう西アジア、とくにレヴァントにおいて、どのような過程で現生人類からネアンデルタール人への置換、もしくはネアンデルタール人の現生人類への同化が最終的に起きたのか、たいへん興味深く、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Zilhão J. et al.(2017): Precise dating of the Middle-to-Upper Paleolithic transition in Murcia (Spain) supports late Neandertal persistence in Iberia. Heliyon, 3, 11, e00435.
https://doi.org//10.1016/j.heliyon.2017.e00435
後期絶滅説でイベリア半島を末期ネアンデルタール人の待避所とする見解では、近隣地域が中部旧石器時代~上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島ではムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が続いた、とされます。ピレネー山脈地域~フランス南西部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期は、ムステリアン(Mousterian)→シャテルペロニアン(Châtelperronian)→プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)→早期オーリナシアン(Early Aurignacian)とも呼ばれるオーリナシアン1(Aurignacian I)→オーリナシアン2(Aurignacian II)と続く、とされます。ヨーロッパにおけるムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみで、オーリナシアン1・2の担い手は現生人類とされています。
ヨーロッパの他地域で中部旧石器時代~上部旧石器時代へと移行する時期に、イベリア半島では中部旧石器時代が続いた要因として、生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を阻止したのではないか、というわけです(エブロ境界地帯モデル仮説)。この仮説は、そのためにエブロ川以南のイベリア半島はネアンデルタール人の待避所たり得て、エブロ川以南のイベリア半島のネアンデルタール人は他地域よりも遅くまで生存していた、と想定しています。
しかし、21世紀になって、ヨーロッパの中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の年代の見直しが進んでおり(関連記事)、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人の生存が確認できるのは4万年前頃までで、それ以降とされる年代は信頼性に問題がある、との見解(早期絶滅説)も提示されています(関連記事)。イベリア半島に関しても中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の移行期のより正確な年代が提示されるようになっており、近年では早期絶滅説が提唱されるようになっていました(関連記事)。
この研究は、新たに発掘されたイベリア半島南東部の遺跡の年代を測定し、その他のイベリア半島の既知の遺跡の年代と比較しています。新たに発掘されたイベリア半島南東部の3ヶ所の遺跡は、ムラ盆地(Mula basin)内の相互に2kmも離れていない、アントン洞窟(Cueva Antón)・フィンカドーニャマルティナ(Finca Doña Martina)・アブリゴデラボーヤ(Abrigo de La Boja)です。この研究で用いられた年代測定法は、放射性炭素年代測定法・光刺激ルミネッセンス法(OSL)・ウラン系列法ですが、放射性炭素年代測定法では、厳密な前処理により、信頼性の高い年代測定結果を提示しています。これまで、後期絶滅説の根拠とされてきた遺跡の年代に関しては、信頼性に疑問が呈されることもあったので、そうした懸念を払拭しようとしたわけです。
この新たな3遺跡の年代測定の結果、暦年代では、アントン洞窟のムステリアン層I~Kが37100年以上前となる一方で、アブリゴデラボーヤの最古のオーリナシアンは36500年以上前よりもさかのぼりません。そのためこの研究は、エブロ川以南のイベリア半島においては、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行は37000~36500年前頃に起き、この移行年代は他のイベリア半島南部・西部の遺跡の証拠とも整合的なので、移行が42000~40000年前頃に起きたヨーロッパの他地域と比較して、イベリア半島南部・西部では移行が少なくとも3000年遅れている、との見解を提示しています。オーリナシアン1が他の場所で見られる時代に、イベリア半島南部・西部ではムステリアンが続いており、ネアンデルタール人が生存していた、というわけです。この研究は、エブロ川以南のイベリア半島の37000年前以前の人為的痕跡は、すべてネアンデルタール人またはその祖先の所産だろう、と指摘しています。
この研究は、こうしたイベリア半島南部・西部における中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行の遅れは、エブロ川を境とする生態系の違いが障壁として作用したからだろう、と推測しています。さらにこの研究は、イタリアのフレグレイ平野の39850年前に起きたカルデラ爆発が、当時ヨーロッパにいた現生人類とネアンデルタール人に打撃を与え、ヨーロッパにおける現生人類の西進を停滞させたのではないか、と推測しています。またこの研究は、このカルデラ爆発の後のグリーンランド亜間氷期8に気候が改善し、イベリア半島南部において森林が顕著に拡大したことも、エブロ川の境界としての効果を強めただろう、と指摘しています。
上述したように、ネアンデルタール人は絶滅したとはいっても、それは現生人類との交雑を通じての置換もしくは同化です。その様相は地域により異なっており、均一ではない、とこの研究は強調しています。現生人類が近隣まで侵出してきたら、ネアンデルタール人は直ちに衰退して置換もしくは同化されたのではなく、環境の違いにより、その過程にはさまざまな展開があり得た、というわけです。その意味で、ネアンデルタール人と現生人類との最初の接触と交雑が起きたであろう西アジア、とくにレヴァントにおいて、どのような過程で現生人類からネアンデルタール人への置換、もしくはネアンデルタール人の現生人類への同化が最終的に起きたのか、たいへん興味深く、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Zilhão J. et al.(2017): Precise dating of the Middle-to-Upper Paleolithic transition in Murcia (Spain) supports late Neandertal persistence in Iberia. Heliyon, 3, 11, e00435.
https://doi.org//10.1016/j.heliyon.2017.e00435
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