乾燥化による現生人類の出アフリカ

 これは10月6日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカ時の気候に関する研究(Tierney et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。現在のソマリア全域とエチオピアの一部となる「アフリカの角」は、考古学的にも遺伝学的にも、現生人類の出アフリカの起点の有力候補とされています(南方経路)。アフリカの角からアラビア半島へ、さらにはユーラシア全域へと拡散していった、というわけです。この他には、現在のサハラ砂漠一帯やナイル川流域を経て、現在のエジプトからレヴァントへと拡散していった、とも想定されています(北方経路)。この場合、気候が湿潤で現在のサハラ砂漠一帯が植生の豊かな時期のことだったのではないか、とも想定されています。

 この研究は、海洋堆積物コアの分析により、アフリカの角の過去20万年間の気候変動を推定し、現生人類の出アフリカの気候的要因を検証しています。この研究は、アデン湾の西端で採取された海洋堆積物コアを分析しました。海洋堆積物コアには、特定の種類の海藻により作られたアルケノンと呼ばれる化学物質が含まれています。藻類は水温に依存してアルケノンの組成を変化させるので、アルケノンの割合を特定すれば、その藻類が生きていた時の海面温度が判明する、というわけです。

 上述したように、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐって議論が続いていますが、遺伝学的には、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5よりも後、65000~55000年前頃(この年代は研究により前後しますが)の1回のみとの見解が有力です。しかし、それよりも前にアフリカから拡散した現生人類集団が存在する、との見解も遺伝学的研究から提示されています(関連記事)。10万年前頃にはレヴァントにも現生人類が存在しており、この集団は絶滅したかアフリカに「撤退した」とされていますが、東アジア南部でも、12万~8万年前頃の現生人類的な化石の存在が指摘されています(関連記事)。

 現時点では、現生人類の出アフリカに関して、すべての研究成果と整合的な仮説を提示することは難しいようです。あえて推測すると、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類集団の出アフリカはMIS5よりも後の1回のみで、それ以前の出アフリカ現生人類集団は、後続の出アフリカ現生人類集団に吸収されたので、非アフリカ系現代人のゲノムではその痕跡が検出されにくい、ということなのかもしれません。もちろん、現代人にはDNAをまったく伝えず、絶滅してしまった初期出アフリカ現生人類集団も存在したことでしょう。

 この研究は、化石と石器の証拠により支持されている、12万~9万年前の現生人類のレヴァントやアラビア半島への進出は、温暖で湿潤な環境により促進された、との見解を提示しています。しかし、この研究は、(非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となっただろう)現生人類の主要な出アフリカは65000~55000年前頃だった、との前提のもと、この時期のアフリカの角地域が大きく寒冷化・乾燥化していったことを海洋堆積物コアの分析により明らかにし、気候の悪化が現生人類のアフリカの角からユーラシアへの拡散を促進したのではないか、との見解を提示しています。

 現生人類の出アフリカは、気候条件が良好な時だけではなく、悪化した時にも促進されたのではないか、というわけです。これは常識的な見解と言えるでしょうが、具体的な証拠が提示されており、意義深いと思います。ただ、上述したように、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐって議論が続いているので、今後の研究の進展により、現生人類の出アフリカの要因についての仮説が修正されていく可能性は低くないでしょう。また、現生人類の出アフリカの要因は、気候変動などの自然環境だけではなく、(それとも大いに関連しますが)技術革新や人口増も考慮していかねばならないだろう、とも思います。


参考文献:
Tierney JE, deMenocal PB, and Zander PD.(2017): A climatic context for the out-of-Africa migration. Geology, 45, 11, 1023–1026.
https://doi.org/10.1130/G39457.1

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