カナダのニューファンドランド島の複数系統の先住民集団
これは10月23日分の記事として掲載しておきます。カナダの北東端に位置するニューファンドランド島の先住民集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析に関する研究(Duggan et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。カナダ東部のニューファンドランド・ラブラドール州は、豊富な天然資源と低い人口密度で知られています。ニューファンドランド・ラブラドール州の陸地は、18000年前の最終最大氷期(LGM)にはローレンタイド(Laurentide)氷床に覆われており、氷河が後退した後、較正年代で9000年前頃(以下、この記事の年代はすべて較正されたものです)まで、ニューファンドランド島には氷床が点在していました。
ベーリンジア起源の人類集団は、1万年前頃にラブラドールに、6000年前頃にニューファンドランド島へと進出してきましたが、考古学的には、マリタイムアルカイック(Maritime Archaic、以下MAと省略)文化集団・古エスキモー(Palaeoeskimo)・ベオサック(Beothuk)などの各集団に区分されます。ニューファンドランド島では、3400~2800年前頃に考古学的記録の空白が見られますが、その中断期間を除いて、現代まで先住民集団が存続してきました。南ラブラドールでは7714年前頃の埋葬が確認されており、これは北アメリカ大陸では最古の埋葬事例となります。
MA文化はニューファンドランド島では4500年前頃に出現し、3400年前頃に消滅します(ニューファンドランド島以外では18世紀まで続きます)。ニューファンドランド島でのMA文化消滅の要因としては、寒冷化や3800年前頃にニューファンドランド島に出現した古エスキモー集団との競合が提示されています。ヨーロッパ人が北アメリカ大陸へと本格的に侵出してきた16世紀のニューファンドランド島の先住民集団は、ベオサック(Beothuk)として知られています。ベオサック集団はヨーロッパ人との競合により後退していき、衰退しました。「最後のベオサック」として知られている人物は、1829年に監禁された状態で結核のために死亡しました。ベオサック文化はこれにより途絶えた、と考えられています。
この研究では、ニューファンドランド島(一部はニューファンドランド島の対岸側)の74人の遺骸(骨と歯)から77点の完全なmtDNA配列が得られました(74人中3人は異なる部位からmtDNAが2回解析されました)。このなかで最古の人類遺骸の年代は7714年前ですが、おおむね4500~100年前の遺骸のmtDNAが解析されました。解析された遺骸のmtDNAは、いずれもアメリカ大陸先住民集団の変異内に収まります。しかし、MA集団とベオサック集団はともに単一のハプロタイプを共有しておらず、祖先・子孫関係ではありません。このことから、両集団には近い共通祖先がおらず、起源の異なる集団だった、と考えられています。ただ、両集団に見られるハプログループX2a系統では祖先・子孫関係の可能性を排除できません。また、両集団ともに遺伝的多様性は低く、ベーリンジア(ベーリング陸橋)から北アメリカ大陸へと進出してきた祖先集団は小規模だっただろう、と指摘されています。
古エスキモー集団は単一のハプロタイプを共有しているものの、MA集団・ベオサック集団とは異なっており、これら3集団間の遺伝的不連続性から、ニューファンドランド島には少なくとも3回、異なる文化集団が移住してきたのではないか、と推測されています。ただ、これはあくまでも原則として母系のみの遺伝となるmtDNAの解析に基づいた見解であり、ゲノム規模のデータやY染色体の解析結果が得られたならば、あるいは多少異なりつつより複雑な移住史が浮かび上がってくるかもしれません。
参考文献:
Duggan AT. et al.(2017): Genetic Discontinuity between the Maritime Archaic and Beothuk Populations in Newfoundland, Canada. Current Biology, 27, 20, 3149–3156.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.08.053
ベーリンジア起源の人類集団は、1万年前頃にラブラドールに、6000年前頃にニューファンドランド島へと進出してきましたが、考古学的には、マリタイムアルカイック(Maritime Archaic、以下MAと省略)文化集団・古エスキモー(Palaeoeskimo)・ベオサック(Beothuk)などの各集団に区分されます。ニューファンドランド島では、3400~2800年前頃に考古学的記録の空白が見られますが、その中断期間を除いて、現代まで先住民集団が存続してきました。南ラブラドールでは7714年前頃の埋葬が確認されており、これは北アメリカ大陸では最古の埋葬事例となります。
MA文化はニューファンドランド島では4500年前頃に出現し、3400年前頃に消滅します(ニューファンドランド島以外では18世紀まで続きます)。ニューファンドランド島でのMA文化消滅の要因としては、寒冷化や3800年前頃にニューファンドランド島に出現した古エスキモー集団との競合が提示されています。ヨーロッパ人が北アメリカ大陸へと本格的に侵出してきた16世紀のニューファンドランド島の先住民集団は、ベオサック(Beothuk)として知られています。ベオサック集団はヨーロッパ人との競合により後退していき、衰退しました。「最後のベオサック」として知られている人物は、1829年に監禁された状態で結核のために死亡しました。ベオサック文化はこれにより途絶えた、と考えられています。
この研究では、ニューファンドランド島(一部はニューファンドランド島の対岸側)の74人の遺骸(骨と歯)から77点の完全なmtDNA配列が得られました(74人中3人は異なる部位からmtDNAが2回解析されました)。このなかで最古の人類遺骸の年代は7714年前ですが、おおむね4500~100年前の遺骸のmtDNAが解析されました。解析された遺骸のmtDNAは、いずれもアメリカ大陸先住民集団の変異内に収まります。しかし、MA集団とベオサック集団はともに単一のハプロタイプを共有しておらず、祖先・子孫関係ではありません。このことから、両集団には近い共通祖先がおらず、起源の異なる集団だった、と考えられています。ただ、両集団に見られるハプログループX2a系統では祖先・子孫関係の可能性を排除できません。また、両集団ともに遺伝的多様性は低く、ベーリンジア(ベーリング陸橋)から北アメリカ大陸へと進出してきた祖先集団は小規模だっただろう、と指摘されています。
古エスキモー集団は単一のハプロタイプを共有しているものの、MA集団・ベオサック集団とは異なっており、これら3集団間の遺伝的不連続性から、ニューファンドランド島には少なくとも3回、異なる文化集団が移住してきたのではないか、と推測されています。ただ、これはあくまでも原則として母系のみの遺伝となるmtDNAの解析に基づいた見解であり、ゲノム規模のデータやY染色体の解析結果が得られたならば、あるいは多少異なりつつより複雑な移住史が浮かび上がってくるかもしれません。
参考文献:
Duggan AT. et al.(2017): Genetic Discontinuity between the Maritime Archaic and Beothuk Populations in Newfoundland, Canada. Current Biology, 27, 20, 3149–3156.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cub.2017.08.053
この記事へのコメント