現代人の肌の色の遺伝的基盤

 これは10月20日分の記事として掲載しておきます。現代人の肌の色の遺伝的基盤に関する研究(Crawford et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代人の肌の色は多様ですが、かつて肌の色は「人種」を区分する最重要な指標とされており、かつて大きな注目を集めた「人種」概念が廃れてしまった感のある現在でも、肌の色は適応と関連していると考えられるだけに、関心は高いように思います。

 人間の肌の色は、高緯度地帯では薄い方が、低緯度地帯では濃い方が有利とされています。これは、紫外線量とビタミンDの合成と関係しています。肌の色は、薄い方が紫外線を通しやすくなります。人間は紫外線を浴びて体内でビタミンDを合成するので、紫外線量が少なくなる高緯度地帯では、ビタミンD合成のために肌の色が薄い方が有利となります。ビタミンDが不足すると、くる病を発症します。逆に低緯度地帯では紫外線量が多いので、肌の色が濃くてもビタミンD合成の妨げにはならず、命に関わるような汗腺の損傷や皮膚の炎症を抑えるためにも、肌の色が濃い方が有利となります。

 チンパンジーの肌の色は薄く、低緯度地帯では体毛が濃ければ、肌の色は薄くても適応度が大きく下がることはない、と考えられます。現代人の祖先もかつては体毛が濃く、進化史において体毛が薄くなっていった、と考えられています。その年代については、最近まで200万年以上前と考えられており、体毛が薄くなるのにつれて、有害な紫外線からの保護という選択圧により、肌の色が濃くなったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。

 しかし、肌の色の遺伝的基盤については、全容が明らかになっているわけではありません。この研究は、エチオピア・タンザニア・ボツワナの多様な民族的・遺伝的集団に属する2092人の皮膚の反射率を測定しました。皮膚の反射率は太陽への露出が最小限の時に内腕から測定され、皮膚色素メラニンの水準が推定されました。また、アフリカ人1570人の血液標本が収集され、400万以上の一塩基多型が配列されました。

 (サハラ砂漠以南の)アフリカ人の肌の色は濃いと一般的には考えられているかもしれませんが、現代人の各地域集団間の比較で、アフリカは最も遺伝的多様性が高く、肌の色も多様です。この研究でも肌の色に関して、最も濃いナイル・サハラ語族の牧畜民から最も薄いアフリカ南部のサン人、さらには両者の中間的な集団まで、多様な肌の色がアフリカで確認されました。この肌の色の違いの遺伝的基盤として、配列された一塩基多型から、関連する4領域が特定されました。

 肌の色の違いと最も強く関連する領域はSLC24A5遺伝子とその周辺で、そのうちの1多様体はヨーロッパ人と南アジア人において明るい肌に重要な役割を果たしており、3万年以上前に出現した、と考えられています。この多様体はアフリカ東部でも見られ、構成員の半数の人々で確認されたエチオピア集団も存在します。この多様体は中東からアフリカ東部に移住した人々によって持ち込まれ、その頻度から、正の淘汰を受けた可能性があります。しかし、この多様体を有しているアフリカ東部の人々の肌の色はヨーロッパ人ほど薄くはなく、おそらく肌の色を形成する遺伝子群の一つにすぎないからだろう、と考えられています。

 ヨーロッパ人の明るい肌・目・髪と関連する、近隣した遺伝子HERC2とOCA2の多様体は100万年前頃にアフリカで出現したと推定されており、後にヨーロッパ人とアジア人に拡散しましたが、これはアフリカ人としては薄い肌の色のサン人にも共有されています。現代人の肌の色は多様で、したがってその遺伝的基盤も多様なのですが、薄い肌の色の遺伝的基盤の多くはアフリカ起源であり、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった現生人類(Homo sapiens)集団の出アフリカの前に、すでにアフリカにおいて肌の色は多様だったと考えられます。

 MFSD12遺伝子の発現を減少させる2ヶ所の変異は最も濃い肌の人々において高頻度で見られます。この変異のためより多くのメラニンが産生され、肌の色が濃くなる、というわけです。これらの多様体は50万年前頃に発生したと推定されています。したがって、50万年以上前の現代人の祖先は、現代人の中でもとくに濃い肌の人々よりは肌の色が薄かったのではないか、と考えられています。これは、50万年以上前まで現代人の主要な祖先系統がどこで進化したのか、ということとも関わっていると思います。この研究の見解が妥当だとすると、現代人の主要な祖先系統は、50万年前頃まではアフリカでも比較的高緯度地帯で進化したのかもしれません。

 また、このMFSD12遺伝子の多様体は一部のインド人・メラネシア人・オーストラリア人でも確認されました。これは、メラネシア人・オーストラリア人・ユーラシア人も含む、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった祖先集団の出アフリカは1回のみの出来事だったとする見解と整合的ではない、とも考えられます。つまり、早期の出アフリカ現生人類集団がユーラシア南岸を東進してメラネシアとオーストラリアまで進出し、その後にアフリカ起源の現生人類集団が再度世界中に拡散したとする見解と整合的ではないか、というわけです。

 ただ、非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった1回のみの出アフリカ集団には、多様な肌の色と関連する多様体があったものの、後に一部のインド人・メラネシア人・オーストラリア人以外では、肌の色を濃くするMFSD12遺伝子の多様体が失われたのかもしれない、とも指摘されています。肌の色の程度と関連する多様体のほとんどは30万年以上前に起源があり、いくつかは現生人類の出現するずっと前の100万年前頃までさかのぼりそうだとすると、高緯度地帯への進出などとも関連した、何らかの自然選択が多くの非アフリカ系現代人の祖先集団に作用したのかもしれません。


参考文献:
Crawford NG. et al.(2017): Loci associated with skin pigmentation identified in African populations. Science, 358, 6365, eaan8433.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aan8433

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック