後期新石器時代~初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおける配偶形態
これは9月8日分の記事として掲載しておきます。後期新石器時代~初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおける配偶形態についての研究(Knipper et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、ドイツの南バイエルンのレヒ川(Lech River)渓谷にある後期新石器時代~初期青銅器時代にかけての7ヶ所の遺跡を調査しました。7ヶ所の遺跡の84点の人類遺骸は放射性炭素年代測定法により年代が推定され、さらには、ミトコンドリアDNA(mtDNA)・酸素安定同位体データ・ストロンチウム放射性同位体比が得られました。これらの人類遺骸の年代は紀元前2500年~紀元前1700年の間の800年間と推定されています。
母系のみで継承されるmtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していったことが明らかになりました。また、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身であると明らかになりました。地元出身ではない大半の女性は成人してからレヒ川渓谷地域に来たと考えられますが、そうした女性の子孫は、この研究の標本群では確認されませんでした。つまり、後期新石器時代~初期青銅器時代のレヒ川渓谷地域では、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、というわけです。この研究は、後期新石器時代~初期青銅器時代にかけての中央ヨーロッパでは、文化の伝播・交換に女性の遊動性が重要な役割を果たした可能性を指摘しています。またこの研究は、じゅうらい考古学で移住と理解されてきた現象の一部は、大規模で制度化された性と年齢に関連した遊動性の結果ではないか、との解釈も提示しています。
たいへん興味深い研究ですが、Y染色体の解析からは、青銅器時代のヨーロッパにおいて、文化の伝播を伴う男性中心の拡大があったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、たとえば紀元後4世紀後半のローマ帝国およびその周辺地域における「民族大移動」のような大規模な移動や、モンゴルなどの騎馬遊牧勢力の急速な拡大は、現代人のY染色体に大きな痕跡を残すとしても、それは長期的・持続的ではなく、例外的と考えるべきなのかもしれません。流動性がさほど高くない時期・地域では、外来の女性が地元の男性と結婚するという配偶形態が珍しくなかったのかもしれません。
これと関連して気になるのは、同位体比の分析からアウストラロピテクス属とパラントロプス属では女性の方が移動範囲は広かったと推測した研究(関連記事)と、mtDNAの解析結果から、49000年前頃のイベリア半島北部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)社会では夫居制的婚姻行動があったと推測した研究(関連記事)です。アウストラロピテクス属とパラントロプス属の事例はアフリカヌス(Australopithecus africanus)とロブストス(Paranthropus robustus)で、現代人の祖先ではなさそうです。49000年前頃のイベリア半島北部のネアンデルタール人も、おそらくは現代人の祖先ではないでしょう(ヨーロッパ系現代人にはわずかにDNAが継承されているかもしれませんが)。
しかし、ネアンデルタール人社会(の少なくとも一部)と、おそらくはネアンデルタール人と現代人の共通祖先ではないだろうアフリカヌスとロブストスの社会においても、夫居制的婚姻行動があったのだとしたら、元々人類社会において夫居制的婚姻行動は珍しくなかったというか、ある時点までそれが「普通」だったのかもしれません。仮にそうだとすると、現生人類(Homo sapiens)の系統において、配偶形態の多様性が生じた可能性も考えられます。もっとも、そうではなく、ホモ属、さらにはアウストラロピテクス属の時点で、人類の配偶形態は多様だったのかもしれませんが。
参考文献:
Knipper C. et al.(2017): Female exogamy and gene pool diversification at the transition from the Final Neolithic to the Early Bronze Age in central Europe. PNAS, 114, 38, 10083–10088.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1706355114
母系のみで継承されるmtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していったことが明らかになりました。また、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身であると明らかになりました。地元出身ではない大半の女性は成人してからレヒ川渓谷地域に来たと考えられますが、そうした女性の子孫は、この研究の標本群では確認されませんでした。つまり、後期新石器時代~初期青銅器時代のレヒ川渓谷地域では、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、というわけです。この研究は、後期新石器時代~初期青銅器時代にかけての中央ヨーロッパでは、文化の伝播・交換に女性の遊動性が重要な役割を果たした可能性を指摘しています。またこの研究は、じゅうらい考古学で移住と理解されてきた現象の一部は、大規模で制度化された性と年齢に関連した遊動性の結果ではないか、との解釈も提示しています。
たいへん興味深い研究ですが、Y染色体の解析からは、青銅器時代のヨーロッパにおいて、文化の伝播を伴う男性中心の拡大があったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、たとえば紀元後4世紀後半のローマ帝国およびその周辺地域における「民族大移動」のような大規模な移動や、モンゴルなどの騎馬遊牧勢力の急速な拡大は、現代人のY染色体に大きな痕跡を残すとしても、それは長期的・持続的ではなく、例外的と考えるべきなのかもしれません。流動性がさほど高くない時期・地域では、外来の女性が地元の男性と結婚するという配偶形態が珍しくなかったのかもしれません。
これと関連して気になるのは、同位体比の分析からアウストラロピテクス属とパラントロプス属では女性の方が移動範囲は広かったと推測した研究(関連記事)と、mtDNAの解析結果から、49000年前頃のイベリア半島北部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)社会では夫居制的婚姻行動があったと推測した研究(関連記事)です。アウストラロピテクス属とパラントロプス属の事例はアフリカヌス(Australopithecus africanus)とロブストス(Paranthropus robustus)で、現代人の祖先ではなさそうです。49000年前頃のイベリア半島北部のネアンデルタール人も、おそらくは現代人の祖先ではないでしょう(ヨーロッパ系現代人にはわずかにDNAが継承されているかもしれませんが)。
しかし、ネアンデルタール人社会(の少なくとも一部)と、おそらくはネアンデルタール人と現代人の共通祖先ではないだろうアフリカヌスとロブストスの社会においても、夫居制的婚姻行動があったのだとしたら、元々人類社会において夫居制的婚姻行動は珍しくなかったというか、ある時点までそれが「普通」だったのかもしれません。仮にそうだとすると、現生人類(Homo sapiens)の系統において、配偶形態の多様性が生じた可能性も考えられます。もっとも、そうではなく、ホモ属、さらにはアウストラロピテクス属の時点で、人類の配偶形態は多様だったのかもしれませんが。
参考文献:
Knipper C. et al.(2017): Female exogamy and gene pool diversification at the transition from the Final Neolithic to the Early Bronze Age in central Europe. PNAS, 114, 38, 10083–10088.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1706355114
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