クレタ島の570万年前頃の人類の足跡?

 これは9月4日分の記事として掲載しておきます。クレタ島で発見された人類のものと思われる足跡についての研究(Gierliński et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、クレタ島西部のトラチロス(Trachilos)地域で発見された足跡を分析し、現代人・ホモ属やアウストラロピテクス属の化石人類・チンパンジーやゴリラなどの現生霊長類・クマなどの哺乳類の足跡と比較しています。その結果、この足跡は初期人類系統が残したものだ、という見解がこの研究では提示されています。

 この足跡は、全体的に人間ではない類人猿系統よりも人類系統の方と似ており、とくに爪先がそうで、親指の形・サイズ・位置が現代人と似ています。この研究は、これがヨーロッパの未知の類人猿系統の残したもので、収斂進化で初期人類と類似した足が進化した、という可能性も検討しましたが、より簡潔で説得力のある、人類系統の足跡だという見解を採用しています。

 タンザニアのラエトリ(Laetoli)では366万年前頃のアウストラロピテクス属と思われる足跡(関連記事)が発見されており、アファレンシス(Australopithecus afarensis)に分類されていますが、トラチロスの足跡はこれよりも祖先的だと指摘されています。一方、アウストラロピテクス属よりも前の440万年前頃に存在したアルディピテクス属のラミダス(Ardipithecus ramidus)の足には、類人猿のような特徴が認められます。

 こうした評価と関連しますが、議論になりそうなのは、570万年前頃というトラチロスの足跡の推定年代です。後期中新世の570万年前頃のクレタ島は、ウマやウシなどの非固有種が確認されていることから、ヨーロッパ本土と陸続きだったと考えられています。両者の分離は500万年前頃だった、と推定されています。一方、クレタ島はアフリカとは陸続きではありませんでした。クレタ島の570万年前頃の人類は、ヨーロッパ本土から進出してきたと考えられます。

 これと関連しそうなのが、最近、ヨーロッパ南部で700万年以上前の化石が人類系統だと分類されたことです(関連記事)。この見解が妥当ならば、後期中新世のヨーロッパ南部の人類系統がクレタ島に進出して足跡を残した、とも考えられます。当時、地中海東部ではサバンナのような環境が広がっており、ここで人類系統が進化してアフリカに進出した、との想定も可能かもしれません。しかしこの研究は、証拠が限定されているため、700万年前頃のヨーロッパ南部の人類とされる化石と、トラチロスの足跡の人類との関連について断定を避けています。

 一方、クレタ島は後期中新世においてアフリカと陸続きではありませんでした。しかし、現代ではサハラ砂漠がアフリカにおいて南北の移動を妨げる障壁になっているものの、後期中新世にはそうした障壁は存在しませんでしたから、アフリカ起源の人類が後期中新世にクレタ島まで到達したとしても不思議ではありません。いずれにしても、このクレタ島の570万年前頃の足跡が人類系統のものだとすると、人類はアフリカで進化し、ホモ属が初めて出アフリカを果たした、とする通説を覆すことになるので、今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Gierliński GD.(2017): Possible hominin footprints from the late Miocene (c. 5.7 Ma) of Crete? Proceedings of the Geologists' Association, 128, 5–6, 697–710.
https://doi.org/10.1016/j.pgeola.2017.07.006

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