アフリカ南部の2300~300年前頃の人類のゲノム解析
これは9月30日分の記事として掲載しておきます。アフリカ南部の2300~300年前頃の人類のゲノム解析に関する研究(Schlebusch et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究に関しては、アフリカ北部の30万年以上前の現生人類(Homo sapiens)的な化石についての研究を取り上げた記事でも少しだけ言及しました(関連記事)。この研究は、南アフリカ共和国のクワズール-ナタール(KwaZulu-Natal)州で発見された7人の人類のゲノムを解析しました。この7人のゲノム解析において、網羅率は最大で13倍となります。このうち3人は石器時代となる2300~1800年前頃、4人は鉄器時代となる500~300年前頃の年代となります。
遺伝的には、石器時代の3人の狩猟採集民が現在のアフリカ南部のサン人集団と、鉄器時代の4人の農耕民が現在のバンツー語族と類似しています。バンツー語族の遺伝的影響を受ける前のアフリカ南部の人類のゲノムが解析されたので、コイサン集団における他地域集団からの遺伝的影響が推定できるようになりました。この研究は、現在のコイサン集団は全員、アフリカ東部やユーラシアの集団から9~30%の遺伝的影響を受けている、と推定しています。以前に推定されていた以上に、現在のコイサン集団は他地域の集団から遺伝的影響を受けている、というわけです。
また、鉄器時代の4人のうち、3人は少なくとも1個のマラリアに抵抗する遺伝子を有しており、2人は少なくとも2個の睡眠病抵抗遺伝子を有していましたが、石器時代の人々にはこれらの遺伝子が見られません。そのため、鉄器時代の農耕民がアフリカ南部に移住してきて、これらの病気抵抗遺伝子をもたらしたのではないか、と推測されています。もっとも、まだ解析されたアフリカの古代ゲノムは少ないので、可能性は高いものの、確定したとまでは言えないかもしれませんが。
この研究で注目されるのは、ゲノム解析の結果、現生人類の最も深い分岐の年代が35万~26万年前頃と推定されていることです。35万年前頃という推定年代は、アフリカ南部の石器時代の狩猟採集民とアフリカ西部のマンディンカ(Mandinka)人との比較に基づいています。現時点の一般的見解では、現生人類の起源は20万年前頃とされており、その根拠は、エチオピア南西部のオモ(Omo)川下流沿いのキビシュ層群で発見された、195000±5000年前頃のオモ1号人骨です(関連記事)。オモ1号は推定身長178~182cmで、ほっそりとした体型だったと推測されています(関連記事)。
しかし、この研究で提示された現生人類の最も深い分岐年代は35万~26万年前頃と推定されており、オモ1号よりも古くなります。35万~26万年前頃のアフリカ南部の人類化石としては、現生人類との類似性が指摘されているフロリスバッド(Florisbad)化石やホエジェスパント(Hoedjiespunt)化石があります。上述したように、アフリカ北部では30万年以上前の現生人類的な化石が発見されており(関連記事)、現生人類の進化はアフリカの1地域のみではなく複数の地域で起き、それらの集団間の交雑の結果として現生人類が形成されていった、とも考えられます。
中期石器時代の初期となる35万~26万年前頃のアフリカ南部には、現生人類や同年代の現生人類的な人類よりずっと脳の小さなホモ属であるナレディ(Homo naledi)も存在しており(関連記事)、当時のアフリカ南部では複数のホモ属が共存していたことになります。これら複数の系統のホモ属の関係がどのようなものだったのか、たいへん注目されます。人類が現生人類のみになったのは人類史のうえでごく最近であり、その相互関係も人類の進化に重要な役割を果たしてきたのでしょう。
参考文献:
Schlebusch CM. et al.(2017): Southern African ancient genomes estimate modern human divergence to 350,000 to 260,000 years ago. Science, 358, 6363, 652–655.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao6266
遺伝的には、石器時代の3人の狩猟採集民が現在のアフリカ南部のサン人集団と、鉄器時代の4人の農耕民が現在のバンツー語族と類似しています。バンツー語族の遺伝的影響を受ける前のアフリカ南部の人類のゲノムが解析されたので、コイサン集団における他地域集団からの遺伝的影響が推定できるようになりました。この研究は、現在のコイサン集団は全員、アフリカ東部やユーラシアの集団から9~30%の遺伝的影響を受けている、と推定しています。以前に推定されていた以上に、現在のコイサン集団は他地域の集団から遺伝的影響を受けている、というわけです。
また、鉄器時代の4人のうち、3人は少なくとも1個のマラリアに抵抗する遺伝子を有しており、2人は少なくとも2個の睡眠病抵抗遺伝子を有していましたが、石器時代の人々にはこれらの遺伝子が見られません。そのため、鉄器時代の農耕民がアフリカ南部に移住してきて、これらの病気抵抗遺伝子をもたらしたのではないか、と推測されています。もっとも、まだ解析されたアフリカの古代ゲノムは少ないので、可能性は高いものの、確定したとまでは言えないかもしれませんが。
この研究で注目されるのは、ゲノム解析の結果、現生人類の最も深い分岐の年代が35万~26万年前頃と推定されていることです。35万年前頃という推定年代は、アフリカ南部の石器時代の狩猟採集民とアフリカ西部のマンディンカ(Mandinka)人との比較に基づいています。現時点の一般的見解では、現生人類の起源は20万年前頃とされており、その根拠は、エチオピア南西部のオモ(Omo)川下流沿いのキビシュ層群で発見された、195000±5000年前頃のオモ1号人骨です(関連記事)。オモ1号は推定身長178~182cmで、ほっそりとした体型だったと推測されています(関連記事)。
しかし、この研究で提示された現生人類の最も深い分岐年代は35万~26万年前頃と推定されており、オモ1号よりも古くなります。35万~26万年前頃のアフリカ南部の人類化石としては、現生人類との類似性が指摘されているフロリスバッド(Florisbad)化石やホエジェスパント(Hoedjiespunt)化石があります。上述したように、アフリカ北部では30万年以上前の現生人類的な化石が発見されており(関連記事)、現生人類の進化はアフリカの1地域のみではなく複数の地域で起き、それらの集団間の交雑の結果として現生人類が形成されていった、とも考えられます。
中期石器時代の初期となる35万~26万年前頃のアフリカ南部には、現生人類や同年代の現生人類的な人類よりずっと脳の小さなホモ属であるナレディ(Homo naledi)も存在しており(関連記事)、当時のアフリカ南部では複数のホモ属が共存していたことになります。これら複数の系統のホモ属の関係がどのようなものだったのか、たいへん注目されます。人類が現生人類のみになったのは人類史のうえでごく最近であり、その相互関係も人類の進化に重要な役割を果たしてきたのでしょう。
参考文献:
Schlebusch CM. et al.(2017): Southern African ancient genomes estimate modern human divergence to 350,000 to 260,000 years ago. Science, 358, 6363, 652–655.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aao6266
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