アフリカ人の古代DNA

 これは9月25日分の記事として掲載しておきます。アフリカ人の古代DNAに関する研究(Skoglund et al., 2017)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。アフリカは、その気候条件のため、ヨーロッパなどと比較して古代DNAの解析が難しく、この分野の研究の遅れている地域と言えるでしょう。この研究は、新たにアフリカの15人の古代DNAを解析し、以前に報告されているエチオピアで発見された4500年前頃の男性の古代DNA(関連記事)を併せて、59集団の584人の現代アフリカ人および世界の142集団の300人のゲノムデータと比較しました。新たに解析された15人の古代DNAの内訳は、南アフリカ共和国の3人(2000~1200年前頃)、マラウイの7人(8100~2500年前頃)、タンザニアの4人(3100~600年前頃)、ケニアの1人(400年前頃)です。

 その結果、アフリカ人の古代DNAはほとんどの場合、現代のその地の住民のDNAと最も類似していましたが、例外もいくつか確認されました。現代人の各地域集団において、アフリカの遺伝的多様性は世界で最も高く、最初期の分岐はアフリカ南部で生じたことが示唆されています(関連記事)。アフリカ南部のサン人は現代人のなかで最初期に分岐した集団とされており、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説は今ではほぼ通説として認められていますが、遺伝学ではアフリカでも南部起源説が有力と言えるでしょう(形態学ではアフリカでも東部起源説が有力)。

 この研究は、古代アフリカ人と現代人のDNAの解析・比較の結果、サン人の祖先集団は過去にはもっと広範に分散しており、8100~2500年前頃のマラウィ(Malawi)の狩猟採集民には約2/3、1400年前頃のタンザニアの狩猟採集民には約1/3の遺伝的影響を及ぼしていたのではないか、と推定しています。サン人も含むアフリカ南部の先住民系統は、アフリカ東部から拡散し、アフリカ西部の先住民系統と数千年前に分岐したのではないか、とこの研究は推測しています。

 このように、現代と古代とで住民のDNA構成が異なっている地域もある大きな理由は、アフリカで4000年前頃に始まったバンツー語族の農耕民集団の拡散と考えられています。じっさい、マラウイの現代人は、古代の狩猟採集民の子孫というよりは、アフリカ西部から拡散してきた農耕民の子孫のようです。アフリカの一部地域では、アフリカ西部からの農耕民の拡散が狩猟採集民集団に大きな影響を及ぼし、ほぼ完全な置換が起きたようです。

 また、アフリカにおける農耕民の拡散の影響が広範に及ぶ前に、タンザニアの3100年前頃の牧畜民が、1200年前までの南部アフリカの牧畜民も含む北東部~南部アフリカの人々に遺伝的影響を及ぼしていたことも明らかになるなど、アフリカにおいては過去に複雑な人類の移動があったようです。この研究は、アフリカに関しても、現代人のDNAからのみでは過去の移動・住民の遺伝的構成の復元が容易ではない、と指摘しています。毒性植物の検出の学習に重要な味覚受容体の遺伝子の選択の証拠や、アフリカ南部のカラハリ砂漠の住民の間での紫外線放射にたいする適応が指摘されていることも注目されます。


参考文献:
Skoglund P. et al.(2017): Reconstructing Prehistoric African Population Structure. Cell, 171, 1, 59–71.
http://dx.doi.org/10.1016/j.cell.2017.08.049

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