アメリカ大陸への人類最初の移住に関する近年の研究のまとめ

 これは9月21日分の記事として掲載しておきます。アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、現代世界の政治・経済・文化(学術も含めて)の中心と言ってよいだろうアメリカ合衆国においても直接的問題であり、時には激しい政治的論争に発展するためか、アメリカ大陸のみならず他地域でも関心が寄せられているように思われます。このブログでは、2012年(関連記事)と2014年(関連記事)に、この問題に関する研究動向を簡単にまとめた記事を掲載しました。この記事では、その後にこのブログで取り上げた関連研究をざっとまとめることにします。もちろん、このブログで取り上げていない重要な研究は多いでしょうが、とりあえず備忘録としてまとめておきます。

 アメリカ大陸への人類最初の移住について、20世紀後半には、更新世末期にベーリンジア(ベーリング陸橋)から内陸部の無氷回廊を通過してアメリカ大陸に拡散した、クローヴィス(Clovis)文化の担い手が最初の移住者だとするクローヴィス最古説が主流でした。しかし20世紀末以降、アメリカ大陸におけるクローヴィス文化以前の人類の痕跡が相次いで報告されていることから、クローヴィス最古説を否定する研究者が増えつつあり、クローヴィス最古説はもはや否定された過去の仮説と言ってよいでしょう。しかし、だからといって、この問題に関して新たな共通認識が形成されたとも言い難い状況であり、その年代や拡散の速度・経路などをめぐって、議論が続いています。数少ない共通認識の一つは、アメリカ大陸に移住した人類は現生人類(Homo sapiens)のみだった、というものです。

 しかし、今年(2017年)になって、アメリカ大陸における13万年前頃の人類の痕跡が確認された、との見解が提示され、現生人類ではない系統の人類がアメリカ大陸に進出した可能性も議論されています(関連記事)。ただ、これはあまりにも異例の発見であり、まだ広く認められているとは言い難く、将来撤回される可能性もじゅうぶんあると思います。とりあえず、アメリカ大陸における13万年前頃の人類の痕跡との見解は採用せず、近年の研究動向をまとめることにします。

 放射性炭素年代測定法によるクローヴィス文化の推定年代は、近年までは11500~10800年前(較正年代では13300~12800年前)とされていましたが、メキシコ合衆国ソノラ州のエルフィンデルムンド(El Fin del Mundo)遺跡では11550年前年前(較正年代では13390年前)となり、クローヴィス文化の年代が従来よりもさかのぼります。そのため、クローヴィス文化の起源は北アメリカ大陸の北部ではないのかもしれない、との可能性が示唆されています。

 これは、アメリカ大陸最初の人類の拡散経路とも関わってくる問題となります。近年では、アメリカ大陸最初の人類集団はベーリンジアからアメリカ大陸西岸を南下したのではないか、との見解(沿岸仮説)が有力になっています(関連記事)。無氷回廊で人類が生活できるような生態系になったのは12600年前頃であり、すでにその前にはアメリカ大陸に人類が存在していたので、その移住経路は海岸沿いだっただろう、というわけです。ただ、クローヴィス文化よりも後の人類集団は、無氷回廊経由でアメリカ大陸へと拡散した可能性も指摘されています。アラスカのバイソンとアメリカ大陸本土のバイソンが混じり合うようになったのは13000年前頃と推測されていることからも、沿岸仮説が支持されています(関連記事)。

 クローヴィス最古説を否定する証拠に関しては、すでにアメリカ大陸南北の複数の遺跡が報告されています。前記のまとめ記事以降では、放射性炭素年代測定法による較正年代で、14064年前~13068年前と推定されているアルゼンチンの草原地帯にあるアロヨセコ(Arroyo Seco)2遺跡(関連記事)や、14550年前(較正年代)と推定されているアメリカ合衆国フロリダ州のページ-ラドソン(Page-Ladson)遺跡(関連記事)があります。また沿岸仮説は、人類はアメリカ大陸に進出する前に、最終最大氷期を含む寒冷期にベーリンジアに孤立した状態で1万年程度留まっていたのではないか、と推定するベーリンジア潜伏モデルを想定していますが、放射性炭素年代測定による非較正年代で19650±130年前(較正年代で24033~23314年前)と推定されるカナダのユーコン準州北部のブルーフィッシュ洞窟群(Bluefish Caves)遺跡がその証拠とされています(関連記事)。また、考古学的証拠から、南アメリカ大陸の初期人口史も推定されており、他地域の新石器時代と同様に、作物の栽培と動物の家畜化が始まってからも長期間、人口増加率が低く、その後に人口が急増するという特徴が指摘されています(関連記事)。

 古代DNAの研究は近年飛躍的に発展している分野ですが、アメリカ大陸の人類の古代DNA研究も着実に進んでいます。最初期のアメリカ大陸の人類と現代のアメリカ大陸先住民との連続性については疑問も提示されており、政治的問題に発展することもありました。その代表例がアメリカ合衆国ワシントン州で発見された成人男性のケネウィック人(Kennewick Man)で、「白人」との解剖学的類似性が指摘されました。つまり、「最初のアメリカ人」は「ヨーロッパ系」だったのではないか、というわけです。しかし、ケネウィック人のDNA解析の結果、父系でも母系でもケネウィック人は現代アメリカ大陸先住民の変異内に収まることが明らかになりました(関連記事)。

 暦年代で推定13000~12000年前頃とされるメキシコのユカタン半島東部の地底湖で発見された推定年齢15~16歳の少女の人骨のDNA解析(関連記事)や、中央アラスカのアップウォードサン川遺跡(the Upward Sun River Site)で発見された、放射性炭素年代測定法により較正年代で11600~11270年前と推定されている幼児2個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)も、現代アメリカ大陸先住民の変異内に収まることが明らかになりました。また、8600~500年前頃のアメリカ大陸の住民92人のmtDNA解析結果も、これまでに報告されている現代のアメリカ大陸先住民集団の変異幅に収まる、と報告されています(関連記事)。

 たいへん注目されるのは、アメリカ大陸先住民がオーストラロ・メラネシア人とも交雑した可能性や、アマゾン地域のアメリカ大陸先住民集団の一部のゲノムにオーストラレシア人との密接な共通領域が認められる、との見解が提示されていることです(関連記事)。この見解が妥当なのか、そうだとしてどのような経緯が考えられるのか、現時点では説得力のある想定がなかなか難しく、アメリカ大陸の古代人のゲノムではまだ確認されていない、との慎重な指摘もあります(関連記事)。

 上述したように、アメリカ大陸最初の人類をめぐる議論は激しい政治的問題に発展することもあります。その一例が更新世末期のアメリカ大陸における大型動物の大量絶滅です。後期~末期更新世にかけて、アメリカ大陸とオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはニューギニアやタスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)で大型動物が大量に絶滅しており、人類の最初の進出時期と近いため、人類が原因とされていますが(人為説)、環境要因説も提示されています。アメリカ大陸に関しては、人為説が先住民を貶めるものではないか、との政治的議論に発展することもあります。

 近年の研究では、12700年前頃までにアメリカ大陸で絶滅した大型動物のうち、人間の狩猟対象となったことが確実なのは約16.7%に留まっていることから、大型動物の絶滅に関しては、寒冷気候に適応していたなか、更新世末期の温暖化が打撃になった可能性を指摘したものがあります(関連記事)。しかし一方で、大量の人為的痕跡が見つかる頃に、現在有力な上述した沿岸仮説で想定されるベーリンジア→北アメリカ大陸→南アメリカ大陸という移住経路の順に、大型動物の絶滅が始まることから、人為説を妥当とする研究もあります(関連記事)。この研究では、アメリカ大陸で大型動物の絶滅が本格的に進行するのはクローヴィス文化以降であることから、先クローヴィス文化期の集団は時空間的に孤立しており、継続的な移住とはならず、偶発的な拡散にすぎなかった可能性が指摘されています。アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては未解明の問題が多々あり、今後も研究の進展をできるだけ追いかけていくつもりです。

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