大河ドラマ『おんな城主 直虎』第37回「武田が来たりて火を放つ」

 これは9月18日分の記事として掲載しておきます。還俗し農民として生きていく道を選んだ直虎(次郎法師)は、還俗して龍雲丸とともに穏やかな日々を送っていました。そんなある日、堺で新たな商売を始めた中村屋からの誘いを受けた龍雲丸は、一緒に堺に行ってほしい、と直虎に言います。直虎は井伊谷から去ることに難色を示しますが、いつまでも過去に捕らわれているのはどうなのか、と龍雲丸は言います。直虎は母から龍雲丸とともに堺に行くよう勧められ、堺に行くことを決めます。

 近藤家に仕えることとなった高瀬を怪しげな行商人風の男性が訪ねてきて、武田軍の来襲を伝えるとともに、近藤康用の殺害を命じます。ついに武田軍が遠江に侵攻してきて、井伊谷にも危機が迫ります。南渓和尚は直虎と龍雲丸に、直ちに堺に行くよう勧めますが、龍雲丸は直虎とともに井伊谷に残り、井伊家中の者全員を逃すつもりだ、と決意を伝えます。南渓和尚は、武田方と徳川方のどちらが優勢なのか、見極めて対応を決めよう、と考えていました。

 武田軍は遠江で快進撃を続け、徳川家康は遠江を武田に割譲し、武田と和睦しようと考えます。畿内でも反織田勢が活動しているので、織田から武田に鞍替えしようというわけですが、酒井忠次をはじめとして重臣は危ぶみます。そこへ織田から援軍が到着したので、徳川家中は武田と戦う決意を固めます。徳川軍は武田軍と戦ったものの惨敗し(三方ヶ原の戦い)、井伊家中は衝撃を受けます。近藤康用があくまでも徳川方として戦おうするなか、直虎・龍雲丸に引き入れられて井伊谷の百姓は逃散します。

 激昂して龍潭寺に乗り込んだ近藤康用にたいして、南渓和尚は武田に就いてはどうかと進言しますが、近藤康用はあくまでも徳川方として戦おうとします。直虎は城に入り込み、圧倒的に優勢な武田軍に降伏するよう、近藤康用を直接説得します。近藤康用は、武田と戦いはしないものの、武田に降伏せず城に火を放って落ち延びる、と返答します。城に火が放たれるなか、近藤康用を毒殺しようとした高瀬はまだ城に残っており、高瀬は自分を探しに来た直虎・龍雲丸とともに城を落ち延びます。

 今回は、武田の圧倒的な力の前に難しい選択を強いられる人々の姿が描かれました。徳川のような小大名・近藤のような国衆(井伊も元国衆と言えるでしょう)・村の百姓それぞれの戦いへの対応の描写は、戦国時代の歴史ドラマとしてよかったのではないか、と思います。本作からは、戦国時代の様相を描こうとの意図が窺え、それは一定以上成功している、と私は考えています。まあ、昔はよかったと声高に語る長年の大河ドラマ愛好者にとっては、戦いの場面が描かれていない、と不評かもしれませんが。高瀬については、近藤康用を毒殺しようとしたのは間違いないでしょうし、おそらく武田の間者なのでしょうが、まだ完全に謎が明かされたわけでもなさそうなので、もう一ひねりあるかもしれません。

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