ドイツ南西部のネアンデルタール人化石のmtDNAについての解説

 これは9月15日分の記事として掲載しておきます。ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(以下HST洞窟と省略)で発見されたネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)化石のミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析した研究については、2ヶ月前(2017年7月)にこのブログで取り上げました(関連記事)。取り上げるのが遅れてしまいましたが、その研究についての解説記事の内容に疑問が残るので、自分の知識をまとめるという意味で、備忘録として掲載しておくことにします。まず疑問なのは、以下の見解です。

 ネアンデルタール人やデニソーワ人など古代人と私たちホモサピエンスは交雑が可能で、しっかり子供ができていたことがわかっている。その結果として、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアの現代人にはネアンデルタール人やデニソーワ人の遺伝子が流入し今も維持され続けている。このことは、ネアンデルタール人の父と現代人類の母の間にできた子供も、現代人類一員として受け入れられていたことを意味する。しかし、ミトコンドリアゲノムで比べると現代人類と古代人の交雑の痕跡はない。ミトコンドリアは母親の卵子を通してのみ子孫に伝わっていくので、母親がネアンデルタール人の子供が現代人類に育てられないと、ネアンデルタール人のミトコンドリア遺伝子は残らない。したがって、この結果はネアンデルタール人の母親が現代人の仲間として受け入れられなかったことを物語る。

 ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類との交雑は今では広く認められていますが、ネアンデルタール人由来と推定されるmtDNAが現代人には見られないからといって、現生人類の父親とネアンデルタール人の母親の間の子供は現生人類集団において受け入れられなかった、というわけではありません。ネアンデルタール人由来と推定されるY染色体も現代人には見られませんから(関連記事)、この解説記事の論理では、ネアンデルタール人の父親と現生人類の母親の間の子供は現生人類集団において受け入れられなかった、となってしまいます。

 mtDNAもY染色体も基本的に母系・父系での単系統遺伝となるので、偶発系統損失が生じやすくなります。ネアンデルタール人の父親と現生人類の母親との間の子供で、現代にも子孫を残しているのが女性のみだった場合、もしくは男性の子供もいたものの、その男性の子供には女性しかいなかったような場合、ネアンデルタール人由来のゲノム領域は現代人に伝わっても、ネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体も現代人には伝わりません。現生人類の父親とネアンデルタール人の母親という逆の組み合わせでは、現代にも子孫を残しているのが男性のみだったか、女性の子供もいたものの、その女性の子供には男性しかいないと、やはりネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体も現代人には伝わりません。

 性染色体や繁殖に直接関わる遺伝子に関しては、現代人にはネアンデルタール人由来のものが確認されないか少なく(関連記事)、ネアンデルタール人のY染色体についての研究から、ネアンデルタール人のY染色体を有する個体は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑集団において繁殖能力が低下して排除された可能性が指摘されていますから(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類との交雑において、ネアンデルタール人男性と現生人類女性という組み合わせが多かったというか一般的だったとすると、(非アフリカ系)現代人のゲノムにネアンデルタール人由来の領域が認められるのに、ネアンデルタール人由来のmtDNAもY染色体も見られない理由を上手く説明できそうです。もちろん、これ以外の想定もじゅうぶん可能ですが。次に疑問が残るのは以下の見解です。

 今日紹介する同じライプチッヒ・マックスプランク研究所からの論文は1930年代にドイツ南部で発掘されたネアンデルタール人のミトコンドリアDNAが他のヨーロッパから出土するネアンデルタール人とは異なり、ホモサピエンスに近いことを示す研究

 HST洞窟のネアンデルタール人は、他のネアンデルタール人との比較でとくに現生人類と近いわけではありません。まあ、HST洞窟のネアンデルタール人は、mtDNAが解析された他のネアンデルタール人よりもやや古いかもしれませんから、その分だけ他のネアンデルタール人よりも現生人類に近いと言えるかもしれませんが、その確証はありません。このように疑問が残るのは、そもそもこの解説記事が、以下に引用するように、HST洞窟のネアンデルタール人のmtDNAに関する研究を間違って理解しているからなのでしょう。

 新しく解読した南ドイツのネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムは、これまで発見された多くのネアンデルタール人ゲノムとは大きくかけ離れており、他のネアンデルタール人と20-30万年前に分離したと考えられる。面白いことに、現代人の核内ゲノムの導入の痕跡があるアルタイのネアンデルタールに近縁で、しかも他のネアンデルタールグループと比べても現代人のミトコンドリアに近い。おそらく20-40万年以前にアフリカで現代人の先祖のミトコンドリアゲノムが極めて限られたネアンデルタール人グループに導入され、他とは異なる私たち現代人と母系を共有する新しいネアンデルタール人系統を形成した。

 HST洞窟のネアンデルタール人のmtDNAが、「これまで発見された多くのネアンデルタール人ゲノムとは大きくかけ離れて」いるのは確かですが、「アルタイのネアンデルタールに近縁」でも、「他のネアンデルタールグループと比べても現代人のミトコンドリアに近い」わけでもありません。HST洞窟のネアンデルタール人のmtDNAの意義は、既知のネアンデルタール人のmtDNAとの比較で最も早期に分岐したと推定されることにあり、他のネアンデルタール人のうち特定の系統と近縁というわけでも、他のネアンデルタール人と比較して現生人類とより近縁というわけでもありません。なお、このアルタイのネアンデルタール人とは、デニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたデニソワ5(Denisova 5)のことです。

 また、HST洞窟のネアンデルタール人のmtDNAの意義としてもう一つ重要なのは、ネアンデルタール人のmtDNAはおそらく「前期型」と「後期型」とで異なり、「後期型」はネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類系統に近縁なアフリカ起源の(遺伝学的に)未知の人類系統からもたらされたと推測されていますが(関連記事)、その下限年代が絞り込めそうだ、ということです。「現代人の先祖のミトコンドリアゲノムが極めて限られたネアンデルタール人グループに導入され」たというよりも、現代人の祖先と近縁な系統がネアンデルタール人集団と交雑したのであり、現生人類と近縁なmtDNAは、複数系統のネアンデルタール人に独立してもたらされた可能性も指摘されています。

 HST洞窟のネアンデルタール人のmtDNAは、それ自体は「これまで謎だったミトコンドリアDNAから見た時の古代人の系統樹と核DNAから見た系統樹の矛盾を説明する」ものではなく、あくまでも、ネアンデルタール人のmtDNAの「前期型」から「後期型」への置換という現時点で有力とされている仮説の下限年代を提示するものだと思います。「ミトコンドリアDNAから見た時の古代人の系統樹と核DNAから見た系統樹の矛盾」については、上述したアフリカ起源の現生人類と近縁な系統とネアンデルタール人系統との交雑が有力だと考えられていますが、他にも説明は可能であり(関連記事)、まだ決着したとは言えないように思います。

この記事へのコメント

kurozee
2017年09月15日 12:04
すばらしい解釈です。納得しました。
2017年09月15日 19:57
執筆者の方は進化に関する記事を多数執筆しており、見識があると思っていたので、この解説記事はかなり意外でした。あるいは、編集部に依頼されて急いで執筆したやっつけ仕事だったのかもしれません。

この記事へのトラックバック