金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』

 これは6月25日分の記事として掲載しておきます。河出書房新社から2017年5月に刊行されました。本書は、裏切られ続けた人物との観点から信長の人物像を検証しています。信長を裏切った人物として検証の対象になっているのは、浅井長政・武田信玄・上杉謙信・毛利輝元・松永久秀・荒木村重・明智光秀です。このうち、浅井長政・武田信玄・上杉謙信・毛利輝元は同じ戦国大名の同盟者として、松永久秀・荒木村重・明智光秀は信長の家臣として位置づけられています。しかし、本書でも言及されているように、この区分には曖昧なところもあります。信長の主観では、書状の受け取り手への虚勢もあるだろうとしても、浅井長政や毛利輝元を家臣のように考えていたところもありますし、松永久秀は、当初は信長の家臣というよりは同盟者に近い立場でした。荒木村重と明智光秀は、羽柴秀吉と同様に、軽輩から信長に取り立てられた家臣と言えそうです。

 本書は、信長を裏切ったこの7人について、それぞれの経緯を検証し、共通する要因があったのではないか、と推測しています。本書の推測する要因とは、信長は武田信玄と徳川家康や上杉謙信のような同盟者間の対立や、自身と同盟者との境界の勢力に関して配慮の足らないところがあったのではないか、ということです。どうも、信長は外交が下手だったのではないか、というわけです。これは信長を裏切った家臣についても言えることで、信長は家臣や友好勢力間の対立について配慮の足らないところがあり、それが裏切りを招来したのではないか、と指摘されています。松永久秀に関しては、同じく信長の家臣で、松永久秀と敵対関係にあった筒井順慶を重用したことが要因ではないか、と推測されています。荒木村重に関しては、中国地方対策を担っていたのに、その役割が羽柴秀吉に任されるようになったことが、明智光秀に関しては、光秀の家臣の縁戚で、信長にとって友好勢力だった長宗我部元親との関係が悪化したことが要因ではないか、と指摘されています。

 本書はこのように、信長が裏切られた要因として、同盟者や家臣の間の利害関係への配慮が足らなかったことを挙げ、信長は外交が不得手で家臣団を上手く統制できていなかったのではないか、と指摘します。また本書は、信長はこれらの裏切りをまったく予想できていなかったようであり、信長は人を信じすぎたのではないか、とも指摘しています。一方で、信長の外交を高く評価する見解や、信長が尊大だったことを指摘する見解も本書では取り上げられています。しかし本書は、そうした見解と本書の見解は矛盾するものではない、と指摘しています。相手を深く信頼することと尊大であることは両立しますし、信長は一地方大名としての立場から天下人になるまでに勢力を拡大していきましたが、一地方大名の時には上手く機能した外交方針(遠交近攻)や家臣団統制が、天下人の立場では上手く機能しなかったのではないか、というわけです。信長の勢力拡大は急速であり、それに信長が上手く対応できなかったのかもしれません。

 本書を読むと、信長は相手の立場・心情を理解するのが苦手で、尊大さと通ずるというか、尊大さに起因するとも言える、相手への深い信頼ゆえの油断により、たびたび裏切られ、ついには自害に追い込まれた、との印象を受けます。本書の提示する信長像にはおおむね共感しました。ただ、本書でも示唆されていますが、この点で信長が特異というか、とくに無能な人物だったというわけでもないように思います。前近代の情報伝達事情では正確な情報の入手は難しかったわけで、相手の立場・心情を的確に理解するのは容易ではなかっただろう、と思います。他の戦国大名も、信長と同様の失敗を繰り返し、何度も裏切られることは珍しくなかったのではないか、とも思います。ただ、他の戦国大名の多くは、信長ほどには急速に勢力を拡大したわけではないので、その意味で信長の「裏切られ人生」は特異に見えるところがあるかもしれません。

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