和田裕弘『織田信長の家臣団 派閥と人間関係』

 これは6月18日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年2月に刊行されました。本書は織田信長の家臣団について、陪臣も含めてその地縁・血縁関係や事蹟を検証していき、信長時代の織田家特徴を家臣団の観点から浮き彫りにしています。とにかく取り上げられている人物が多く、その地縁・血縁関係にまで言及されているので、一回読んだだけでは見落としていることも多そうで、今後何回か再読する必要がありそうです。本書は、信長について詳しく知る目的だけではなく、小説・ゲームなど創作においてもネタの宝庫になっていると言えそうで、その点でも有益です。

 本書はまず信長の生涯について概観し、次に織田領国が拡大してから各地に置かれた「軍団」を個別に検証していきます。本書が取り上げている「軍団長」は、信長の息子である信忠と信孝、信長よりも前から織田家に仕えていた一族の出身と思われる佐久間信盛と柴田勝家、信長の代で取り立てられた羽柴秀吉・滝川一益・明智光秀です。本書は、各「軍団」の特徴を指摘し、それが各「軍団」の運命をどのように左右したのか、検証しています。本能寺の変後の勝家と秀吉の行動の差について、軍団の一体感の強弱の違いを要因とするところは結果論的解釈かな、とも思えるのですが、地縁・血縁関係からの各「軍団」の分析は読みごたえがありました。

 具体的には、たとえば佐久間信盛が追放されたのは、他の「軍団長」とは異なり、有力家臣や主君である信長との縁戚関係が薄かったからだ、との指摘は興味深いものでした。信盛追放後の信長の処置からは、信長自身と嫡男信忠(この時点ですでに家督を継承していましたが)の勢力強化という目的が窺えますが、筆頭家臣とも言うべき信盛を追放しても、他の有力家臣からの反発は強くないだろう、との思惑が信長にあったのではないか、と本書は指摘します。また本書は、明智光秀の謀反が成功した(信長・信忠父子を討ち取るまでは成功したものの、けっきょくは羽柴秀吉に敗れて明智「軍団」は壊滅するわけですが)一因として、配下に尾張衆がいなかったことを挙げており、これも興味深い見解だと思います。

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