Yuval Noah Harari『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』上・下
これは5月7日分の記事として掲載しておきます。ユヴァル=ノア=ハラリ(Yuval Noah Harari)著、柴田裕之訳で、河出書房新社から2016年9月に刊行されました。原書の刊行は2011年です。地上波でも取り上げられ、大型書店でも大きく扱われているなど、本書は評判の一冊になっているようです。私は刊行後間もない時期に購入したのですが、書評を少し読んだ限りでは、あまり新鮮さはなさそうだということで、読むのを先延ばしにしていました。しかし、このまま読まないのはもったいないと思い、読んでみた次第です。
本書の個々の見解は、確かに新鮮さはあまりないと思います。ただ、特定の観点にこだわって現生人類の歴史を概観するという構成が雄大であり、著者も一般向けであることを意識してか、なるべく分かりやすい説明を心掛けているように思われ、その点が評判になっている理由でしょうか。欧米ではこうした魅力的で壮大な一般向け人類史が刊行され、話題になることがありますが、本書も評判になるだけの要素を備えており、それは博学な著者ゆえに可能だったのでしょう。
本書の観点の一つは、(遅くとも7万年前頃の認知革命による)現生人類(Homo sapiens)に備わっている、虚構を語り信じる能力です。これが、その後の現生人類(サピエンス)の歴史的展開の基盤とされています。人権概念・貨幣・国家・宗教などが虚構に基づいていると強調する本書の見解は、ありふれていると言えるかもしれませんが、一般向け書籍としては、なかなか刺激的かもしれません。本書を読んで改めて、近代国家を標的にやたらと虚構性を強調する見解への違和感を覚えます。
本書のもう一つの観点は、幸福です。本書は、種(分類群)・集団の「繁栄」と個体の幸福とを直結させず、農業革命や科学革命(およびそれが実現可能とした産業革命・近代化)により前者が実現しても、後者の観点ではむしろ状況が悪化したことも多い、と強調します。これもとくに新鮮な見解ではないとしても、一般向け書籍ということを考慮すれば、それが強調されたのは衝撃的と言えるかもしれません。人間が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人間を家畜化した、との見解も一般向け書籍としては新鮮でしょう。また、近代における植民地の搾取された人々のみならず、近代化でいっそう大規模になった家畜の、個体の幸福まで大きく取り上げているのも、本書の重要な特徴と言えるでしょう。
人類史の転換点として農業革命と産業革命を挙げる見解は常識的と言えるでしょうが、本書は、産業革命よりもむしろ、それをもたらすにいたった科学革命を重視している点が大きな特徴と言えるでしょうか。本書は科学革命の重要な特徴として、世界の重要な事柄について、すでに神や賢者によりすべて示されている、とするキリスト教・イスラーム・儒教などの伝統的な知的観念とは異なり、進んで無知であることを認めたことが大きい、と指摘しています。
今後、科学革命以降の大発展を前提として、現生人類が別の生物に変わっていくかもしれない可能性を論じていることなど、本書はとにかく雄大な構想になっているので、細かく見ていけば、特定の時代・地域・事象に関心の強い読者にとって、不満点は少なくないかもしれません。しかし、それが本書の価値を大きく減じていることはないと思います。原書は2011年の刊行なので、現時点(2017年5月)でもやや古く、新たな知見を得るという目的で読むと、必ずしも満足させられないかもしれません。しかし、幸福や虚構性という観点など、本書は哲学的に深く考えさせられる内容となっており、一読の価値はあると思います。
個人的な関心に引き付けて言えば、認知革命を現生人類に特有の出来事とし、他系統の人類を過小評価しているのではないか、との疑問は残ります。これはまだ考古学的に実証された見解とは言い難く、本書のこの見解は今後大きく修正されることになるかもしれません。しかし、かりにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)など他の後期ホモ属にもサピエンスとあまり変わらないような、虚構を可能とする認知能力があったとしても、それが現代の「高度な文明」の重要な基盤になっている、という本書の核となる見解は間違いないだろう、と思います。
また本書では、人類は長い間、食物連鎖における地位は中ほどで、環境に大きな影響を及ぼすわけではなかった、とされます。人類が大型動物を本格的に狩るようになったのは40万年前頃以降で、その前には死肉漁りや小形動物の狩猟が主であり、人類は絶えず捕食動物に脅かされていたのではないか、というわけです。しかし、人類が50万年以上前から大型動物を待ち伏せして狩っていた可能性(関連記事)や、70万年前頃に大型動物を体系的に屠殺していたこと(関連記事)など、近年の考古学的成果(関連記事)から推測すると、これは50万年前頃以前の人類の過小評価かもしれません。
参考文献:
Harari YN.著(2016)、柴田裕之訳『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』上・下(河出書房新社、原書の刊行は2011年)
本書の個々の見解は、確かに新鮮さはあまりないと思います。ただ、特定の観点にこだわって現生人類の歴史を概観するという構成が雄大であり、著者も一般向けであることを意識してか、なるべく分かりやすい説明を心掛けているように思われ、その点が評判になっている理由でしょうか。欧米ではこうした魅力的で壮大な一般向け人類史が刊行され、話題になることがありますが、本書も評判になるだけの要素を備えており、それは博学な著者ゆえに可能だったのでしょう。
本書の観点の一つは、(遅くとも7万年前頃の認知革命による)現生人類(Homo sapiens)に備わっている、虚構を語り信じる能力です。これが、その後の現生人類(サピエンス)の歴史的展開の基盤とされています。人権概念・貨幣・国家・宗教などが虚構に基づいていると強調する本書の見解は、ありふれていると言えるかもしれませんが、一般向け書籍としては、なかなか刺激的かもしれません。本書を読んで改めて、近代国家を標的にやたらと虚構性を強調する見解への違和感を覚えます。
本書のもう一つの観点は、幸福です。本書は、種(分類群)・集団の「繁栄」と個体の幸福とを直結させず、農業革命や科学革命(およびそれが実現可能とした産業革命・近代化)により前者が実現しても、後者の観点ではむしろ状況が悪化したことも多い、と強調します。これもとくに新鮮な見解ではないとしても、一般向け書籍ということを考慮すれば、それが強調されたのは衝撃的と言えるかもしれません。人間が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人間を家畜化した、との見解も一般向け書籍としては新鮮でしょう。また、近代における植民地の搾取された人々のみならず、近代化でいっそう大規模になった家畜の、個体の幸福まで大きく取り上げているのも、本書の重要な特徴と言えるでしょう。
人類史の転換点として農業革命と産業革命を挙げる見解は常識的と言えるでしょうが、本書は、産業革命よりもむしろ、それをもたらすにいたった科学革命を重視している点が大きな特徴と言えるでしょうか。本書は科学革命の重要な特徴として、世界の重要な事柄について、すでに神や賢者によりすべて示されている、とするキリスト教・イスラーム・儒教などの伝統的な知的観念とは異なり、進んで無知であることを認めたことが大きい、と指摘しています。
今後、科学革命以降の大発展を前提として、現生人類が別の生物に変わっていくかもしれない可能性を論じていることなど、本書はとにかく雄大な構想になっているので、細かく見ていけば、特定の時代・地域・事象に関心の強い読者にとって、不満点は少なくないかもしれません。しかし、それが本書の価値を大きく減じていることはないと思います。原書は2011年の刊行なので、現時点(2017年5月)でもやや古く、新たな知見を得るという目的で読むと、必ずしも満足させられないかもしれません。しかし、幸福や虚構性という観点など、本書は哲学的に深く考えさせられる内容となっており、一読の価値はあると思います。
個人的な関心に引き付けて言えば、認知革命を現生人類に特有の出来事とし、他系統の人類を過小評価しているのではないか、との疑問は残ります。これはまだ考古学的に実証された見解とは言い難く、本書のこの見解は今後大きく修正されることになるかもしれません。しかし、かりにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)など他の後期ホモ属にもサピエンスとあまり変わらないような、虚構を可能とする認知能力があったとしても、それが現代の「高度な文明」の重要な基盤になっている、という本書の核となる見解は間違いないだろう、と思います。
また本書では、人類は長い間、食物連鎖における地位は中ほどで、環境に大きな影響を及ぼすわけではなかった、とされます。人類が大型動物を本格的に狩るようになったのは40万年前頃以降で、その前には死肉漁りや小形動物の狩猟が主であり、人類は絶えず捕食動物に脅かされていたのではないか、というわけです。しかし、人類が50万年以上前から大型動物を待ち伏せして狩っていた可能性(関連記事)や、70万年前頃に大型動物を体系的に屠殺していたこと(関連記事)など、近年の考古学的成果(関連記事)から推測すると、これは50万年前頃以前の人類の過小評価かもしれません。
参考文献:
Harari YN.著(2016)、柴田裕之訳『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』上・下(河出書房新社、原書の刊行は2011年)
この記事へのコメント