究極の利他的行為の動機

 これは5月4日分の記事として掲載しておきます。究極の利他的行為の動機に関する研究(Vekaria et al., 2017)が公表されました。腎臓を見知らぬ人に提供する行為は、痛みを伴い、犠牲が大きく、標準的ではなくて極めてまれであり、利他主義の典型例とみなすことができます。ヒトの利他主義傾向を高める要因は何なのか、また、その寛大さは他者への純粋な共感から生まれるのか、それとも利己的な動機に由来するのか、といった疑問に対する答えはいまだ得られていません。

 この研究は、腎臓を見知らぬ他人に提供した21人と、マッチする対照者39人の参加者たちによる実験を実施しました。マッチする対照者39人の参加者たちはまず、自身の知る100人を親密さに従って「血縁者」・「友人」・「知人」・「見知らぬ他人」のいずれかに分類しました。次に参加者は、評価後の個々の人たちのそれぞれに対してどれだけの金銭を与える(もしくは与えない)かを決める、「金銭割り当て課題」を行ないました。この課題により、参加者による他者に対する親密さの認識(社会的距離)と、参加者による他者の幸福への価値づけ(社会割引)が測られます。

 課題の結果、極端な利他主義者(自分の腎臓を見知らぬ他者へ提供した人々)は、社会的距離については対照者集団と同様に評価するものの、自分と距離のある他者へ多くの金銭を配分することが判明しました。この研究では、極端な利他主義者は、彼らの社会的距離の認識が誤っているわけではなく、一般的な人々と比較して、見知らぬ他人の幸福に価値を見いだすのだろう、と示唆されています。この結論は、利他的行為の動機は、近縁者を助けたいという願望あるいは互恵行動にある、というじゅうらいの見解と対照的です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


究極の利他主義者

 見知らぬ人に自分の腎臓を提供する人は、一般の人々と比べて、他者の幸福に対する関心が強いことが、今週オンラインで掲載される論文で報告される。今回の研究では、そうした極端な利他主義の基盤を理解するための知見が得られ、犠牲の大きい利他的行為を、友人や家族を越えて見知らぬ人々へも拡張しうる心理学的機構の存在が示唆された。

 腎臓を見知らぬ人に提供する行為は、痛みを伴い、犠牲が大きく、標準的ではなく、極めてまれであり、利他主義の典型例とみなすことができる。ヒトの利他主義傾向を高める要因は何なのか、またその寛大さは、他者への純粋な共感から生まれるのか、それとも利己的な動機に由来するのかといった疑問に対する答えはいまだ得られていない。

 Kruti Vekariaたちによる研究において、腎臓を見知らぬ他人に提供した21人と、マッチする対照者39人の参加者たちはまず、自身の知る100人を親密さに従って、〈血縁者〉、〈友人〉、〈知人〉、〈見知らぬ他人〉のいずれかに分類した。次に参加者は、評価後の個々の人たちのそれぞれに対してどれだけの金銭を与える(もしくは与えない)かを決める「金銭割り当て課題」を行った。この課題によって、参加者による他者に対する親密さの認識(社会的距離)と、参加者による他者の幸福への価値づけ(社会割引)が測られる。課題の結果、極端な利他主義者(自分の腎臓を見知らぬ他者へ提供した人々)は、社会的距離については対照者集団と同様に評価するものの、自分と距離のある他者へ多くの金銭を配分することが判明した。研究チームはこの結果を受けて、極端な利他主義者は、彼らの社会的距離の認識が誤っているわけではなく、一般的な人々と比較して、見知らぬ他人の幸福に価値を見いだすのだろうと示唆している。この結論は、利他的行為の動機は、近縁者を助けたいという願望にある、あるいは互恵行動にある、という従来の考えと対照を成す。

 同時掲載のNews & Views記事ではTobias Kalenscherが、「ナショナリストの抱く保護主義、またポピュリストの抱く個人主義がはびこる昨今の風潮からすれば、今回の研究の結果は未来への希望につながる」と述べている。



参考文献:
Vekaria KM. et al.(2017): Social discounting and distance perceptions in costly altruism. Nature Human Behaviour, 1, 0100.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0100

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