深井智朗『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』

 これは4月30日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年3月に刊行されました。本書はプロテスタンティズムの概説ですが、副題にあるように現代社会を射程に入れており、現代社会におけるプロテスタンティズムの役割はどのような歴史的経緯をたどってきた結果として成立したのか、という観点を強く打ち出しているように思われます。本書はまず、プロテスタンティズムの前提として、中世の西方教会世界を簡潔に解説します。そこではカトリックが人々の世界観に大きな影響を与えており、ローマ教皇が高い権威を有していました。しかし、ルターによる「宗教改革」の発信地となった神聖ローマ帝国領内では、政治的権威確保のためにローマ教皇への依存度が高いので、カトリックに搾取される傾向があり、これがルターによる「宗教改革」の前提となったようです。

 本書はルターによる「宗教改革」をやや詳しく取り上げており、カルヴァンなど「宗教改革」における他の重要人物については、解説がやや簡略になっています。本書が強調しているのは、ルターは新たな「宗派」を立ち上げようとしたのではなく、あくまでもカトリックの「再形成」を目標としていた、ということです。しかし、贖宥状の利権をめぐる問題などで折り合いがつかず、カトリックとルター双方の強硬姿勢から、ついにルターの教えはカトリックと決別し、新たな教派たるプロテスタンティズムが形成されていきます。ローマ教皇という確たる中心的権威が存在し、中央集権的で教義が統一されているカトリックにたいして、聖書を重視するプロテスタンティズムの方は、ローマ教皇のみならず万人に聖書の解釈が平等に開かれていることを特徴とするため、際限なく分裂していく傾向にあった、と本書は指摘します。

 こうした多様なプロテスタンティズムについて本書は、古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムの二つに区分する見解を主張しています。ルターやカルヴァンのように、一つの政治的領域を単位とする信仰世界を前提とする古プロテスタンティズムと、「洗礼主義」のように、個人の自覚的信仰を要求する、地縁・血縁ではなく信仰による共同体を形成しようとする新プロテスタンティズムというわけです。本書は、古プロテスタンティズムの信仰共同体の在り様がカトリックと類似していることを指摘し、それへの反発として新プロテスタンティズムが成立していく、との見通しを提示しています。本書は、個人主義的な新プロテスタンティズムが、自由・人権・民主主義など近代的価値観の普及に重要な役割を果たした、と指摘しています。

 本書は、古プロテスタンティズムを保守主義、新プロテスタンティズムをリベラリズムと結びつけます。古プロテスタンティズムのルター派は、プロイセン主導の統一ドイツ帝国に道徳的正統性を与え、国家への帰属意識を高めていった、という歴史的経緯が指摘されています。しかし、帝政ドイツ崩壊後のヴァイマール期の不遇とその反動としてのナチス体制にたいする抵抗の弱さを経て、ドイツの古プロテスタンティズムは保守主義に教義を提供しつつ、多くの争いを経験してきたプロテスタンティズムの智慧である多文化共生の道を切り開いてきた、と本書は評価しています。

 もう一方の個人主義的傾向の強い新プロテスタンティズムは、アメリカ合衆国において大きな影響を及ぼしました。新プロテスタンティズムの個人主義・自由主義は、アメリカ合衆国において、自助努力を重んじ、小さな政府を志向する基本的価値観を根づかせました。本書はこのようにプロテスタンティズムを大きく二分し、現代の保守主義・リベラリズムと結びつけます。本書はプロテスタンティズムを一般向けに明快に解説しており、入門書として優れているように思います。ただ、プロテスタンティズムの二分については、かなり類型化されている印象も受けました。また、保守主義とリベラリズムの意味合いが、現代日本社会における一般的な用法とはかなり異なるようにも思われます。まあ、この問題については明らかに私が勉強不足なので、門外漢の素朴な疑問でしかありませんが。

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