急速に拡散した最初期のオーストラリア人(追記有)
これは3月11日分の記事として掲載しておきます。オーストラリア先住民のミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析した研究(Tobler et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、1928年から1970年代にかけてオーストラリア先住民から集められた111点の髪からmtDNAを解析しました。注目されるのは、オーストラリア先住民社会から合意・協力を得て研究が進められ、オーストラリアにおける先住民政策にも活かされていることです。今では、こうした研究のやり方が主流になりつつあるのではないか、と思います。
オーストラリアへの人類最初の移住については、5万年前頃までさかのぼるのではないか、と推測されています。この頃、オーストラリアとニューギニアとタスマニア島は陸続きで、サフルランドを形成していました。この研究は、111点の髪から得られたmtDNAを解析した結果、オーストラリア先住民の祖先集団はオーストラリア北部に上陸した後、それぞれ東西の海岸沿いに急速に拡散し、49000~45000年前までに南オーストラリアに到達して遭遇した、という見解を提示しています。オーストラリア先住民集団において、各地域で特徴的なmtDNAのハプログループの分岐年代が4万年以上前までさかのぼるからです。
さらにこの研究は、オーストラリア全体への植民後、人口構造で強い地域的パターンが発達し、後期更新世~完新世にかけての相当な気候的・文化的変化にも関わらず、この地理的人口構造が5万年近く継続してきた、との見解を提示しています。このように、長期にわたって各地域集団が継続してきたことが、オーストラリア先住民社会における言語と表現型の多様性の要因ではないか、と指摘されています。オーストラリアは、サハラ砂漠以南のアフリカ以外では、ニューギニアなどと共に、地域的な人口構造の継続期間がたいへん長い地域となるなのでしょう。
オーストラリア先住民のY染色体の分析では、オーストラリア先住民の祖先集団はサフルランドへ上陸した後、そのY染色体系統は急速に分岐していった、と推測されており(関連記事)、この研究と整合的と言えそうです。ただ、完新世における南アジアからオーストラリアへの遺伝子流動(関連記事)や、完新世におけるオーストラリア北東の地域集団の拡大とオーストラリア他地域への遺伝子流動(関連記事)といった可能性も提示されています。完新世におけるオーストラリア北東の地域集団の拡大は、言語学的に推定されるパマ-ニュンガン語族(Pama–Nyungan languages)の拡大とも一致しています。後期更新世~完新世のオーストラリアにおいては、強固な地域的人口構造が継続しつつも、遺伝子流動が一定水準以上起きていたのではないか、と考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【ゲノミクス】オーストラリアの地域多様性を解明する手掛かりとなる先住民のゲノム
100点以上のオーストラリア先住民(アボリジナル)のミトコンドリアゲノムの解析が行われ、オーストラリアでの定住は、東西両海岸に沿った一度の急速な移動によってなされ、その流れがオーストラリア南部に到達したのが早くて49,000年前頃だったことが明らかになった。この新知見は、オーストラリア先住民の集団が明確に区分された地域内で約50,000年にわたって定住を続けたことを示唆している。この研究成果を報じる論文が、今週掲載される。
(かつてサフールという1つの陸塊だった)オーストラリアとニューギニアに初めてヒトが住みついたのは約50,000年前のことだったことが考古学的証拠に示されている。しかし、オーストラリア国内において言語と表現型の多様性が極めて大きいことの背後にある過程については解明されていない。
今回、Alan Cooperの研究チームは、1920~1970年代に3つのオーストラリア先住民のコミュニティー(サウスオーストラリア州の2つとクイーンズランド州の1つ)で111人から集めた毛髪試料からミトコンドリアゲノムを抽出した。Cooperたちは、このミトコンドリアゲノムを解析して、ヨーロッパ人が定住するまでのオーストラリア先住民の集団間の遺伝的関係と歴史的関係を詳細に再構築した。その結果、オーストラリア先住民がオーストラリア北部に上陸してから東西両海岸沿いに急速に移動して、約49,000~45,000年前にオーストラリア南部で出会ったことが分かった。ミトコンドリアDNAの多様性のパターンには地域性が色濃く見られ、このことは、オーストラリア先住民が、約50,000年前の時点で、著しい文化的変化と気候変動(例えば、最終氷期極大期の広範囲にわたる乾燥化と寒冷化)があったにもかかわらず、集団ごとに明確に異なった地域で定住していたことを示している。
参考文献:
Tobler R et al.(2017): Aboriginal mitogenomes reveal 50,000 years of regionalism in Australia. Nature, 544, 7649, 180–184.
http://dx.doi.org/10.1038/nature21416
追記(2017年4月13日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:アボリジニのミトゲノムから明らかになった、オーストラリアにおける5万年間にわたる地域性
進化学:アボリジニの最初の移動経路ブックマーク
オーストラリアのアボリジニは、現在知られている中で最も長く続いている文化複合体の1つで、考古学的証拠から、オーストラリア大陸への人類の最初の定着は約5万年前とされている。A Cooperたちは今回、過去に採取され長く保存されていたオーストラリア・アボリジニの111例の毛髪試料について、ミトコンドリアゲノムの塩基配列を解読して遺伝的解析を行い、オーストラリアに到達した人類がその後大陸内でどのように移動したかをたどった。その結果、人類はオーストラリア北部に上陸した後、東西に分かれて海岸沿いに急速に広がり、4万9000年前にはオーストラリア南部で再び出会っていたことが明らかになった。ミトコンドリアDNAの多様性に著しい地域的パターンが見られることから、移動をやめた人々はそこにとどまって文化的な根を下ろし、そうした根は5万年間にわたり、文化や気候の大規模な変化に耐えて存続してきたことが示唆された。
オーストラリアへの人類最初の移住については、5万年前頃までさかのぼるのではないか、と推測されています。この頃、オーストラリアとニューギニアとタスマニア島は陸続きで、サフルランドを形成していました。この研究は、111点の髪から得られたmtDNAを解析した結果、オーストラリア先住民の祖先集団はオーストラリア北部に上陸した後、それぞれ東西の海岸沿いに急速に拡散し、49000~45000年前までに南オーストラリアに到達して遭遇した、という見解を提示しています。オーストラリア先住民集団において、各地域で特徴的なmtDNAのハプログループの分岐年代が4万年以上前までさかのぼるからです。
さらにこの研究は、オーストラリア全体への植民後、人口構造で強い地域的パターンが発達し、後期更新世~完新世にかけての相当な気候的・文化的変化にも関わらず、この地理的人口構造が5万年近く継続してきた、との見解を提示しています。このように、長期にわたって各地域集団が継続してきたことが、オーストラリア先住民社会における言語と表現型の多様性の要因ではないか、と指摘されています。オーストラリアは、サハラ砂漠以南のアフリカ以外では、ニューギニアなどと共に、地域的な人口構造の継続期間がたいへん長い地域となるなのでしょう。
オーストラリア先住民のY染色体の分析では、オーストラリア先住民の祖先集団はサフルランドへ上陸した後、そのY染色体系統は急速に分岐していった、と推測されており(関連記事)、この研究と整合的と言えそうです。ただ、完新世における南アジアからオーストラリアへの遺伝子流動(関連記事)や、完新世におけるオーストラリア北東の地域集団の拡大とオーストラリア他地域への遺伝子流動(関連記事)といった可能性も提示されています。完新世におけるオーストラリア北東の地域集団の拡大は、言語学的に推定されるパマ-ニュンガン語族(Pama–Nyungan languages)の拡大とも一致しています。後期更新世~完新世のオーストラリアにおいては、強固な地域的人口構造が継続しつつも、遺伝子流動が一定水準以上起きていたのではないか、と考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【ゲノミクス】オーストラリアの地域多様性を解明する手掛かりとなる先住民のゲノム
100点以上のオーストラリア先住民(アボリジナル)のミトコンドリアゲノムの解析が行われ、オーストラリアでの定住は、東西両海岸に沿った一度の急速な移動によってなされ、その流れがオーストラリア南部に到達したのが早くて49,000年前頃だったことが明らかになった。この新知見は、オーストラリア先住民の集団が明確に区分された地域内で約50,000年にわたって定住を続けたことを示唆している。この研究成果を報じる論文が、今週掲載される。
(かつてサフールという1つの陸塊だった)オーストラリアとニューギニアに初めてヒトが住みついたのは約50,000年前のことだったことが考古学的証拠に示されている。しかし、オーストラリア国内において言語と表現型の多様性が極めて大きいことの背後にある過程については解明されていない。
今回、Alan Cooperの研究チームは、1920~1970年代に3つのオーストラリア先住民のコミュニティー(サウスオーストラリア州の2つとクイーンズランド州の1つ)で111人から集めた毛髪試料からミトコンドリアゲノムを抽出した。Cooperたちは、このミトコンドリアゲノムを解析して、ヨーロッパ人が定住するまでのオーストラリア先住民の集団間の遺伝的関係と歴史的関係を詳細に再構築した。その結果、オーストラリア先住民がオーストラリア北部に上陸してから東西両海岸沿いに急速に移動して、約49,000~45,000年前にオーストラリア南部で出会ったことが分かった。ミトコンドリアDNAの多様性のパターンには地域性が色濃く見られ、このことは、オーストラリア先住民が、約50,000年前の時点で、著しい文化的変化と気候変動(例えば、最終氷期極大期の広範囲にわたる乾燥化と寒冷化)があったにもかかわらず、集団ごとに明確に異なった地域で定住していたことを示している。
参考文献:
Tobler R et al.(2017): Aboriginal mitogenomes reveal 50,000 years of regionalism in Australia. Nature, 544, 7649, 180–184.
http://dx.doi.org/10.1038/nature21416
追記(2017年4月13日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:アボリジニのミトゲノムから明らかになった、オーストラリアにおける5万年間にわたる地域性
進化学:アボリジニの最初の移動経路ブックマーク
オーストラリアのアボリジニは、現在知られている中で最も長く続いている文化複合体の1つで、考古学的証拠から、オーストラリア大陸への人類の最初の定着は約5万年前とされている。A Cooperたちは今回、過去に採取され長く保存されていたオーストラリア・アボリジニの111例の毛髪試料について、ミトコンドリアゲノムの塩基配列を解読して遺伝的解析を行い、オーストラリアに到達した人類がその後大陸内でどのように移動したかをたどった。その結果、人類はオーストラリア北部に上陸した後、東西に分かれて海岸沿いに急速に広がり、4万9000年前にはオーストラリア南部で再び出会っていたことが明らかになった。ミトコンドリアDNAの多様性に著しい地域的パターンが見られることから、移動をやめた人々はそこにとどまって文化的な根を下ろし、そうした根は5万年間にわたり、文化や気候の大規模な変化に耐えて存続してきたことが示唆された。
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