歯石から推測されるネアンデルタール人の行動・食性・病気(追記有)
これは3月10日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の歯石のDNAを分析した研究(Weyrich et al., 2017)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Callaway., 2017)が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヒトの歯石には、体内の多数の微生物や食事などで歯に付着した生物のDNAが多数保存されています。この研究は、DNA解析技術の発展により、化石人類の歯石のDNA解析に成功しました。この研究が分析対象としたのは、ベルギーのスピ(Spy)洞窟とスペインのエルシドロン(El Sidrón)洞窟で発見されたネアンデルタール人5個体分の歯石です。これらのネアンデルタール人化石の年代は50000~42000年前頃です。
食性に関しては、スピ洞窟とエルシドロン洞窟で対照的な解析結果が得られました。スピ洞窟のネアンデルタール人は肉食への依存度が高く、草原環境の野生のヒツジやケブカサイが含まれていました。これは、草原環境での狩猟もしくは死肉漁りを示しているのでしょう。一方、エルシドロン洞窟のネアンデルタール人の食性では肉が検出されず、キノコ・松の実・コケが確認され、これは森林での採集活動を示唆しています。なお、肉食への依存度の高かったスピ洞窟のネアンデルタール人も、キノコを食べていたようです。食性、とくに肉食は、口腔微生物叢に影響を及ぼすことも指摘されています。口腔微生物叢に関して、エルシドロン洞窟のネアンデルタール人がチンパンジーやアフリカの採集祖先集団と類似している一方で、スピ洞窟のネアンデルタール人は初期狩猟民と類似しています。
口腔微生物叢のDNA解析では、興味深いことも明らかになっています。エルシドロン洞窟のネアンデルタール人1個体には、歯性膿瘍と慢性胃腸病原体(Enterocytozoon bieneusi)が見られました。この個体には、抗炎症・解熱・鎮痛に効果のあるサリチル酸が含まれているポプラと、分析された他の個体には見られない、ペニシリンの原料となる天然抗生物質のアオカビも含まれていました。このことから、ネアンデルタール人は薬用植物(ポプラやアオカビの付着した植物)の効用をよく理解して治療のために使用していたのではないか、と推測されています。
口腔微生物叢では、古細菌のメタノブレウィバクテル属の一種(Methanobrevibacter oralis)のほぼ完全なゲノムも確認されました。この古細菌は現代人の口腔にも見られるので、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との間での接吻や食物の共有が想定されています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑は現在ではほぼ通説として確立していると言えるでしょうが、口腔微生物叢の分析もその傍証になる、と言えそうです。
たいへん興味深い研究ですが、この研究に関わっていないボチェレンズ(Hervé Bocherens)博士は、歯石のDNAが食性の違いを識別できるのか、まだ確証はない、と指摘しています。これまでの研究は、エルシドロン洞窟とスパイ洞窟のネアンデルタール人の双方がおもに肉食だったことを示唆しているからです。また、食性により口腔微生物叢が変わるということは、人類化石の口腔微生物叢は死亡時からさほどさかのぼらない期間の食性を反映しているとも考えられるわけで、今後の研究の進展が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化】先史時代のネアンデルタール人の食生活が歯石から判明
ネアンデルタール人の食事に明確な地域差があることが、古い時代の歯石(固くなった歯垢の一種)に保存されていたDNAから明らかになった。歯沈着物の遺伝的解析は、現生人類に近縁のヒト族の食習慣(肉の摂取量を含む)に関する手掛かりをもたらす可能性がある。この研究成果を報告する論文が、今週のオンライン版に掲載される。
ネアンデルタール人の食事に関する過去の研究では、それぞれの地域での食料の入手可能性が重要なことが明確に示されたが、ネアンデルタール人が食べていた動植物に関する具体的なデータは少なかった。今回、Laura Weyrichの研究チームは、ヨーロッパで出土したネアンデルタール人の歯石標本(5点)から採取したDNAの配列解析を行い、ネアンデルタール人の食事と健康を遺伝的に再構築した。その結果分かったのは、スピ洞窟(ベルギー)のネアンデルタール人がケブカサイや野生のヒツジを食べていたのに対して、エルシドロン洞窟(スペイン)のネアンデルタール人がマツノミ、コケ、キノコを食べていたことだった。また、Weyrichたちは、口腔内マイクロバイオームを再構築して健康と疾患に関する評価を行った。その結果からは、スペインのネアンデルタール人に歯性膿瘍と慢性の胃腸病原体が見られ、天然の鎮静剤であるポプラや抗生物質を産生するペニシリウム属菌類によるセルフメディケーションを行っていたことが示唆されている。
Weyrichたちは、こうした食事に関する知見に加えて、口腔細菌種の1つについて、ほぼ完全なゲノムを同定した。この口腔細菌は約48,000年前のもので、これまでに同定された微生物の概要ゲノムの中で最古のものとなった。
参考文献:
Callaway E. et al.(2017): Neanderthal tooth plaque hints at meals — and kisses. Nature, 543, 7644, 163.
http://dx.doi.org/10.1038/543163a
Weyrich LS. et al.(2017): Neanderthal behaviour, diet, and disease inferred from ancient DNA in dental calculus. Nature, 544, 7651, 357–361.
http://dx.doi.org/10.1038/nature21674
追記(2017年3月11日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2017年4月20日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:古代の歯石DNAから示唆された、ネアンデルタール人の行動、食餌および疾患
進化学:先史時代の歯垢から明らかになるネアンデルタール人の食生活
ネアンデルタール人の食餌に関しては、肉を多く含む食餌の証拠があるのに対して、それよりも多彩な食餌を示唆する歯の摩耗の証拠もあり、盛んな議論が続けられている。L Weyrichたちは今回、ヨーロッパ各地に由来するネアンデルタール人5個体の歯石から得たDNAの塩基配列を解読し、その食餌および健康状態を遺伝学的に再構築した。その結果、ベルギーのスピーで出土したネアンデルタール人はサイやヒツジの肉を食べていた一方、スペインのエル・シドロンで出土した別のネアンデルタール人はマツの実や蘚類、キノコ類を食べていたことが分かった。また、スペインのネアンデルタール人で歯性膿瘍および腸管病原体が認められた個体が、天然の鎮痛薬であるポプラ、および抗生物質を産生するアオカビ属細菌によるセルフメディケーションを行っていたことも示唆された。さらに、現時点で最古となる約4万8000年前の微生物Methanobrevibacter oralisのゲノムも見いだされた。
食性に関しては、スピ洞窟とエルシドロン洞窟で対照的な解析結果が得られました。スピ洞窟のネアンデルタール人は肉食への依存度が高く、草原環境の野生のヒツジやケブカサイが含まれていました。これは、草原環境での狩猟もしくは死肉漁りを示しているのでしょう。一方、エルシドロン洞窟のネアンデルタール人の食性では肉が検出されず、キノコ・松の実・コケが確認され、これは森林での採集活動を示唆しています。なお、肉食への依存度の高かったスピ洞窟のネアンデルタール人も、キノコを食べていたようです。食性、とくに肉食は、口腔微生物叢に影響を及ぼすことも指摘されています。口腔微生物叢に関して、エルシドロン洞窟のネアンデルタール人がチンパンジーやアフリカの採集祖先集団と類似している一方で、スピ洞窟のネアンデルタール人は初期狩猟民と類似しています。
口腔微生物叢のDNA解析では、興味深いことも明らかになっています。エルシドロン洞窟のネアンデルタール人1個体には、歯性膿瘍と慢性胃腸病原体(Enterocytozoon bieneusi)が見られました。この個体には、抗炎症・解熱・鎮痛に効果のあるサリチル酸が含まれているポプラと、分析された他の個体には見られない、ペニシリンの原料となる天然抗生物質のアオカビも含まれていました。このことから、ネアンデルタール人は薬用植物(ポプラやアオカビの付着した植物)の効用をよく理解して治療のために使用していたのではないか、と推測されています。
口腔微生物叢では、古細菌のメタノブレウィバクテル属の一種(Methanobrevibacter oralis)のほぼ完全なゲノムも確認されました。この古細菌は現代人の口腔にも見られるので、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との間での接吻や食物の共有が想定されています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑は現在ではほぼ通説として確立していると言えるでしょうが、口腔微生物叢の分析もその傍証になる、と言えそうです。
たいへん興味深い研究ですが、この研究に関わっていないボチェレンズ(Hervé Bocherens)博士は、歯石のDNAが食性の違いを識別できるのか、まだ確証はない、と指摘しています。これまでの研究は、エルシドロン洞窟とスパイ洞窟のネアンデルタール人の双方がおもに肉食だったことを示唆しているからです。また、食性により口腔微生物叢が変わるということは、人類化石の口腔微生物叢は死亡時からさほどさかのぼらない期間の食性を反映しているとも考えられるわけで、今後の研究の進展が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化】先史時代のネアンデルタール人の食生活が歯石から判明
ネアンデルタール人の食事に明確な地域差があることが、古い時代の歯石(固くなった歯垢の一種)に保存されていたDNAから明らかになった。歯沈着物の遺伝的解析は、現生人類に近縁のヒト族の食習慣(肉の摂取量を含む)に関する手掛かりをもたらす可能性がある。この研究成果を報告する論文が、今週のオンライン版に掲載される。
ネアンデルタール人の食事に関する過去の研究では、それぞれの地域での食料の入手可能性が重要なことが明確に示されたが、ネアンデルタール人が食べていた動植物に関する具体的なデータは少なかった。今回、Laura Weyrichの研究チームは、ヨーロッパで出土したネアンデルタール人の歯石標本(5点)から採取したDNAの配列解析を行い、ネアンデルタール人の食事と健康を遺伝的に再構築した。その結果分かったのは、スピ洞窟(ベルギー)のネアンデルタール人がケブカサイや野生のヒツジを食べていたのに対して、エルシドロン洞窟(スペイン)のネアンデルタール人がマツノミ、コケ、キノコを食べていたことだった。また、Weyrichたちは、口腔内マイクロバイオームを再構築して健康と疾患に関する評価を行った。その結果からは、スペインのネアンデルタール人に歯性膿瘍と慢性の胃腸病原体が見られ、天然の鎮静剤であるポプラや抗生物質を産生するペニシリウム属菌類によるセルフメディケーションを行っていたことが示唆されている。
Weyrichたちは、こうした食事に関する知見に加えて、口腔細菌種の1つについて、ほぼ完全なゲノムを同定した。この口腔細菌は約48,000年前のもので、これまでに同定された微生物の概要ゲノムの中で最古のものとなった。
参考文献:
Callaway E. et al.(2017): Neanderthal tooth plaque hints at meals — and kisses. Nature, 543, 7644, 163.
http://dx.doi.org/10.1038/543163a
Weyrich LS. et al.(2017): Neanderthal behaviour, diet, and disease inferred from ancient DNA in dental calculus. Nature, 544, 7651, 357–361.
http://dx.doi.org/10.1038/nature21674
追記(2017年3月11日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2017年4月20日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:古代の歯石DNAから示唆された、ネアンデルタール人の行動、食餌および疾患
進化学:先史時代の歯垢から明らかになるネアンデルタール人の食生活
ネアンデルタール人の食餌に関しては、肉を多く含む食餌の証拠があるのに対して、それよりも多彩な食餌を示唆する歯の摩耗の証拠もあり、盛んな議論が続けられている。L Weyrichたちは今回、ヨーロッパ各地に由来するネアンデルタール人5個体の歯石から得たDNAの塩基配列を解読し、その食餌および健康状態を遺伝学的に再構築した。その結果、ベルギーのスピーで出土したネアンデルタール人はサイやヒツジの肉を食べていた一方、スペインのエル・シドロンで出土した別のネアンデルタール人はマツの実や蘚類、キノコ類を食べていたことが分かった。また、スペインのネアンデルタール人で歯性膿瘍および腸管病原体が認められた個体が、天然の鎮痛薬であるポプラ、および抗生物質を産生するアオカビ属細菌によるセルフメディケーションを行っていたことも示唆された。さらに、現時点で最古となる約4万8000年前の微生物Methanobrevibacter oralisのゲノムも見いだされた。
この記事へのコメント