吉田一彦『シリーズ<本と日本史>1 『日本書紀』の呪縛』

 これは2月4日分の記事として掲載しておきます。集英社新書の一冊として、集英社より2016年11月に刊行されました。本シリーズは、本のあり方から一つの時代の文化や社会の姿を考え、その時代の考え方や世界観・価値観、さらには知の枠組みがどのようなものだったのか、考察する企画とのことです。本書は『日本書紀』を取り上げ、いかなる意図・構想なのか、後世にどのような影響を与えたのか、ということを考察しています。おもに奈良時代・平安時代における『日本書紀』の影響・受容の在り様が取り上げられていますが、中世・近世・近現代も対象となっており、射程が長い一冊になっています。

 本書は、『日本書紀』が国家公認の歴史書(国史)として後世に多大な影響を及ぼした、と強調しています。『日本書紀』は過去を定めるとともに、未来を規定した、というわけです。『日本書紀』の影響は大きく、各氏族の権益をめぐる争いの根拠としても、『日本書紀』は用いられました。『日本書紀』は天皇支配の正当性を説明する国家公認の歴史書として編纂され、編纂過程において各氏族・勢力が自分に有利な記述を掲載しようとしたため、長い利害調整の結果として異伝が多く掲載されたのではないか、と本書は推測しています。そのため本書は、『日本書紀』には潤色・創作も多く、歴史的事実を忠実に反映しているわけではない、と注意を喚起しています。

 各氏族・勢力が自己に有利な記述を掲載しようとして、異伝が多数採用されることになっても、全氏族・勢力が完全に満足することは当然ありません。そこで、各氏族は家伝のようなものを編纂し、自己の権益の保全・拡大に努めました。『藤氏家伝』はその代表とされ、『先代旧事本紀』や『古語拾遺』にもそうした性格が認められる、と指摘されています。また、寺院間でもそうした書物編纂の競争があり、聖徳太子をめぐって、法隆寺系や四天王寺系の書物が編纂されました。

 本書は、このような奈良時代~平安時代前期にかけての自己主張を目的とした書物群を、大きく「反国史」と「加国史」に分類しています。「国史」たる『日本書紀』におおむね満足な勢力は、『日本書紀』を踏襲しつつ自己に有利なように加筆していき、『日本書紀』の記述に不満の多い勢力は、『日本書紀』の記述に反するような構想を多く取り入れて書物を編纂した、というわけです。たとえば、『日本書紀』に聖徳太子の創建と記述のある四天王寺が、『日本書紀』の記述を踏襲した書物『聖徳太子伝暦』を編纂したのにたいして、『日本書紀』に創建の経緯の記載のない法隆寺は、『日本書紀』の記述とは異なるところの多い『上宮聖徳法王帝説』を編纂しました。もっとも本書は、いずれにしても、『日本書紀』の枠組みが当時の支配層・知識層を強く規定したのであり、その枠組みで「書物の戦い」が行なわれた、と指摘しています。

 このように、『日本書紀』の強い枠組のもと、当時多くの勢力が自己に有利となるような書物を編纂していきました。本書は、こうした各勢力の思惑の違いとそれに伴う「書物の戦い」の妥協の産物として『新撰姓氏録』が編纂され、各勢力の利害調整が図られたのではないか、と指摘します。また本書は、『日本書紀』の強い枠組から外れた最初期の書物として『日本霊異記』の意義を強調し、それは宗教書だったから可能だったのであり、国際性・個人性という大きな特色のある『日本霊異記』は、『今昔物語』など後世の書物の先駆けになった、と指摘しています。

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