7700年前頃の東アジア人のDNA
これは2月3日分の記事として掲載しておきます。7700年前頃の東アジア人のDNAに関する研究(Siska et al., 2017)が報道されました。これまで、西ユーラシアでは多くの旧石器時代・中石器時代・新石器時代・金属器時代以降の人類のDNAが解析されており、農耕の開始にともなう人類集団の遺伝的構成の変遷がしだいに明らかになりつつあります。そこで明らかになってきたのは、ヨーロッパでは旧石器時代から現代にいたるまで、西アジアやユーラシア内陸部から農耕や冶金技術を携えた集団の大規模な移動がたびたびあり、その遺伝的構成が大きく変わってきた、ということです(関連記事)。
しかし、おそらく西アジアから数千年遅れて独自に農耕・家畜化の始まった東アジアに関しては、これらの時代の人類の古代DNAの解析例が少なく、新石器時代への移行に伴う人類集団の遺伝的構成の変遷について、よくわかっていませんでした。そうしたなかで、この研究は7700年前頃の東アジアの2人の女性のDNA解析に成功し、ゲノム規模のデータを得ることに成功しました。これはたいへん重要な成果だと言えるでしょう。
この研究が取り上げたのは、1973年にソ連の研究団により発掘された「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡です。悪魔の門遺跡は、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域に位置します。悪魔の門遺跡では、多くの石器や骨器・住居に用いられたであろう炭化した木材・織物に用いられたであろう植物などとともに、不完全な5体の人骨が発見されています。悪魔の門遺跡の推定年代は9400~7200年前頃です。DNA解析に成功した人骨はいずれも女性の2体で、50代に近い方(悪魔の門1号)が、20代(悪魔の門2号)よりも精度の高いゲノムデータが得られたました。この2人の女性の年代は7700年前頃と推定されています。
この悪魔の門遺跡の女性2人のゲノム規模のデータは、世界各地の現代人集団と比較されました。その結果、この2人の女性と現代人の各地域集団との遺伝的な類似性は、東アジアやシベリアとは高く、東南アジアやアメリカ大陸の先住民ともやや高いものの、南アジア・西アジア・ヨーロッパ・北アフリカとは高くないことが明らかになりました。東アジアの各現代人集団のなかでも、悪魔の門遺跡の女性2人と遺伝的に際立って類似していたのは、悪魔の門遺跡の比較的近くに居住するツングース系のウリチ(Ulchi)集団で、日本人や韓国人もかなり類似している方に入り、たとえばモンゴル人や華北の漢人よりもかなり類似しています。
ウリチ集団における7700年前頃から現代にいたる高い遺伝的継続性は、ヨーロッパのそれとは対照的だ、と強調されています。その理由として、ウリチ集団は近年まで狩猟採集生活様式を長期間維持しており、その地形・気候などの理由で、他集団からの大きな遺伝的影響を受けてこなかったからではないか、と推測されています。東アジアでは、更新世から完新世にいたるまで、ヨーロッパよりも現生人類(Homo sapiens)の遺伝的継続性が高いのかもしれませんが、その証明のためには、まだ古代DNAの解析例が少ないことも否定できません。この研究では、悪魔の門遺跡1号の表現型に関しても報告されています。悪魔の門遺跡1号は、シャベル状切歯で、髪は太く直毛で、目は茶色で、乳糖耐性能力はなく、アルコール分解能力は低くなかったようです。
悪魔の門遺跡1号のミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループは東アジアでよく見られる(現代日本人では最多の割合)D4で、悪魔の門遺跡2号のmtDNAのハプログループは、下位グループにDを含むMと推定されています。この研究は現代日本人の起源論にも言及しており、在来の縄文人と弥生時代以降にユーラシア大陸東部から新たな農耕技術を携えて移住してきた集団との融合により現代日本人が成立した、とする二重構造モデルを支持しています。しかし、日本の農耕集団の起源の解明については、中国の新石器時代人の多くのDNAデータが必要だ、とも指摘されています。なお、縄文人のmtDNAのハプログループについては、D4も見られるものの、一般的なのはN9bとM7aだと指摘されています。また、縄文人は現代東ユーラシア人集団が多様化する前に分岐した、とも指摘されています(関連記事)。
参考文献:
Siska V. et al.(2017): Genome-wide data from two early Neolithic East Asian individuals dating to 7700 years ago. Science Advances, 3, 2, e1601877.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.1601877
しかし、おそらく西アジアから数千年遅れて独自に農耕・家畜化の始まった東アジアに関しては、これらの時代の人類の古代DNAの解析例が少なく、新石器時代への移行に伴う人類集団の遺伝的構成の変遷について、よくわかっていませんでした。そうしたなかで、この研究は7700年前頃の東アジアの2人の女性のDNA解析に成功し、ゲノム規模のデータを得ることに成功しました。これはたいへん重要な成果だと言えるでしょう。
この研究が取り上げたのは、1973年にソ連の研究団により発掘された「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡です。悪魔の門遺跡は、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域に位置します。悪魔の門遺跡では、多くの石器や骨器・住居に用いられたであろう炭化した木材・織物に用いられたであろう植物などとともに、不完全な5体の人骨が発見されています。悪魔の門遺跡の推定年代は9400~7200年前頃です。DNA解析に成功した人骨はいずれも女性の2体で、50代に近い方(悪魔の門1号)が、20代(悪魔の門2号)よりも精度の高いゲノムデータが得られたました。この2人の女性の年代は7700年前頃と推定されています。
この悪魔の門遺跡の女性2人のゲノム規模のデータは、世界各地の現代人集団と比較されました。その結果、この2人の女性と現代人の各地域集団との遺伝的な類似性は、東アジアやシベリアとは高く、東南アジアやアメリカ大陸の先住民ともやや高いものの、南アジア・西アジア・ヨーロッパ・北アフリカとは高くないことが明らかになりました。東アジアの各現代人集団のなかでも、悪魔の門遺跡の女性2人と遺伝的に際立って類似していたのは、悪魔の門遺跡の比較的近くに居住するツングース系のウリチ(Ulchi)集団で、日本人や韓国人もかなり類似している方に入り、たとえばモンゴル人や華北の漢人よりもかなり類似しています。
ウリチ集団における7700年前頃から現代にいたる高い遺伝的継続性は、ヨーロッパのそれとは対照的だ、と強調されています。その理由として、ウリチ集団は近年まで狩猟採集生活様式を長期間維持しており、その地形・気候などの理由で、他集団からの大きな遺伝的影響を受けてこなかったからではないか、と推測されています。東アジアでは、更新世から完新世にいたるまで、ヨーロッパよりも現生人類(Homo sapiens)の遺伝的継続性が高いのかもしれませんが、その証明のためには、まだ古代DNAの解析例が少ないことも否定できません。この研究では、悪魔の門遺跡1号の表現型に関しても報告されています。悪魔の門遺跡1号は、シャベル状切歯で、髪は太く直毛で、目は茶色で、乳糖耐性能力はなく、アルコール分解能力は低くなかったようです。
悪魔の門遺跡1号のミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループは東アジアでよく見られる(現代日本人では最多の割合)D4で、悪魔の門遺跡2号のmtDNAのハプログループは、下位グループにDを含むMと推定されています。この研究は現代日本人の起源論にも言及しており、在来の縄文人と弥生時代以降にユーラシア大陸東部から新たな農耕技術を携えて移住してきた集団との融合により現代日本人が成立した、とする二重構造モデルを支持しています。しかし、日本の農耕集団の起源の解明については、中国の新石器時代人の多くのDNAデータが必要だ、とも指摘されています。なお、縄文人のmtDNAのハプログループについては、D4も見られるものの、一般的なのはN9bとM7aだと指摘されています。また、縄文人は現代東ユーラシア人集団が多様化する前に分岐した、とも指摘されています(関連記事)。
参考文献:
Siska V. et al.(2017): Genome-wide data from two early Neolithic East Asian individuals dating to 7700 years ago. Science Advances, 3, 2, e1601877.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.1601877
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