20万年以上前までさかのぼる大量の黒曜石の長距離移動

 これは2月2日分の記事として掲載しておきます。中期石器時代のアフリカ東部における黒曜石の長距離移動に関する研究(Blegen., 2017)が公表されました。この研究は、一昨年(2015年)4月の古人類学協会の年次総会における報告(関連記事)が元になっています。この研究が分析したのは、ケニアのカプサリン(Kapthurin)層の中期石器時代初期のシビロ学校路遺跡(Sibilo School Road Site)の石器群です。この石器群にはルヴァロワ式尖頭器(Levallois points)など調整石核技法が見られ、典型的な中期石器時代の石器技術の特徴を示しています。

 シビロ学校路遺跡の石器群の43%は黒曜石製です。既知の中期更新世の中期石器時代の遺跡で見られる石器群にしめる黒曜石製の割合と比較すると、43%はかなり高いと言えるようです。黒曜石は化学分析により産地の推定が可能なので、黒曜石製石器の出土地点から産地までの距離を知ることができます。シビロ学校路遺跡の黒曜石は3ヶ所の異なる供給源に由来し、それぞれ遺跡から25km・140km・166kmの場所に位置しています。このうち、シビロ学校路遺跡の黒曜石の大部分は、遺跡から最も離れた供給源である、遺跡の南方166kmにあるオラギラシャ(Olagirasha)に由来します。凝灰岩のテフラ層序解析から、シビロ学校路遺跡の年代は新しくとも中期更新世の20万年前頃までさかのぼる、と推定されています。

 この研究は、大量の黒曜石が166kmも離れた場所から輸送されるような事象は中期更新世の既知の遺跡では見られず、これに匹敵する遺跡が見られるのは、「GvJm-16」遺跡(関連記事)といった後期更新世となる5万年前頃のアフリカ東部の中期石器時代にまでくだる、とその意義を強調しています。問題は、これが狩猟採集民の移動に伴うものなのか、それとも人類集団間の相互作用によるものなのか、ということです。この研究は、更新世の狩猟採集民の移動範囲は半径約40kmとされているものの、アフリカの赤道付近ではもっと狭くなるかもしれない、との指摘もあることなどから、シビロ学校路遺跡で見られる大量の黒曜石の移動は集団間の輸送によるものだろう、と推測しています。

 次に問題となるのは、中期更新世においてこのような大量の黒曜石の移動は例外的だったのか、一定以上の頻度で行なわれていたのか、ということです。現時点では、シビロ学校路遺跡の水準に匹敵するような事例は確認されていませんが、アフリカ東部の中期更新世の中期石器時代の遺跡の少なさや同時代の他の遺跡での黒曜石の使用例から、シビロ学校路遺跡の事例は一般的だったのではないか、との見解をこの研究は提示しています。

 この見解が妥当だとすると、人類集団間の長距離の物質輸送は、遅くとも20万年前までにはアフリカ東部で珍しくなかったことになります。こうした広範な社会的ネットワークは、「現代的行動」の一例とされています。この研究は、「現代的行動」のいくつかの側面が現生人類(Homo sapiens)の出現と同時期かそれ以前に始まった可能性を示唆しています。おそらく、現生人類の重要な特徴は短期間に一括して出現したのではないでしょうから、現代人的な認知能力(の一部)と解剖学的特徴の出現時期に違いがあっても不思議ではない、と思います。この研究は、現生人類や「現代的行動」の起源をめぐる議論でも注目されるべきだと思います。


参考文献:
Blegen N.(2017): The earliest long-distance obsidian transport: Evidence from the ∼200 ka Middle Stone Age Sibilo School Road Site, Baringo, Kenya. Journal of Human Evolution, 103, 1–19.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2016.11.002

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