さかのぼるチベット高原高地帯の人間の定住年代
これは1月7日分の記事として掲載しておきます。チベット高原高地帯の人間の定住年代に関する研究(Meyer et al., 2017)が報道されました。チベット高原高地帯における人間の永続的な定住年代については、農耕の始まった3600年前頃以降(関連記事)ではないか、と考えられてきました。この研究は、1998年にチベット高原中央のチュサン(Chusang)村近くで発見された人間の手形や足跡の年代について報告し、チベット高原高地帯への人間の永続的な居住はじゅうらいの推定よりも少なくとも数千年はさかのぼりそうだ、との見解を提示しています。このチュサン遺跡は海抜約4270mに位置します。
人間の手形や足跡が発見された堆積層の年代測定の結果、下限年代はウラン-トリウム法による7400年前頃、上限年代は放射性炭素年代測定法による較正年代で12670~8200年前頃と推定されました。さらに、チベット高原低地環境とチュサン遺跡との距離が、ヒマラヤ山脈を通過して少なくとも368kmとなることから、チュサン遺跡は季節単位で利用されるような一時的なベースキャンプではなく、年間を通じて人間が居住していたのではないか、との見解が提示されています。この研究は、チベット高原高地帯における人間の永続的な居住は農耕開始の数千年以上前になる、とチュサン遺跡の意義を指摘しています。
またこの研究は、チベット高原高地帯への人間の永続的な居住は農耕開始の数千年以上前になる、との新見解は遺伝学的研究とも一致している、と指摘しています。さらにこの研究は、現生人類(Homo sapiens)の高地帯への進出・適応についても言及しています。現生人類の高地帯への進出・適応は、たとえばチベット高原と南アメリカ大陸のアンデス高地のように、生理的・遺伝的・文化的側面において地域間で異なるものだったのではないか、というわけです。現生人類の高地帯への適応は多様なものであり、その柔軟性が現生人類の世界各地への拡散を可能としたのでしょう。
参考文献:
Meyer MC. et al.(2017): Permanent human occupation of the central Tibetan Plateau in the early Holocene. Science, 355, 6320, 64-67.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aag0357
人間の手形や足跡が発見された堆積層の年代測定の結果、下限年代はウラン-トリウム法による7400年前頃、上限年代は放射性炭素年代測定法による較正年代で12670~8200年前頃と推定されました。さらに、チベット高原低地環境とチュサン遺跡との距離が、ヒマラヤ山脈を通過して少なくとも368kmとなることから、チュサン遺跡は季節単位で利用されるような一時的なベースキャンプではなく、年間を通じて人間が居住していたのではないか、との見解が提示されています。この研究は、チベット高原高地帯における人間の永続的な居住は農耕開始の数千年以上前になる、とチュサン遺跡の意義を指摘しています。
またこの研究は、チベット高原高地帯への人間の永続的な居住は農耕開始の数千年以上前になる、との新見解は遺伝学的研究とも一致している、と指摘しています。さらにこの研究は、現生人類(Homo sapiens)の高地帯への進出・適応についても言及しています。現生人類の高地帯への進出・適応は、たとえばチベット高原と南アメリカ大陸のアンデス高地のように、生理的・遺伝的・文化的側面において地域間で異なるものだったのではないか、というわけです。現生人類の高地帯への適応は多様なものであり、その柔軟性が現生人類の世界各地への拡散を可能としたのでしょう。
参考文献:
Meyer MC. et al.(2017): Permanent human occupation of the central Tibetan Plateau in the early Holocene. Science, 355, 6320, 64-67.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aag0357
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