Robin Dunbar『人類進化の謎を解き明かす』

 ロビン=ダンバー(Robin Dunbar)著、鍛原多惠子訳、真柴隆弘解説で、インターシフトより2016年6月に刊行されました。原書の刊行は2014年です。著者は「ダンバー数」で有名であり、本書でも、時間収支モデルとダンバー数を導く社会脳仮説に基づき、人類の進化を解明していきます。時間収支モデルとは、摂食・移動・休息・社会的関係の形成(社交)といった主要な活動に霊長類がどう時間を配分するのか、その身体的特徴と環境(集団規模といった社会環境も含まれます)から予測する方法です。社会脳仮説では、脳の大きさから社会集団の規模を予測できる、とされます。

 本書は、第1章で人類の進化について簡潔に解説した後、第2章と第3章で時間収支モデルと社会脳仮説について解説します。本書は第1章にて、人類史には大きく5度の画期があった、と指摘しています。第1期は直立二足歩行の確立で、アウストラロピテクス属の出現までが対象となります。この時期には、脳容量や認知に重大な変化があった証拠はない、とされます。第2期は180万年前頃で、(異論の余地のほとんどない)ホモ属が出現して、脳容量が増大します。第3期は60万~50万年前頃で、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)が出現し、さらに脳容量が増大します。第4期は20万年前頃で、解剖学的現代人(Homo sapiens)が出現し、脳のサイズがさらに大きくなります。第5期は12000~8000年前頃の新石器革命で、まず西アジアにおいて定住と農耕が始まりますが、本書は定住の方が真の革命だった、との見解を提示しています。第4章以降では、第1期~第5期がそれぞれ解説されていきます。

 第1章で提示される人類進化史の概説は、引っかかるところもあるものの、全体的には妥当なものになっていると思います。現生人類(Homo sapiens)の西ヨーロッパへの到達がわずか32000年ほど前だったとされていることや(現時点では、4万年以上前までさかのぼる、との見解が有力だと思います)、20万年前頃にアフリカに出現した解剖学的現代人はあっという間に「旧人」と置換したとの見解(アフリカでも現生人類と非現生人類の人類系統との更新世後期の交雑の可能性が指摘されています)や、遺伝学的研究により、大型類人猿系統(ヒト科)における人類位置づけに大きな変更がもたらされたのは1980年代(じっさいには1960年代)との認識が、やや気にかかるところです。

 第2章は霊長類社会の一般的原理についての解説で、人類もその例外ではない、と指摘されています。霊長類においては、社会集団の規模が大きくなるにつれてメスはストレスにさらされていき、オスは他の同性との競争に明け暮れるようになります。人類史においては、この問題との関連で脳の大きさと時間収支が鍵となり、それについては霊長類全般を対象として第3章で解説されます。

 霊長類において、親密な関係を築いて維持できる集団(の最大)規模は脳の大きさというか、新皮質比、とくに前頭葉比と相関しており、現代人の場合は150人程度とされます。集団規模を決定する直接的要因として社交があり、集団規模が大きくなると、摂食のための移動に費やす時間が増え、社交の時間が減少するので、集団規模には限界があります。摂食のための移動時間は食性とも関連しており、人間も含めて類人猿は未熟な果実を消化できないので、他の霊長類よりも長くなります。チンパンジーは、摂食のさいに小集団に分かれて移動することで、摂食のための移動時間を節約しています。この食性の制限は、たとえばヒヒなど他の霊長類と比較して類人猿の生息地を限定するため、中新世後期以降、類人猿は他の霊長類よりも衰退する傾向にありました。また、生息域を制限する条件として、捕食者の存在も指摘されています。

 そうした衰退傾向の中で例外となったのが人類系統で、その初期から、チンパンジーやゴリラといった現生アフリカ類人猿よりも広範な地域に拡散していました。初期人類はどのようにして広範な地域に拡散していったのか、という問題を考察するのが第4章です。アウストラロピテクス属の脳サイズはチンパンジーとさほど変わらなかったので、集団規模もさほど変わらず、摂食・休息の時間配分が違っていたのではないか、と本書は推測します。その要因として本書は、アウストラロピテクス属の歩行形態が直立二足歩行だったことを挙げています。直立二足歩行により、消費エネルギーが低下して移動能力を高めるとともに、冷却効果を高めた可能性を指摘しています。もっとも、冷却効果については、見直す見解があることも提示されています。また本書は、アウストラロピテクス属において食性が変わり、骨髄や根菜類といった、より効率的に消化できたり栄養価が高かったりするものを食べ始めたことで、摂食時間が減少した可能性も提示しています。アウストラロピテクス属は、その化石が湖や川の近くで発見されることから、草原地帯では植生の豊かな地域において、根菜類(や時として骨髄など)を新たな食資源とすることにより、チンパンジーと同程度の規模の共同体を、チンパンジーとは異なり離合集散することなく維持したのではないか、と推測しています。アウストラロピテクス属の社会構造については、同位体分析でメスの方の移動距離が長かったと推測されること(関連記事)や、チンパンジー以上の性差などから、ゴリラのようなハーレム型の多婚だった可能性が指摘されています。もっとも、アウストラロピテクス属でもアファレンシス(Australopithecus afarensis)の性差については、現代人とさほど変わらない、との見解も提示されています(関連記事)。

 第5章では異論の余地のないホモ属出現の意義が解説されています。本書では、まだホモ属に分類する見解の根強いハビリス(Homo habilis)は、アウストラロピテクス属に分類されています。ホモ属の脳と身体は(おそらくはその祖先系統だったであろう)アウストラロピテクス属よりもかなり大きくなっています。その分、必要なカロリーも増大し、より大きな共同体を形成するようになったと思われることから、摂食と社交の時間をどう捻出したのか、あるいは効率化したのか、という問題が生じます。本書はホモ属の直面したこれらの問題への可能性の高い解決策として、直立二足歩行に特化したことによる移動能力の向上と、毛づくろいより効率的な笑いという社交を挙げています。調理については、初期ホモ属の時点では習慣的な火の使用の証拠がないので、脳や身体の大型化に強い影響を及ぼさなかっただろう、と指摘されています。初期ホモ属の脳の巨大化の要因としては、捕食者もしくは同種からの圧力の可能性が提示されています。また、初期ホモ属の性差も現代人より大きいことから、社会構造としては多婚形態が想定されています。

 第6章では「旧人」の出現が解説されています。原書を読んでいないので断定はできませんが、おそらく本書の「旧人」は「archaic humans」の訳語であり、「猿人→原人→旧人→新人」という日本でお馴染みの人類進化の枠組みにおける「旧人」の原語である「Paleanthropine」が原書で用いられているわけではない、と思います。この第6章に限りませんが、本書の全体的な傾向として気になるのは、アフリカからユーラシアまで広く拡散したホモ属を、同じ分類群として扱っていることです。第6章では、60万年前頃にアフリカに突如として出現したハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)が、急速に西アジアとヨーロッパに拡散した、とされます。しかし、この時期にアフリカからユーラシアの広範な地域に存在したホモ属が、それほどの近縁な関係にあったのか、確証はないと思います。本書は、この「旧人」段階で脳容量の増大が確認される、と指摘します。本書は、これを可能とした一因として、調理による効率的な摂食を挙げており、この頃より火の習慣的な使用の証拠が確認されることをその傍証としています。また本書は、調理とその後の食事や音楽が社交の効率を高めたことも指摘しています。社会脳仮説では、脳容量の増大は集団規模の拡大につながりますが、ここで重要なのは、単なる脳容量の増大ではなく新皮質、とくに前頭葉のサイズです。本書は、高緯度地帯で進化したネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)においては視覚野が大きくなったのであり、前頭葉はさほど大きくならなかったことから、ネアンデルタール人とハイデルベルゲンシスの共同体の規模は110人程度で変わらず、75人程度の初期ホモ属よりは大きかったものの、150人の現生人類よりも小さかったのではないか、との見解を提示しています。ただ、ネアンデルタール人の視覚野が現生人類よりも発達していた、との見解にはまだ議論の余地があるようです(関連記事)。

 第7章では現生人類の拡散が検証されています。20万年前頃に出現した現生人類の脳は10万年前頃に突如として大きくなり、前頭葉が大きくなったために共同体の規模も拡大した、と本書は主張します。しかし、10万年前頃に現生人類の脳がとつじょとして大きくなったと言えるのか、化石証拠は少ないわけですから、かなり疑問の残るところです。現生人類の共同体はそれまでの人類よりも大規模で、それを支えたのは発達した言語能力ではないか、との見解を本書は提示しています。本書は、ネアンデルタール人にも言語能力があったことを認めつつ、それが現生人類ほど複雑ではなく、社交の効率という点でも現生人類より劣っていたのではないか、と指摘しています。また、火の効率的な使用は現生人類の活動時間を長くしたのではないか、とも推測しています。全体的に本書は、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向にあり、確かに両者の間で認知能力に何らかの違いがあった可能性は高いのでしょうが、本書はやや強調しすぎているようにも思います。

 第8章では言語の意義が検証されています。本書は、言語が技術に関わる情報の交換のためではなく、小規模で排他的な共同体の形成のために進化した、との見解を提示しており、その根拠として、言語が急速に変化していき、地理的にも時間的にも細分化された方言が乱立していくことを挙げています。また本書は、言語が笑いをいっそう効果的にしたことも指摘しています。親族名称体系は生物学では説明できない、とする(一部?の)人類学者の見解にたいして、生物学的な血縁関係にほぼ準じるのであり、血縁淘汰によって生まれる、との見解が提示されているのも注目されます。本書は、言語と宗教により、現生人類において初めて、文化・道徳観の共有に基づく150人の規模を超える延長された社会ネットワークが形成・維持されたと論じ、これがネアンデルタール人との競争における現生人類の勝利の根本的要因になった可能性を指摘しています。また、宗教に健康上の利点はないとの見解は、教理宗教の高度な概念のみに着目しているからで、祝祭などの宗教的経験による利点が無視されているからではないか、との見解も注目されます。

 第9章では、新石器時代の大きな変化が検証されています。新石器時代には150人を大きく超えるような規模の集落が形成されていきます。集住によるストレスは大きな問題になったはずだ、と本書は指摘します。本書は、新石器時代の大きな変化としては、農耕よりも定住の方が重要だった、と指摘します。それは、農耕開始の前に定住が始まっているという考古学的成果と、農耕は定住により生じた問題にたいする比較的容易な解決策の一つだった、との認識に基づいています。本書は、大規模な集住を可能とした要因として、シャーマニズム宗教から教理宗教への転換を挙げています。これにより、拡張された共同体への帰属意識が醸成されていきました。しかし本書は、教理宗教もシャーマニズム宗教の影響から完全に脱することはできず、言語と同様に、分離拡散していく傾向が強く見られる、とも指摘しています。人類史における単婚(一夫一婦制)と多婚という問題も改めて検証されており、人類史においては類人猿に似た多婚の時期が長く、「旧人」もしくは初期ホモ属以降は、ゴリラに似た単婚寄りの一夫多妻制となり、現生人類において初めて、やや強力な単婚に移行したものの、完全な単婚とも、種全体の特徴とも言い難い、というのが本書の見解です。

 本書は時間収支モデルと社会脳仮説に基づく人類進化史になっており、得るところが多々ありました。たいへん有益な一冊になっていると思います。ただ、全体的に理論というか手法を用いての人類進化史の検証で、演繹的なところがあるので、そのまま受け入れるのではなく、今後も詳細な検証が必要でしょう。本書の見解で修正される点も今後出てくるでしょうが、それでも、本書が提示した見解は検証に値する重要な者であり、本書の意義は大きいと思います。


参考文献:
Dunbar R.著(2016)、鍛原多惠子訳、真柴隆弘解説『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト、原書の刊行は2014年)

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