さかのぼるオーストラリア内陸部への人類の移住(追記有)

 これは11月6日分の記事として掲載しておきます。オーストラリア内陸部の乾燥地帯への人類の進出に関する研究(Hamm et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。人類は4万年前頃までにオーストラリア(更新世の寒冷期にはニューギニアやタスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)へと初めて移住し、オーストラリアに存在した人類は現生人類(Homo sapiens)のみと考えられています。この研究は、オーストラリア内陸部の乾燥地帯に人類が初めて進出した時期について、南部のワラティ(Warratyi)岩陰遺跡の証拠から検証しています。なお、この研究の放射性炭素年代は、すべて較正されています。

 ワラティ遺跡では、人類の痕跡のある最下層の第4層において、放射性炭素年代で48200年前頃と47300年前頃となる大型鳥(Genyornis)の卵殻や、49200~46300年前頃となるエミューの卵殻が発見されています。第4層では、巨大な有袋類であるディプロトドン(Diprotodon optatum)の骨の断片も発見されています。また、オーカーの使用も第4層で確認されています。第4層で得られた単一粒光刺激ルミネセンス(Single grain optically stimulated luminescence)年代は42800±2400年前です。その上の第3層では、放射性炭素年代で41000~38700・40600~38500・39900~38500・37300~35400年前頃となるエミューの卵殻が発見されています。第3層では40500±2200年前という単一粒光刺激ルミネセンス年代が得られています。この第3層では、柄のついた剥片と石膏の顔料と骨角器が発見されています。

 この研究はこうした証拠から、オーストラリア内陸部の乾燥地帯への人類の進出は、オーストラリアへの進出から数千年以内だっただろう、と指摘しています。またこの研究は、オーストラリア内陸部の乾燥地帯において、オーカーは49000~46000年前頃、石膏の顔料は40000~33000年前頃、骨角器は40000~38000年前頃、柄のついた道具は38000~35000年前頃には使用が始まっていたと推定し、これらの年代はオーストラリアや東南アジアにおけるじゅうらいの推定出現年代よりも1万年さかのぼると指摘して、オーストラリアにおいて重要な技術革新がじゅうらいの想定よりもずっと早かった、とその意義を強調しています。

 本論文の執筆者の一人であるプリドー(Gavin J. Prideaux)博士は、オーストラリアにおける後期更新世の大型動物の大量絶滅との関係について言及しています。この大量絶滅については、環境説と人為説が提示されていますが(関連記事)、ワラティ遺跡では絶滅したディプロトドンや大型鳥の卵殻が発見されていることから、人類がこれら絶滅大型動物を狩っていたことは確実だ、とプリドー博士は指摘しています。あるいは、これら大型動物は、気候変動で衰退していたところに人類がオーストラリアへと進出してきたことで絶滅したのかもしれず、人為的要因だけでその絶滅を説明できないかもしれませんが、オーストラリアにおける後期更新世の大型動物の絶滅に人類が関与していたこと自体は間違いないのでしょう。


参考文献:
Hamm G. et al.(2016): Cultural innovation and megafauna interaction in the early settlement of arid Australia. Nature, 539, 7628, 280–283.
http://dx.doi.org/10.1038/nature20125


追記(2016年11月10日)
 論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



環境科学:オーストラリア乾燥地帯の初期定住における文化的革新および大型動物相との相互作用

環境科学:オーストラリア内陸の乾燥地帯に最初に踏み入った人類の痕跡

 現生人類は、5万年前にはオーストラリアに到達していた。しかし、こうした初期の移住者たちが、地球上で最も乾燥した大陸の中でもより乾燥した内陸部での暮らしを可能にする高度な技術を備えていたのかどうか、備えていたとすればそれをいつ編み出したのかについては、いくらか疑問視されてきた。だがその答えは、そうした技術は確かに存在し、しかも短期間で開発された、というものだったようだ。G Hammたちは今回、南オーストラリア州フリンダース山脈の岩窟住居で発見された、約4万9000年前というオーストラリア内陸の乾燥地帯における既知で最古の人類定住例を報告している。この遺跡の岩石に見られる層状構造からは、骨角器やナイフ形石器、赤土および石膏といった顔料などの技術の、オーストラリアにおける最古の使用例を示す痕跡が発見された。この遺跡にはまた、大型有袋類ディプロトドン(Diprotodon optatum)の存在を示す証拠、および巨大な鳥類ゲニオルニス(Genyornis newtoni)のものと思われる卵殻も保存されている。これらは、4万6000年以上前の人工物を伴って見つかった、年代が確実で層状のものとしてはオーストラリアの絶滅大型動物相の唯一の記録である。

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