夏目琢史『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』
これは11月30日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2016年10月に刊行されました。来年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の予習になると思い、読んでみました。本書は、第一章で井伊直虎(次郎法師)の生涯と井伊氏の動向について解説し、第二章で直虎の正体というか、歴史的位置づけを解明しようと試みています。井伊直虎についても、井伊直政の登場前の井伊氏についてもほとんど知識がなかったので、基礎知識を得ようという目的もありました。
第一章を読むと、直虎についても、その時期までの井伊氏についても、よく分からないことがまだ多いようで、今後の研究の進展が期待されます。直政登場前の井伊氏は、一族が上位権力の今川氏に処刑されたり、当主が戦死したりと、厳しい状況のなか何とか生き延びてきたようで、そうした中で直虎の人生も翻弄されたようです。本書によると、後世の記録では、井伊氏の重臣である小野氏が井伊氏の一族を陥れたり、所領を横領したりと、悪役として描かれているようですが、もちろん本書も指摘するように、実際のところはどうだったのか、よく分かりません。本書は、井伊氏内部の微妙な対抗関係が要因ではないか、と推測していますが、来年の大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。
第一章を踏まえたうえで展開される第二章には、率直に言ってかなり困惑させられました。本書は、「山の民」・「未開」と「都市」・「文明」というように、二項対立的に中世社会を把握し、後者が前者を圧倒していき、近世社会が成立した、という見通しを提示しています。本書は、井伊氏は「山の民」を統率する有力な一族だったものの、「都市」・「文明」が次第に優位に立つ時代のなか、「都市」・「文明」の側の今川氏に従属するものの、「山の民」としての誇り・拘りも依然として強く、それが内紛の要因になったのではないか、と推測しています。
本書は、「山の民」・「未開」が「都市」・「文明」に従属する形で融合していく時代の大きな流れに直虎を位置づけ、直虎はこの転換期の象徴的人物だった、と把握しています。正直なところ、「山の民」は母系制社会で、井伊氏もそうした背景のなかで存続してきた、との見解も含めて、第二章の説得力は乏しかったように思います。もっとも、私の現在の見識と気力では、本書の問題点を的確かつ簡潔に述べることは無理なので、素朴な感想を述べることしかできませんが。率直に言って、本書はかなり期待外れの一冊でした。
第一章を読むと、直虎についても、その時期までの井伊氏についても、よく分からないことがまだ多いようで、今後の研究の進展が期待されます。直政登場前の井伊氏は、一族が上位権力の今川氏に処刑されたり、当主が戦死したりと、厳しい状況のなか何とか生き延びてきたようで、そうした中で直虎の人生も翻弄されたようです。本書によると、後世の記録では、井伊氏の重臣である小野氏が井伊氏の一族を陥れたり、所領を横領したりと、悪役として描かれているようですが、もちろん本書も指摘するように、実際のところはどうだったのか、よく分かりません。本書は、井伊氏内部の微妙な対抗関係が要因ではないか、と推測していますが、来年の大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。
第一章を踏まえたうえで展開される第二章には、率直に言ってかなり困惑させられました。本書は、「山の民」・「未開」と「都市」・「文明」というように、二項対立的に中世社会を把握し、後者が前者を圧倒していき、近世社会が成立した、という見通しを提示しています。本書は、井伊氏は「山の民」を統率する有力な一族だったものの、「都市」・「文明」が次第に優位に立つ時代のなか、「都市」・「文明」の側の今川氏に従属するものの、「山の民」としての誇り・拘りも依然として強く、それが内紛の要因になったのではないか、と推測しています。
本書は、「山の民」・「未開」が「都市」・「文明」に従属する形で融合していく時代の大きな流れに直虎を位置づけ、直虎はこの転換期の象徴的人物だった、と把握しています。正直なところ、「山の民」は母系制社会で、井伊氏もそうした背景のなかで存続してきた、との見解も含めて、第二章の説得力は乏しかったように思います。もっとも、私の現在の見識と気力では、本書の問題点を的確かつ簡潔に述べることは無理なので、素朴な感想を述べることしかできませんが。率直に言って、本書はかなり期待外れの一冊でした。
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