ドマニシ遺跡の初期ホモ属に関する会議
ジョージア(グルジア)にあるドマニシ遺跡の初期ホモ属(ドマニシ人)に関する会議についての報告(Gibbons., 2017)が公表されました。この会議は、今年(2016年)9月20日~24日にかけてジョージアのトビリシで開催されました。ドマニシ人については、以前にもこのブログでまとめたことがあります(関連記事)。ドマニシ遺跡においては、185万~176万年前頃の層で、大量の石器とともに初期ホモ属化石が発見されています。また、剣歯虎・エトルリア狼ハイエナといった動物の骨も発見されています。ドマニシ遺跡は、年代の確実なアフリカ外の人類の痕跡として最古になるため、たいへん注目されています。
ドマニシ人の発見まで、人類の出アフリカは異論の余地のないホモ属であるエレクトス(Homo erectus)になってからで、大きな脳と技術革新が必要だった、と考えられてきました。なお、アフリカの初期エレクトスをエルガスター(Homo ergaster)と分類する見解も提示されています。技術革新とは、伝統的な石器製作技術の区分(関連記事)では様式2(Mode 2)となるアシューリアン(Acheulian)のことで、176万年前頃までにアフリカ東部において(おそらくはエレクトスにより)開発されました(関連記事)。様式2を代表する石器は握斧(hand axe)です。
しかし、ドマニシ人は脳容量が最大でもが730㎤程度で、その1個体のみがエレクトスの範囲に収まり、脳容量が546㎤の個体も存在します。また、ドマニシ遺跡では15000個以上の石器の剥片・石核が発見されていますが、いずれも様式1(Mode 1)に区分されているオルドワン(Oldowan)石器でした。これに関しては、少なくとも現時点では、ドマニシ遺跡の人類最古の痕跡よりも後に最古のアシューリアン石器が発見されているので、とくに不思議ではないでしょう。また、技術革新については、ドマニシ遺跡では火の使用が確認されていないことも指摘されています。脳容量がエレクトスよりも小さく、石器製作技術も様式2ではなく様式1しか見られないドマニシ人の発見により、人類最初の出アフリカについて再考が必要になったとともに、ドマニシ人の人類進化史における位置づけについて、議論が活発になりました。この会議では、多くの興味深い研究が報告されており、以下に記載していきます。
2014年には、ドマニシ遺跡で4個の頭蓋を含む50個の人骨が発見されていますが、まだ論文としては公表されていないそうです。
ドマニシ人は、ナッツなどの植物だけではなく、動物も食べていました。しかし、ドマニシ人の骨の分析から、ドマニシ人が肉食獣の犠牲になったことも明らかになっています。
ドマニシ人の歯の健康状態は、グリーンランドやオーストラリアの現代の採集者と比較すると悪かったようです。ドマニシ人の1個体の歯には空洞や歯の密集や形成不全が見られ、子供の時点で栄養不良か病気のために歯のエナメル質の成長が止まったことを示しています。別の個体は深刻な歯の感染症に苦しみ、顎骨が損傷しており、それが死因となったかもしれません。歯の摩耗からは、歯が道具として用いられた可能性が提示されています。
ドマニシ遺跡のオルドワン石器は50種類の異なる石材から製作されており、ドマニシ人はとくに石材を選択せず、あらゆる石材を用いていたようです。これは、後のホモ属との認知能力の違いを示しているかもしれません。峡谷の入口では大量の石が発見されており、ドマニシ人が動物に投石して逃げるか、投石により動物を狩っていた可能性が指摘されています。
エレクトスが最初の出アフリカ人類だと考えられていた時、エレクトスは獲物を追って出アフリカを果たした、と推測されていました。しかし、ドマニシ遺跡の動物の骨17000個の分析から、それらはユーラシア種でありアフリカ種ではないことが明らかになりました。人類は新たな地域への進出により、人類を恐れていない動物を狩ることが可能になったのではないか、と指摘されています。これは、現生人類(Homo sapiens)による人類未踏の地だったオーストラリア大陸やアメリカ大陸への進出のさいに、動物の大量絶滅が起きたこととも関連しているのでしょう。
ドマニシ人の祖先集団の出アフリカの経路に関しては、手がかりがほとんど得られていないようです。そうした中で、重要な手がかりとなりそうなのが、アルジェリア北東部の高原地帯にあるアインブーシェルト(Ain Boucherit)で発見された、石器と解体痕(cut marks)のある骨で、年代は220万年前頃となります。この頃までには、人類はサハラ砂漠を横断したことになります。
ドマニシ人の分類については、ホモ属という点では一致しているものの、まだ見解は一致していません。当初はエレクトスと分類されましたが、その祖先的特徴から、最初期のホモ属(アウストラロピテクス属に分類する見解もあります)であるハビリス(Homo habilis)や、新たな区分であるゲオルギクス(Homo georgicus)とも分類されました。ドマニシ人の頭蓋の再分析から、脳容量が546㎤の個体はハビリスと密接に関連している、と指摘されています。爪先の骨の分析からは、ドマニシ人が現代人のようには歩いていなかった可能性が提示されています。
こうした祖先的特徴の多さから、ドマニシ人をエレクトスではなくハビリスと分類する見解も提示されているわけですが、ドマニシ人の頭蓋と歯の口蓋の形状は多くがエレクトスと合致します。ドマニシ人の小さな体格と頭蓋はハビリスと合致しますが、ドマニシ人の比較的長い脚と現代人的な身体比は、エレクトスとの類似性を示しています。こうしたことから、ドマニシ人をハビリスからエレクトスへと進化する初期過程の分類群と位置づける見解も提示されています。ドマニシ人が東南アジアのエレクトスの祖先集団だった可能性も提示されており、人類進化史の研究において重要な手がかりを提供しているドマニシ人についての今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Gibbons A.(2016): The wanderers. Science, 354, 6315, 958-961.
http://dx.doi.org/10.1126/science.354.6315.958
ドマニシ人の発見まで、人類の出アフリカは異論の余地のないホモ属であるエレクトス(Homo erectus)になってからで、大きな脳と技術革新が必要だった、と考えられてきました。なお、アフリカの初期エレクトスをエルガスター(Homo ergaster)と分類する見解も提示されています。技術革新とは、伝統的な石器製作技術の区分(関連記事)では様式2(Mode 2)となるアシューリアン(Acheulian)のことで、176万年前頃までにアフリカ東部において(おそらくはエレクトスにより)開発されました(関連記事)。様式2を代表する石器は握斧(hand axe)です。
しかし、ドマニシ人は脳容量が最大でもが730㎤程度で、その1個体のみがエレクトスの範囲に収まり、脳容量が546㎤の個体も存在します。また、ドマニシ遺跡では15000個以上の石器の剥片・石核が発見されていますが、いずれも様式1(Mode 1)に区分されているオルドワン(Oldowan)石器でした。これに関しては、少なくとも現時点では、ドマニシ遺跡の人類最古の痕跡よりも後に最古のアシューリアン石器が発見されているので、とくに不思議ではないでしょう。また、技術革新については、ドマニシ遺跡では火の使用が確認されていないことも指摘されています。脳容量がエレクトスよりも小さく、石器製作技術も様式2ではなく様式1しか見られないドマニシ人の発見により、人類最初の出アフリカについて再考が必要になったとともに、ドマニシ人の人類進化史における位置づけについて、議論が活発になりました。この会議では、多くの興味深い研究が報告されており、以下に記載していきます。
2014年には、ドマニシ遺跡で4個の頭蓋を含む50個の人骨が発見されていますが、まだ論文としては公表されていないそうです。
ドマニシ人は、ナッツなどの植物だけではなく、動物も食べていました。しかし、ドマニシ人の骨の分析から、ドマニシ人が肉食獣の犠牲になったことも明らかになっています。
ドマニシ人の歯の健康状態は、グリーンランドやオーストラリアの現代の採集者と比較すると悪かったようです。ドマニシ人の1個体の歯には空洞や歯の密集や形成不全が見られ、子供の時点で栄養不良か病気のために歯のエナメル質の成長が止まったことを示しています。別の個体は深刻な歯の感染症に苦しみ、顎骨が損傷しており、それが死因となったかもしれません。歯の摩耗からは、歯が道具として用いられた可能性が提示されています。
ドマニシ遺跡のオルドワン石器は50種類の異なる石材から製作されており、ドマニシ人はとくに石材を選択せず、あらゆる石材を用いていたようです。これは、後のホモ属との認知能力の違いを示しているかもしれません。峡谷の入口では大量の石が発見されており、ドマニシ人が動物に投石して逃げるか、投石により動物を狩っていた可能性が指摘されています。
エレクトスが最初の出アフリカ人類だと考えられていた時、エレクトスは獲物を追って出アフリカを果たした、と推測されていました。しかし、ドマニシ遺跡の動物の骨17000個の分析から、それらはユーラシア種でありアフリカ種ではないことが明らかになりました。人類は新たな地域への進出により、人類を恐れていない動物を狩ることが可能になったのではないか、と指摘されています。これは、現生人類(Homo sapiens)による人類未踏の地だったオーストラリア大陸やアメリカ大陸への進出のさいに、動物の大量絶滅が起きたこととも関連しているのでしょう。
ドマニシ人の祖先集団の出アフリカの経路に関しては、手がかりがほとんど得られていないようです。そうした中で、重要な手がかりとなりそうなのが、アルジェリア北東部の高原地帯にあるアインブーシェルト(Ain Boucherit)で発見された、石器と解体痕(cut marks)のある骨で、年代は220万年前頃となります。この頃までには、人類はサハラ砂漠を横断したことになります。
ドマニシ人の分類については、ホモ属という点では一致しているものの、まだ見解は一致していません。当初はエレクトスと分類されましたが、その祖先的特徴から、最初期のホモ属(アウストラロピテクス属に分類する見解もあります)であるハビリス(Homo habilis)や、新たな区分であるゲオルギクス(Homo georgicus)とも分類されました。ドマニシ人の頭蓋の再分析から、脳容量が546㎤の個体はハビリスと密接に関連している、と指摘されています。爪先の骨の分析からは、ドマニシ人が現代人のようには歩いていなかった可能性が提示されています。
こうした祖先的特徴の多さから、ドマニシ人をエレクトスではなくハビリスと分類する見解も提示されているわけですが、ドマニシ人の頭蓋と歯の口蓋の形状は多くがエレクトスと合致します。ドマニシ人の小さな体格と頭蓋はハビリスと合致しますが、ドマニシ人の比較的長い脚と現代人的な身体比は、エレクトスとの類似性を示しています。こうしたことから、ドマニシ人をハビリスからエレクトスへと進化する初期過程の分類群と位置づける見解も提示されています。ドマニシ人が東南アジアのエレクトスの祖先集団だった可能性も提示されており、人類進化史の研究において重要な手がかりを提供しているドマニシ人についての今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Gibbons A.(2016): The wanderers. Science, 354, 6315, 958-961.
http://dx.doi.org/10.1126/science.354.6315.958
この記事へのコメント