吉田裕『昭和天皇の終戦史』第5刷
これは11月15日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より1993年12月に刊行されました。第1刷の刊行は1992年12月です。昭和天皇についての研究は本書刊行後にかなり進展しているでしょうから、もっと適当な一般向け書籍があるのではないか、とも思ったのですが、古書店で安い値段にて売られていたので、購入して読んでみました。本書は、平成になってから発見され、大きく報道された「昭和天皇独白録」を徹底的に検証しつつ、第二次世界大戦での敗戦前後の日本の政治状況を、昭和天皇を中心に叙述しています。
本書を読むと、敗戦前後の日本の支配層が国体の護持を至上命題としていた、との印象が強く残ります。そこでは、昭和天皇の退位の是非も、国体護持に有利か否かという観点で語られていました。もちろん、支配層を構成する各個人には保身的な言動も多々見られるわけですが、陸軍を中心としていわば「貧乏籤」を引かされた支配層の人々が、東京裁判や占領軍からの尋問の場などで、自覚的に国体を傷つけるような発言を大々的にすることはなかったようです。とはいえ、そこは生身の人間だけに、恨み言のようなものも見られます。
恨み言めいたものも見られるとはいえ、当時の支配層を律する規範はそこまで強かったということなのでしょうが、これは、日本兵が捕虜になることを躊躇した大きな理由とも通ずる、社会的規範(もちろん、支配層と一般庶民とでは、帰属する社会の様相が異なっているわけですが)というか同調圧力の強さでもあるのでしょう。私のように高度経済成長以降に日本社会に生まれて育った人間には、この国体護持至上主義とでも言うべき観念はなかなか理解しにくいのかもしれませんが、現代でも、自覚しにくいだけでまた別の強力な社会的規範があるのではないか、とも思います。
東京裁判が、占領軍、とくに実質的に単独で日本の占領を担ったアメリカ合衆国の意向だけで進められたのではなく、そこには国体を護持すべく昭和天皇を免責しようとした日本の「穏健派」の意向もかなり取り入れられたことを、本書は指摘します。そうした日本の「穏健派」の意向がアメリカ合衆国の対ソ連強硬派の意向とも合わさり、昭和天皇が免責されるなど、東京裁判には欠けたところが多分にあった、というのが本書の見解です。
また、そうした日本の「穏健派」の意向は、おもにアメリカ合衆国への開戦責任にのみ向けられたものであり、アジアへの戦争責任はそこにはほとんど見られなかったことも、本書は強調しています。こうした日本の「穏健派」の意向は、次第に形成されつつあった冷戦構造の進展にともない、アメリカ合衆国の支配層の意向とも合致していき、東京裁判だけではなく、その後の日本における歴史認識にも大きな影響を及ぼしました。
その歴史認識においては、「穏健派」の代表的存在たる昭和天皇は、平和を志向する君主として描かれました。敗戦前後の昭和天皇は、何よりも国体護持を至上命題とし、自身の在位にもこだわり、側近を中心に支配層の人々と共にさまざまな政治工作に努めました。本書は、「昭和天皇独白録」もこうした文脈で解釈しなければならず、「昭和天皇独白録」は昭和天皇の戦争責任についての「弁明書」であり、そこでの責任とは、アメリカ合衆国にたいするものだった、と指摘します。また本書は、昭和天皇(やその側近集団)と軍部との距離が次第に縮まっていき、対米開戦以降、昭和天皇は近衛文麿などの終戦・戦後構想に冷ややかで、大戦末期まで戦争継続に意欲的だったことを指摘します。
本書は全体として、第二次世界大戦後の日本における戦争責任論の欠落部分の主要な淵源の一つを、この時期の支配層の国体護持活動に強く求めている、との印象を強く受けました。確かに、「穏健派」が戦後日本の保守政治を担っていた、との本書の見通しからしても、それは否定できないところでしょう。本書は全体的に昭和天皇に厳しい評価を下しており、あとがきからは、著者自身も昭和天皇に冷ややかな視線を向けてきたことが窺えます。とはいえ、そこは歴史学の研究者だけあって、全体的には、煽るような文章ではなく抑制的なものとなっており、読みやすいと思います。
本書を読むと、敗戦前後の日本の支配層が国体の護持を至上命題としていた、との印象が強く残ります。そこでは、昭和天皇の退位の是非も、国体護持に有利か否かという観点で語られていました。もちろん、支配層を構成する各個人には保身的な言動も多々見られるわけですが、陸軍を中心としていわば「貧乏籤」を引かされた支配層の人々が、東京裁判や占領軍からの尋問の場などで、自覚的に国体を傷つけるような発言を大々的にすることはなかったようです。とはいえ、そこは生身の人間だけに、恨み言のようなものも見られます。
恨み言めいたものも見られるとはいえ、当時の支配層を律する規範はそこまで強かったということなのでしょうが、これは、日本兵が捕虜になることを躊躇した大きな理由とも通ずる、社会的規範(もちろん、支配層と一般庶民とでは、帰属する社会の様相が異なっているわけですが)というか同調圧力の強さでもあるのでしょう。私のように高度経済成長以降に日本社会に生まれて育った人間には、この国体護持至上主義とでも言うべき観念はなかなか理解しにくいのかもしれませんが、現代でも、自覚しにくいだけでまた別の強力な社会的規範があるのではないか、とも思います。
東京裁判が、占領軍、とくに実質的に単独で日本の占領を担ったアメリカ合衆国の意向だけで進められたのではなく、そこには国体を護持すべく昭和天皇を免責しようとした日本の「穏健派」の意向もかなり取り入れられたことを、本書は指摘します。そうした日本の「穏健派」の意向がアメリカ合衆国の対ソ連強硬派の意向とも合わさり、昭和天皇が免責されるなど、東京裁判には欠けたところが多分にあった、というのが本書の見解です。
また、そうした日本の「穏健派」の意向は、おもにアメリカ合衆国への開戦責任にのみ向けられたものであり、アジアへの戦争責任はそこにはほとんど見られなかったことも、本書は強調しています。こうした日本の「穏健派」の意向は、次第に形成されつつあった冷戦構造の進展にともない、アメリカ合衆国の支配層の意向とも合致していき、東京裁判だけではなく、その後の日本における歴史認識にも大きな影響を及ぼしました。
その歴史認識においては、「穏健派」の代表的存在たる昭和天皇は、平和を志向する君主として描かれました。敗戦前後の昭和天皇は、何よりも国体護持を至上命題とし、自身の在位にもこだわり、側近を中心に支配層の人々と共にさまざまな政治工作に努めました。本書は、「昭和天皇独白録」もこうした文脈で解釈しなければならず、「昭和天皇独白録」は昭和天皇の戦争責任についての「弁明書」であり、そこでの責任とは、アメリカ合衆国にたいするものだった、と指摘します。また本書は、昭和天皇(やその側近集団)と軍部との距離が次第に縮まっていき、対米開戦以降、昭和天皇は近衛文麿などの終戦・戦後構想に冷ややかで、大戦末期まで戦争継続に意欲的だったことを指摘します。
本書は全体として、第二次世界大戦後の日本における戦争責任論の欠落部分の主要な淵源の一つを、この時期の支配層の国体護持活動に強く求めている、との印象を強く受けました。確かに、「穏健派」が戦後日本の保守政治を担っていた、との本書の見通しからしても、それは否定できないところでしょう。本書は全体的に昭和天皇に厳しい評価を下しており、あとがきからは、著者自身も昭和天皇に冷ややかな視線を向けてきたことが窺えます。とはいえ、そこは歴史学の研究者だけあって、全体的には、煽るような文章ではなく抑制的なものとなっており、読みやすいと思います。
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